光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成26年7月

西蓮寺例会

内藤規利子

西蓮寺には紫陽花が黄緑の蕾をつけていて、さてどんな色が咲くのかな? 紫蘭、芍薬、テッセン、君子蘭などが…。5月25日大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法話の後、奥様のオルガンで「恩徳讃」をうたい、「とてもいい話でしたから」と書院に移ってビデオを見せていただき感動したのでそれを書きたいと思いますが一時間の話を要約するので舌足らずの文になってしまいますが…。

会津に住むエッセイストの大石邦子さんは22才の時バスの事故で全身マヒした体からだんだん快復される中、非常な苦しみに会われその頃作られた歌が、

幾夜さを 疼きつくして 現身の
頼みの脚の 知覚失せたり

(ここから御本人が語って下さいました。)
マヒしているのに、つき上げるようなケイレンがくるような痛みが襲う。人生を絶ち切られたようで自分で説明ができない。意識が無くなっていくような時が何回かありこの息が楽にできたら何もいらないと思うそのくり返し、絶望から少しずつ抜けられるきっかけは4年程たった時、自分の人生って何だろうどうして私だけ…。その時、思い出したのが石川啄木の、

友がみな われよりえらく 見ゆる日よ
花を買いきて 妻としたしむ

排泄もダメ感覚も無い寝返りも打てないなんていうのは人間の資格もないと思っていた時、突然あれぇ私、昔誉められたことがあったということを思い出してそれが啄木の歌の感想文を書いた時、先生に「いい作品だから…」と言われ読んだ記憶がパーッと思い出され、こんな私でも誉められた時期があったんだと思った時、あれは啄木の歌だったけれど今の私だなぁ私にも歌が作れるかもしれない。

何ヶ月か前に先生に「大石さんよりもっと辛い人が歌を作っているあんたも作りなさい」と言われたが「歌なんか作って何になるの」と思ったけれど啄木を思い出し「そうだこの20代で死んでいく無念さを歌にして父と母に残そう」と思って作りノートに書いている時にあぁまだ私には右手がある私にもまだできることがあるなぁとほのかな希望のようなものが…。それを先生が投稿して下さって歌壇に載るようになり、それが目にとまって後に講談社が本を出して下さったのです。その後エッセイも書くようになりそれも無念さを父と母に残すつもりで書いたのが本になってしまったのです。それを読んだ方が病院へダンボールでいろんな物、一日に50、60通もの手紙が届けられ驚くというよりどうしたらいいんだろうどうやってこの方々に御恩返しをすればいいのかな…。こんなにしてもらっているんだからもう少し頑張って生きてみよう! 新たな私の世界がその方々によって開いていただいた感じですね。病院から熱海の温泉によるリハビリで暖かさということもあって体が伸びやかになってよかったですね。人と比べて羨んでみてもその人にはなれない。5年7年経ってくると嫌でも分かってくる。人と比べるのをやめると自分の中にあるものが見えてくる。かけがえのない右手があって話すこともでき目も見える、自分に言い聞かせると生きていく心の準備みたいなものができたかなぁ…そんな時、父が亡くなってすぐに会津に帰り冷めたくなっていたけれど私が自殺を図った時も一番「生きなくちゃダメだ」と言ってくれた父に「頑張って生きるよ」と言い熱海の生活はやめ母と暮らしました。絶望はそれに耐えられるともう一回この峠を越えてみよう。生き方の練習みたいなものを苦しみが教えてくれるかなぁ…。私は母に自分の心のコントロールができない時当たるんですが母は私がニコッとすると物凄く喜ぶんです。それをくり返すうちに人に会う時は笑顔で会おう!! そうすると人間関係がスムーズにいくということがあって笑顔で人生を全うできたら最大の努力目標だろうなと思って努力しましたね。そのうち講演の依頼も来るようになり学校関係、企業研修とかに行きました。アメリカ大陸横断もすすめられて車で行き体力が付いたなぁと思っている矢先に乳癌の告知。海の底に沈んでいくような味わったことのない寂しさを感じました。全摘して3日目胸の動脈が破裂して麻酔はかけられないからと麻酔なしで体にメスが入った時、今まで経験したことのない痛みに、ギャーッと叫んだ瞬間上の電灯の所に金色の十字架が現れて一瞬で母の顔に変わってすぐ意識がとんだんです。私が耐えられなくなった時、意識を吹きとばしてまでも私を生かそうとしてくれていたんだなぁとこの体を大事にしなくてはと思いました。抗癌剤の副作用もあったけれど昔お見舞いの方が「この世に無駄な苦労なんてないんだよ」と言った時「何言ってるのこんな苦労はいらない」って思ったんですが吐き気もだるさも髪の抜けるのも全部事故の時経験していたので不安も恐怖もなかったんです。こうして生かしていただいたということは最後までこの命を全うできたらいいなこれもあまり悲痛にならないで嘘でもいいから笑顔でいけばそれが真実になるかもしれないなぁと自分に言い聞かせているんです。いかに命が一人で存在するのではなく父母友達…五体満足で生んでいただいた体を自分のいとおしいものに感じるように話しているんです。

『何があっても大丈夫、生きてさえいれば、いのちさえあれば人は生きられるように創られているのだから…。乗りこえられない苦しみなどありはしない。苦しみがみなさんを鍛えみなさんを磨き、みなさんを大きくする。かけがえのない自分の人生だもの、人のせいにしないで自分の責任のもとに引き受けて、凛と生きていってみよう。失敗したっていい。躓いたっていい。一度や二度の失敗、何も恐れることはない。躓いたらそこからまた立ち上がっていけばいい。』

逃げたら一生逃げたくなるような気がするんですね、逃げているうちに苦しみはどんどん膨らんでいくんです。目の前にある小さなうちに乗り越えていくとそれはもう苦しみではなくなるそれが生きる力になる。一回逃げるとどんどん逃げなくてはならなくなる。若い人の苦しみは若いうちに乗り越えて自分の力にしていってもらいたいなぁってもし私に子供がいたら言いたいですね。

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