光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成27年6月

西蓮寺例会

内藤規利子

西蓮寺は新緑が美しく「ハナミズキ」「シャクナゲ」「ひらどツツジ」「シャクヤク」「シャガ」「菩提樹」、名前の知らない色んな花、えっ! こんなにあるの? と思われるほどの鉢植えの君子蘭が見事でした。家の中にはクリーム色の君子蘭、こんな色の…初めて見た…とてもきれいでした。4月26日大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。

弁栄聖者によると大ミオヤといって本当の親というのは人間の親も生きている限りは当然であるけれどもそれを越えた親、大ミオヤというてね、これは仏様のことを言っている。一番の親は仏様だよ。これを一番の手掛りとして自分の親をもうひとつ越えた親を抱きかかえるような大きな親それを大ミオヤというて昔からアミダ様という。昔は親が亡くなったら「あ~残念なことです」というのが当然のことでしたが今では「お任せします」と言って火葬場に置いたまま行くような人もあるやに聞いています。そんな親子関係は情けないですね。大ミオヤと言われたことだけでも考えなければいけないことがいっぱいあると思いますよ。弁栄聖者の目から見ると色んなお寺にお集まり下さっている方々でもどうかすると亡くなって先のことだけをお願いするためにお寺へ来ましたとか、法事をやってもらいます、それで亡くなった時だけお任せすればいいくらいに思っている人が今の世の中多いんじゃないですかね。よっぽど考えにゃいかんですね。こんな浅はかなことではいかんよということで弁栄聖者はこの和歌を作られている。

ゆく末のめぐみとばかりおもひにき
もとより本のみおやなりしを

大体は大ミオヤとよばれるアミダ様。如来様とはその如くに来られた仏様。自然のままにちゃんと来ていつの間にやらおって下さるということでこの世の中何処かに色んな問題が起こってもちゃんと治まることになっているんだよ、分からんけれども守っておられる。亡くなった時だけ御縁があるというようなそんな仏様ではない。本来如来様は三身一体といって法身報身応身と三つの方面に別れて人々のために大活動して下さっている。生みの御親としての法身、救いの御親としての報身、そしてそういうことを教えなさったのがお釈迦様、お釈迦様は人間のお体を持ってお体に応じて出て下さった応身。そういう方々によって色んな方面で仏様の教えは我々に届いている。それを深く読み取る我々の一人一人の心が育って来なければいけない。宇宙全体が私の子供なんだよという気持ちが仏様にはおありになるから仏様の大きな心の中で動いている。仏様を直々にお念仏しながら仏様と心がひとつに通うような自分にさせてもらうと、あぁこういうふうに受け取って世の中見ていかなきゃいけないなということがだんだん分かってくる。お念仏はむやみやたらに木魚を打って南無阿弥陀仏と言っていれば他事を考えていてもいいのではないと思いますね。やっぱり一声一声南無阿弥陀仏と仏様の願いというものが自分にも来とるぞということが分かった人がこの一声の南無阿弥陀仏とお称えするだけでもアミダ様のお守りがいただけているというそのお守りというものはどういう形で自分を守っていただけるかはあぁ有難いなぁという気持ちになるだけでもその人にしたら大きな問題になってくるんですよ。

奥様のオルガンで「まことのみ国」「法然上人頌」を皆でうたいました。

ここからは内藤のことです。

今年の春、各地で記録的な長雨と日照不足に見舞われ農作物の生育不良が懸念されているという。家の少しばかりの金柑も何かいつまでも色付きが…とい思っていたらそのせいだったんだと思いました。心霊界の太陽であらせられる如来様の御光をいただいてお念仏を称えなければ私達の心霊は育たないと聞いてはいますがこのことなんだ! と又々感じました。

そんな長雨続きの中友人に誘われて飛弾路を旅しました。予報は全国的に?、降水確率80%雨を覚悟で出かけました。道中は長雨のため川の緑色の水が増水して桜等の花々とよく映えて見事なものでした。「見て見て!きれいだよ!!」と何度も歓声が…。平地の桜は満開。山山まで桜や色んな花が咲いてとてもきれいでした。「これは如来様の春の衣替えだ!!」って嬉しく眺めてきました。予報に反して晴天にも恵まれ上々の旅でした。

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