内藤 規利子
西蓮寺にはろう梅が咲き、山茶花が咲いて金柑もかわいい実を付けていました。1月27日大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。
1月ということで元祖大師御遺訓一枚起請文(法然上人の御遺訓)を皆でお読みしました。
弁栄聖者は昔からのお念仏だけでは分かりにくいからお念仏をもっと分かるように示さないと受け取っていただけないということを心配してお手紙にも念仏ということについてもこういうふうに説明して下さっているんですねえ(お慈悲のたより129)。
念仏の念という字は人と二つの心と書いて二人が一つになった心の姿です。故に念仏の心は例えば形でいうと私がおって仏様の教えがあるなあという私と仏の教えというものアミダ様が別のように普通の人は思うけれども心のどこかに如来の心と一つになっておるということがあるんだよ。仏様と自分が一つということが元々あるんだからそれが一応私と仏様という関係で別々のものとしてお説きにはなっている昔からね。これを皆さんによく分かるように話すには分かりやすいように例をとってお話しすることが必要でしょうというのでこの寒い時火鉢の中の炭火に目を向けてもらってお話をすすめようかねえ。今はストーブですぐに火が付くから便利なもんですよ。こういうものではなかなか説明がしにくいけれど弁栄聖者の頃は炭と火鉢があって火鉢の中の火と私というものがどういう関係になっているか。炭があって火がおこるでしょう。火鉢の中の炭火は寒い中にもかかわらず春の桃の花よりも、もっと真紅が色をして愉快そうに嬉しそうに火鉢の中で燃えているでしょう。そして愛嬌よく火鉢に近づく人の手を親切に温めてくれる。それからお茶を飲もうとすると水も煮てくれるしお餅も焼いてくれる。この寒さにどの人にも愛される炭火君も前に炭箱の中で真黒い顔をして冷たい時には誰も手をつけない嫌われ者であったけれどもこの炭がなくては火はおこらんので手をふれれば汚すからさわる人々がいやがる炭火どんも火鉢の中へ入れて火と一緒になると誰にも「ああ温かいねえ」と言われ大事にされる。炭と火とは二人が一つになって離れぬ仲となるからである。炭は火を我ものとし火は炭を我ものとしている。これが念という字の姿にもなるんだよ。私達の真暗な炭のような煩悩の心も如来の愛の光の火が加わると炭に火が付いたようにこの世の憂いの寒さも忘れて大慈悲の火に温められて日々愉快にありがたい日暮らしができます。あなたの心に如来の光と火が加わるといつでも快く胸の内がありがたく温かな自分にさせてもらえるよ。いつでも仏様と一つになっている心が念仏ということと同じですよ。という教えなんですね。お正月のおトソで酔っぱらっているお客さんはお酒と二人一つになっている。あなた方や私達は尊く清いありがたい如来様の慈悲の心と二人が一つになっているのです。それでも口に念仏の空気が通わぬと念の火力が弱まります。口に念仏の空気が通わぬと自分の中にも念仏がいただけているというのに自分がさっぱりありがたく尊い者だとも思わなくなってしまう。念仏はその念仏の火力を強くするために「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と称えることが火力を強くする大きな手だてではないですかと弁栄聖者によってお示しいただけているんです。
奥様のオルガンで「灯」を、大田上人の低音で二部合唱でうたいました。娘のピアノで「心田田植歌」をうたいました。
ここからは内藤のことです。
1月25日母の従姉妹の葬儀にきょうだい4人弟の運転で信州へ日帰りで行きました。途中雪が降って帰り無事に帰れるかなあと案じましたが雪もやみ晴れました。おばちゃんの遺影は微笑んでいました。「いい写真だねえ」と言っているとはとこが4年前に私(内藤)が撮った写真だと教えてくれ、そういえば……と思い出しました。私達はおばちゃんといって慕っていました。とりわけ私はお世話になっていたので私とはとても仲良しでよく電話でお念仏の話などしていました。優しさを絵に描いたような人でした。90才で当日もディサービスに行きその夜お浄土へ帰ってしまわれたそうです。あやかりたい……と思いました。おばちゃんはきっと極楽へ帰っていってる。あんな良い人が極楽へ帰れないはずはない。と私は思いました。私の母と仲の良い姉妹のようだった二人お浄土で会っておしゃべりしているのかなおばちゃんの御冥福をお祈り致します。