光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成25年2月

内藤 規利子

西蓮寺は大きな銀杏が黄色になって、薄いピンクの椿が咲き、玄関近くには葉牡丹がきれいでした。

12月2日、弁栄聖者の御祥当の法要と例会が、大田敬光様御指導で開かれました。奥様のオルガンで「三尊禮」と唱えました。娘のピアノで「心田田植歌」と「育児の歌」を皆でうたいました。御法話の一部です。

念仏ということの本当に深い訳がどういうことで念仏しなければならないか、南無阿弥陀佛という心はいったいそういうことで南無阿弥陀佛ということに一言で結晶してくるのか、そこの間の思いが弁栄聖者によってまとめて下さっておるのがありがたい。これだけ分かりやすく一人の方がいろんな方に出しておられる沢山のお手紙が集められてお慈悲のたよりの本になっているんですよ。今うたった「心田田植歌」は、お慈悲のたより編集された田中木叉上人がお作りになった歌です。田中上人は大変な学者でもあるのです。東京大学で英文学を勉強され、これだけではどうもちょっと自分としてはこれは問題だということで、弁栄聖者にお付きになったんですよ。

弁栄聖者に深くこりゃあ大変なことだと、心からそういう気持ちになられて自分でやってきた大学でのいろんなことを、全部弁栄聖者の方に全力投球で自分の持っている才能を注ぎ込まれたような気がします。弁栄聖者の仏教ということになりますと、哲学とかそういうことまで分からなければいけないということで、東京大学でもう一度英文学にプラスして哲学を勉強なさったのです。

東京に光明園という所がありますがありますが、そこで田中上人は教えをずっとお伝えになる中心におられ、弁栄聖者がお亡くなりになると同時というかその前から考えておられて、全国の皆さんにお手紙を差し上げて聖者のお手紙をお借りして目を通させてもらいたいということで集められた。集めるだけでも大変なのを、それを読んでみんなのために後々まで弁栄聖者のお心がよく分かる大事なものとして残しておこうということで本になさった。弁栄聖者は独身でありながら「育児の歌」のように親として子供を思う心がよく分かられると思う細かい心遣いで子育ての大切なことを言っておられる。弁栄聖者は人の心とひとつになって、人の悩みごとが自分の悩みのように受けとられた。田中上人は聖者のことをよく分かっておかないと申し訳ないという気持ちになり、全力投球でお慈悲のたよりを作って下さいました。

内藤の思っていること

御祥当の法要は「親の法事」と同じに考えて出席するように・・・と言われています。幼稚園児小学生を連れた若いお母さんが二人いらっしゃって嬉しいことでした。若い方がいらっしゃらないことには光明会というものは衰徴していってしまいます。コソコソしているお子さんもそのうちに礼拝儀も上手に読め、お念仏もできるようになるでしょう。大きくばれば御法話も聞けるようになるでしょう。内の孫娘達もお経も礼拝儀もしっかり読めるようになり、ポコポコとずれていた木魚も合うようになってきました。子供って成長するんです。いつの日かお念仏の花を咲かせてくれるのを期待しています。私も「育児の歌」をよく歌っていました。子供達が幼少の頃、藤堂俊章上人よりいただいた句に励まされました。

この小さき幼き子らの法の種
芽生えて咲かん春ぞ待たるる

一人のお母さんは私の息子と一緒に藤堂俊章上人より「三帰」を授けていただきました。その時のお胎の中の赤ちゃんが今、お母さんになって御自分のお子さんを連れて来て下さるのが私はとても嬉しいのです。もうひとつの嬉しかったこと、私は「4人きょうだい」なのですが、その「連れ合い」も全員この法要に参加してくれたことです。細い「法のいと」ではありますが、つながっているのを感じた冬の一日でした。

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