光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成26年3月

西蓮寺例会

内藤規利子

西蓮寺にはピンクの椿、ろう梅が咲き赤白の梅が蕾をつけ玄関前には葉牡丹が勢揃いしていました。玄関を上ると見たこともないような大輪の百合と南天の赤い実が活けられていました。1月19日大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。

ひかり誌12月号に書いた「朝のことば」を皆で読みました。朝起きたらこれくらいのことは家中で称えてみようか…。毎日やるのは大変だから月に一度くらいはこういう日を持つことが大事でしょうね。昔は合掌して食事など頂いたものだと思うんですよね。今は合掌するのは恥ずかしい、こんなことはようやらん、こうなっているんですね。合掌はインドで起こった礼儀作法なんですよ。日本人でも有り難いなぁ…というような時、ありがとう!! と合掌するじゃないですか。真心から相手を尊敬し感謝するという時、自然に合掌になりますよ。インド人は皆合掌します。「ナマステェー」。「ステェー」あなたを「ナマ」お敬いしますよ。南無阿弥陀佛の南無の語源は一緒なんです。ヒマラヤの山なんかでは、登る人下りる人とすれ違う時「ナマステェー」と言うと相手もニッコリして「ナマステェー」と言う。言葉ひとつでいっぺんに二人の関係が親しくなる。言葉というのは不思議ですよ。日本の「こんにちは」もそうですね。黙って通り過ぎるのと「こんにちは」って言うのと違うじゃないですか。混雑していても「あぁちょっとすみません」と言うだけで、相手の気持ちは柔らかくなって「どうぞどうぞ」と言う。黙って押しのけたら「何をするんだ!!」って喧嘩になりますよね。言葉というものは通い合う共通したものをもつ気持ちになったら随分お互いの感じは変わってくる。

それを南無阿弥陀佛ということで法然上人がお経でも「ナム」とか「アミダ」とか「ブツ」という言葉がばらばらになっていたのをひとつがらみにして南無阿弥陀仏はこんな深い意味を持っているんだよとはっきり論証された。自分の体験で南無阿弥陀佛と称えれば他の人が称えていても自分と同じ気持ちで称えているんだなということになって、法然上人がおっしゃったことが大学者でもあるからその方の言われたことは間違いないと簡単な言葉だけれどもどのお経様を暗記しているよりもこの方が値打ちがある。法然上人のおっしゃったことは間違いないと南無阿弥陀佛と時間はかかったけれど広がって行った。源平の戦いで皆んな生きがいがほとんどなく死ぬということが意味が分からずどうしてこんな哀れな中で死んでいくのかと寂しい人でも南無阿弥陀佛と称えればちゃんとアミダ様が守って下さって最後どんな死に方をしても極楽浄土でちゃんと幸せになれるんだよと法然上人がおっしゃり、それをお弟子方に伝えてお弟子方がちゃんとそういう気持ちで広げていきました。

奥様のオルガンで「灯」をうたい娘のピアノで「心田田植歌」をうたいました。

ここから内藤のことです

一年前に静岡の法友に「とっても素晴らしいお寺さんがあるから来年は一緒にお参りさせていただきましょう」とお誘いをうけ「お互いに元気でいようね」とかたく約束し。ようし!! 元気でいなくては…。幸い元気で現地で「会いましょう」ということで12月4日晴れた日に主人と碧南市の法城寺様へ電車を乗り継いで行き迷うこともなく行くことができほっとしました。紅葉が散らずに残っていてくれて私達を迎えてくれているようでした。とてもいい佇まいのお寺様でした。寺標には

弁栄聖者開山道場 如来光明三昧堂 唯称院

と書かれていました。石川上人と明るくステキなお母様にお会いし法友の到着を待ちました。程なく着いた法友と「来られてよかったね!!」と喜び合いました。本堂には御祥当の12月4日に拝見させていただけるという弁栄聖者のかかれた書画のお軸がずらりと掛けられていて、中でも素晴らしいのは大きな「二十五菩薩来迎図」でした。一目拝見した時「あっ!! いつも家で拝んでいるのと同じだわ」(家のは額入り)と思い嬉しく思いました。弁栄聖者60周年記念御遺墨集の原本となったものとのことでした。百年もたっているというのにとっても美しく離れ難く見とれておりました。聖者のお軸に囲まれてお念仏を称えさせていただき、こんなことは始めてのことで至福の時でした。本堂以外にもお軸があって感動しました。お部屋には弁栄聖者が弾かれたという小型のオルガンがあり「触ってもいいですよ」との石川上人のお言葉に触らせていただき「これを聖者が弾いていらっしゃったんだ」と感無量でした。その部屋で「この辺で一番です」という美味しいお団子とお茶をいただき〝花より団子〟と言うけれど『花』(聖者の書画)も『団子』も最高のおもてなしにルンルンの一日でした。法城寺様ありがとうございました。

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