光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成26年1月

西蓮寺例会

内藤規利子

今日も予報は?マーク。運良くずれて早目に降って出掛ける頃には雨もやみ、よかった! と思いました。西蓮寺は淡いピンクの椿、カンナが咲き、千両の実が赤くなっていて、お正月も遠くないんだなと思いました。玄関には「再び会える極楽浄土」の標語がありました。

11月10日、大田敬光上人ご指導で例会が開かれました。ご法話の一部です。

弁栄聖者「お慈悲のたより」(百八)をお読み下さいました。お慈悲のたよりは本当にありがたいことですよ。もしこれがなかったら弁栄聖者が何をなさったのかわからない。お手紙の文章でいったら実に細やかにこういう心づかいで相手の立場を考えてこれくらいでまだ難しかったらこういう言い換えた言葉で言ってあげなければいけないかな、ということでやっておられる。こういうお手紙が何百とありますからね。誠にありがたいんですよ。

先月読んだ「朝のことば」にあったように朝目覚める保証もないのにこの歳まで生かしていただいていることはありがたい。日本人は「ありがたい」「ありがとう」という言葉を当たり前のように使っているけれど外国の人にとっては当たり前ではなく日本人は不思議な言葉を使って挨拶しているなぁということで大分驚いています。あぁこれは「ありがたい!」という「有こと難し」ということを今こうして私達に頂戴したということは実に貴重なことです。私達は「ありがとうございました」ということを当然のように使っていますね。10日前のこと「ありがとうござました」。一年前のこと、十年前のことでも「ありがとうございました」と言える日本語は素晴らしいものですよ。「現在のことだけではなく過去のことまで『ありがとうございました』としょっちゅう使える日本語というものは外国の者からみると本当に不思議なくらい心配りがものすごくある言葉なんですね」と韓国の方が誉めちぎっていて、あぁそういうもんかなぁと思いました。

「三尊禮」

八百年前法然上人の頃からの善導大師のお言葉ですよ。ひとつのお参りの時の儀式でお坊さんが中心ですけれども一般の方も参加して聞いてもらってずうっと伝統的に八百年間続いている。現在でも同じことを称えています。奥様のオルガンで三尊禮を皆でうたいました。

ここから内藤のことです。

先日、区の生涯学習まつり(いろんなお稽古事の発表会)があり、私の上の妹が描いた絵手紙で美味しそうな柿の絵に『親になるには渋みもあるよ』と書かれたのが大きなポスターになっていて嬉しく思いました。妹は下書き無しで筆で直接描いていて、どうしてそんなことができるの? といつも感心し妹の絵手紙を見るのが楽しみになっています。その日は他の方のも沢山見ることができてとても楽しかったです。

その中にステキな絵がありました。二ヶの玉葱が束ねてあって、『寄り添い 助けあって』と書いてあって、う~んいいなぁ…と思いました。面白かったのが私のことを言われているような『頭がポンカン、お腹がデコポン、ゆうことキンカン、仕事はブンタンゆっくりネーブル、明日は何だかいイヨカン』と書いてありデコポンが描いてありました。もうひとつは『老いには寄り添う、病には連れ添う、健康には振り回されない、死ぬ時期が来たらまだ早いとか言って悪あがきせずにはいはいと素直に従う』と書いてありザクロが描かれていて、ヘェ?これはお任せだな、と思いました。「すべてを大ミオヤに御任せ申上げて常に大ミオヤを念じ…」と思えどもまだお任せもできず悪あがきしている私ですが頑張るより他ないようです。お念仏をお称えして…

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