光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成27年5月

西蓮寺例会

内藤規利子

西蓮寺の門をくぐると八重桜、ソメイヨシノが咲き、枝垂桜が咲き始め、沈丁花、アセビ、花桃、大輪の赤と赤白染め分けの椿、ボケ、連ギョウ、ツツジ、雪柳などが咲き時期がずれて咲くはずの花も一緒に咲いて一気に春が訪れていました。書院には沢山の百合、カラー、カーネーションなどが豪華に活けられていてとてもきれいでした。3月29日大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。

南無阿弥陀仏は何のために称えるか結局あなたを生かしているのは阿弥陀様の力ですよ。目には見えないけれどもアミダ様のお姿はお釈迦様の御姿を通してちゃんと皆んなを守っていて下さるよ。

あぁ今日もアミダ様のお陰だなというお陰ということを知っている人だったらその気持ちが先に立つからそれでお陰様でとありがたい気持ちにさせていただくだけでも気持ちがすっと切り替えができる。それがないとうっとうしいことばかり先に来て「あぁあの時はいやだったなぁ」「この時もいやだった」「これもいやだったなぁ」といやなことばかりがプラスプラスになってきてねぇいやなことばかりにしか思えない。その思いのひとつひとつをいやいやそうだけれども後ろではアミダ様が支えて下さる。限りない量られない大きな力と知恵を皆さんに命の力と心に智恵の光として与えて下さるよ。それを一言で言えば南無阿弥陀仏となる。南無とはお任せします。愛知万博の時もインド人が沢山みえました。その時に「どうやって挨拶したらいいでしょうか」という人に「あなたナムアミダ仏しているでしょう?」というと「それならばおばあちゃんもしているし私もしています」。「それなら南無阿弥陀仏の南無を頭に被せて『あなたのことをお敬いしていますよ』ということで『ナマステー』と言えばいいんですよ」。

ヒマラヤ山で登る人、下る人が擦れ違う時に他人様でも「ナマステー」と交わすだけで心が通じ合うんですね。それで向こうの心とこちらの心がひとつになると安心感が生まれる。下って来た人を見てこれから登っても大丈夫、と思い下って来た人もやっと人に会えたほっとしたなぁという気持ちになれる。ナマステーの言葉があるだけでお互い同志の仲が他人でなくなる。ナマステーと言うだけで心の交流ができるんですよ。それで私の命と向こうの命が姿にはないかもしれないけれども南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、アミダ様どうぞよろしくナムアミダ仏と称えていれば自然にその言葉が仏様の所へ導びいてくれ仏様と出会えるんですよ。

仏法僧は三つのお宝。仏様の御教えと同時に教えの通りになっている宇宙のあり方全体をひとつの法に則ったような宇宙の動きになっていますよ。法に従った宇宙になっているんですよ。宇宙には決まりがある。いい加減に動いているのではない何万年経っても地球がぐるぐる回っている他の星々とも衝突せずに回っている。不思議ですね。仏法を大事にする人のことを僧という。大切なことを守っていく人達のお集まりをサンガという。ここも(この本堂)もひとつのサンガですよ。こういう形があって仏様の教えが大事なことだと思っていただくことができればこういう集まりは非常に貴重なことです。こういうことをする人がどんどん増えれば悪いことも自然に消えていくような日本になれるんじゃないですかねぇ。仏教徒も力強い団結力がないとなかなか世の中はよくならない。お釈迦様は絶対に軍隊を持ってはならない。人を殺すことで幸せが来るはずがない。怨みを持っていてはダメ。愛情を持って相手を救うことにもっていかなければいけないんじゃないか、それがお釈迦様の教えなんですね。仲良くしていく。相手を怨まないとすれば世の中はうまくいくことになるんです。

奥様のオルガンで蛍の光・あおげば尊し・法然上人頌を皆でうたいました。

ここからは内藤のことです。

戦後70年日本は戦争のない平和は国でした。でも最近日本が戦争に強くかかわっていきそうな不穏な空気が漂っています。そんな方向に行ってほしくないと思っています。私の母は若い頃とても忙しくじっとしていることが無いほどの人でした。そんな中での楽しみは光明会のお話を聞くことでした。○○さんは光明会のとても熱心にお念仏をされる方でした。たまにですが「今日は○○さんの所へ行ってきたよ」とニコニコしていました。

私が思い出として残っているのは○○さんの一人息子さんが戦争に行って船に乗っていて海に投げ出されてサーッと沈んで行った時、お母さんである○○さんがちょうどお念仏を称えていたそうで、アーッと思って息子さんを救い上げた時間と息子さんが助けられた時間が同じ時間だったと聞いた時、親が一生懸命お念仏を称えていればそんなこともできるんだってとても感心しました。私もできないながらも頑張ろう!

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