光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成25年9月

西蓮寺例会 内藤 規利子

西蓮寺の門をくぐると目に飛び込んできたのが白の「サルスベリ」、その後ろには夾竹桃が咲いていました。玄関の前にはなめの知らない花が幾鉢か咲いていました。7月21日、大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。

「日没の偈」。善導大師のお言葉、千三百年前中国の長安の都の中心におられたのが善導大師。一日を無駄な一日にしてはいけないということで一日に六回お参りするというしきたりをお作りになって、日没の頃のお勤めの時のおしまいにこういう言葉を称えて今日のお勤めを終わるという時にこういう詩のような形のものを付け加えておられる。

聞きなさいよ、これからお陽様が沈んで夜が来るけれども今日の一日はこれでよかったかどうか、人々が慌ただしくいろんな務めを営んで今日の一日というものはこれで夜を迎えて皆なそれぞれ家路に急ぎ静かな夜を迎えることになるよ。そして命は昼夜でどんどん移り変わって早く過ぎ去っていくではないか、今でも、ろうそくがどんどん減ってきている。灯が風でフーッと消えてしまうこともある、人の命もそれと全く同じことである。本当にあわれなものだなぁ、人の一生というものはこんなものかなと思うと本当にうかうかとしておれんぞという気になるのが本当なんですよねぇ。

灯がいつ消えるか分からないということのように我々の一生も行く方知れぬ迷いの道、六道輪廻といって今はにんげんとしているけれど迷ったことをしていると動物の世界に落っこっちゃうぞ。修羅の世界の悪魔のようになったり地獄へも落ちることになるぞ。六道の道を仏教は教えているんですね。天上界といって人間より上等な道は天女になるような道もあるが天女でも落ちて人間になったり地獄へ行く場合もあり油断がならない。そういうことで六道の迷いの道はぐるぐる回りしている。

悩んでいる今、そこから抜け出して苦しみの海を出ることをしていないのではないか、どうして安閑としておろかな気持でそういうものを恐れないんださめ各々聞きなさい、強く健やかな時、お寺にも来られるような元気があればここへ来てお参りをするということが人として正しいことではないか、こういう所へ足を向けることもなく休みになると遊びほうけてお金ばかり使ってそしてとうとう人を殺めるようなことをするような情(け)ない生き方になってしまう。自ら鞭打ち、自ら励まして生きても死んでもそういうものを支えて下さっている命の大元、つまり阿弥陀さまということに一言でいうとなるのです。

阿弥陀様の教えをしっかり求めなさいよということを短い言葉の中に善導大師は示して下さってしっかり励みなさい言っておられます。

奥様のオルガンで「盆会の歌」「聖夜」「法然上人頌」を皆でうたいました。

ここから内藤のことです。

カラスが人を襲うという季節も過ぎました。カラスはとても賢いとのこと、寿命は80才とか。よく見るとこの子は若いわとか これは年よりだわ なんて思います。

カラスは「一生番の相手を替えない」という。子育ての巣作りは都会ではすぐ手に入り丈夫な針金ハンガーが好都合で外側を作り中は柔らかい物を敷く。カラスの中には動物園へ行って「馬のたてがみ」や「バイソン」の毛をむしって来るのもいるという。

5月薄着青緑の卵を3ヶほど生み4cmほどのヒナが孵る。そして1カ月で巣立ちの時を迎える。その頃ヒナを守るための攻撃が始まるという。カラスでさえ(こういえばカラスに失礼ですが)子を守るために命がけで人を襲うというのに頃は人の方が子育てが下手になっているようです。カァカァと鳴くといやがる私に幼い娘が「赤ちゃんが生まれたよ!! って喜んでいるかもしれないよ」と言ったのを思い出しました。

カラスは遊び心もありとても賢いという、カラスの良い所も見て人の長所にも目を付けてお念仏を称えながら世を渡っていきたいと思います。田中木叉上人の歌、

一年三百六十五、にちにち春風、
吹く家にならうなそうの掌を合わす人の長所に目をつけて

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