光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成25年6月

西蓮寺例会

内藤 規利子

西蓮寺には「ひらどつつじ」「こてまり」「はなみずき」なんじゃこりゃ! というほど大輪の「白い椿」名前の知らない木の紫の花「しゃが」他にも。とてもきれいでした。本堂には「般若心経」の掛軸があり所々白く抜けていて離れてよく見ると南無阿弥陀佛と読めるんです。すごい! って思いました。

4月21日大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。弁栄聖者お慈悲のたより(一)を訳しながらお読み下さいました。

人に生まれただけでもありがたいのに仏法に会えたということは幸い中の幸いに恵まれている。

人のどこに仏様との関係があるかというと自分の心の中に大きいものをいただいておるなあということが分かる自分があるという感じがします。

心のどこかに仏様の一番大事なものが自分にもちゃんといただけているんだよ。如来の子である霊性というものがちゃんといただけておる。これが戸を閉めたお蔵の中に入っているようなもので本当にあるかどうか分からんようではこんな勿体ないことはない。霊性を開発してパッと門を開いて現在より通して永遠不滅の命をはっきり自分に分かったというものにさせていただけるということは誠にありがたいことですねえ。その霊性が開発される時はそれ以上の確かなものはないという量り知れない光と命を持たれた仏様と自分がひとつになれる。ここにおいて仏様は自分と離れた所にある違ったものが自分と関係を持つということではなく身近に父親というものがあったに違いないから父親があって自分があるというような関係で仏様の命というものはひとつになっておりますよ。と教えられていることがしっかり分かってくる。極楽は自分の本当の故郷が仏様の中にある自分と別ものではないというようなこともだんだん分かってくる。どうしたらそういう気持ちになれますか。即ちこれが仏法です。

仏法の教えは宗派は多いけれどお念仏をすることによって大事な心の一番落ち着くような状態にさせてもらえるんだよ。南無阿弥陀佛とお称えすることができ必ずその方面を深く受け取っていけば昔の方と同じような深い悟りに入れるんだけれどもそういうことで口で南無阿弥陀佛とお称えして心には仏様の御姿を思い心が深く相手を思う男女の愛情というものと同じようなものが仏様と人との間にも働いているということ、こういう気持ちをだんだん深くしていくと念仏を称えている中に自然に仏様の御姿を拝むことができるようになるんだよ。

歩く時、座っている時、寝ている時、仕事をしている時、いつでも南無阿弥陀佛という一番大事な心、宝石のような物を心の中にいただいている。その大事なものは絶対無くならない。そういうものが心の中にあるということがだんだん分かってきますよ。念仏という受け取りの大事な所でどんな時でも仏様が自分を守って下さるという仏様の中心なるものが自分の心の中においで下さるよ。そういう気持ちがはっきり出てくるところがお念仏を長く称えていると効果が現れてくる。結果がはっきり自分にも分かってくる。そうなるとどうなるか常に如来様とおって離れない状態になる。弥陀と共にいればここも浄土と言える。いよいよ命終わる時には弥陀と共に阿弥陀様のおられる所に行けるのです。誠に快いですよ。頼むべきは如来様です。

奥様のオルガンで「いかなる日にも」娘のピアノで「心田田植歌」をうたいました。

ここからは内藤のことです。

NHKのドラマ「あまちゃん」に出演している小泉今日子さんがゲスト出演された時、アナウンサーに「このまま美貌とか女性としての価値的いわゆるそういうものが落ちていくって……」と聞かれた時「私は逆にそれが楽しみで「どんなおばあちゃんになれるんだろう?」…若くいたいとあまり思わないんですよね。……若い時は私にもチヤホヤされた時期が少なからずあったと思うんです。……だから若い人に譲って40代しかできないことをやっていきたい。50代、60代になったら又探そうって思うし老化というより進化という言葉を使いたい。ちゃんとした人間になるための進化の過程だと。生まれてから死ぬまでが人生でということは完成形は死なのかもしれないと思うのでまだやりたいことが一杯あるし、ここへ行くための進化だと思いたいですね。」他にもいろいろ言っていて私はとても感動しました。

私も老化を進化と捉え仏様の子として少しでも成長させていただけたら老化と思って下向きになるより楽しいかなと思いました。

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