光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成27年9月

西蓮寺例会

内藤規利子

西蓮寺にはアメリカディゴが咲いていて、えっ!まだこんなに元気に咲いているの? 何か私の来るのを待っていてくれたようで嬉しかったです。白いサルスベリ、芙蓉が咲いていました。いつもと同じ幼な子のような仏像がとても大きく見えて、どうして? と思いました。主人が「又お寺へ来られたね」と。そう不思議と検査入院、治療入院の合間に例会に出席できているのです。

7月26日大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。

今日は都合でお檀家の一部の方と光明会の合同で……という日になりました。浄土宗のお経本と礼拝儀を比べての説明もお檀家の方にはよく分かったのではないかと思いました。

「三宝礼」仏法僧の三つをお敬いします。仏法僧は明るく正しく仲良く。

椎尾弁匡という大博士がこういう仏法僧を分かりやすく説明するならばこういう内容で受けとるんだよ。

日本の国はよく考えてみると、明治時代これが最初でここに当たると思うよ。明るくととればいい。

その次は大正時代、正しくと大正の正は読める。

その次の仲良くという平和の和、昭和時代ということで仲良くと読める。

明治大正昭和、明るく正しく仲良くということをもった日本にしたいとみんな希望しながら現実はいろんな問題が起きてきてなかなかうまくいかなかったのが現実というものだ。しかしそのような希望はみんなにあって明治大正昭和となって明るく正しく仲良くと覚えたら仏法僧がよくわかるのではないかと中学の生徒に教えて下さった。そうして後々受け継いで仏様の教えを分かるものとしてこれからの人にも受け継いでいただかなくてはならない。

奥様のオルガンで盆会の歌を皆でうたいました。

ここから内藤のことです。

3回目の入院で深い所まで生検をとって調べ直すことになり、それで結果が出ました。進みの少し早い肺癌、回りのリンパまで行っているステージ4。

主人・息子・娘と先生の話を聞き、娘だけ残って先生と話している。私は「病状のことは聞きたいが余命宣告までは聞きたくない」と書いて出してあるのでこれは余命を聞いているのでは……と落ち込んで? いると娘が「違う違う『ステージ4と聞いて動揺しているんですが……』と言ったら先生がまだ体力が残っているから治療できると私達は思うし、いろいろ薬もありますから私達も頑張りますから一緒に頑張りましょう! って言っていたんだよ」へぇそうだったんだ。よかった!!

すぐに七夕様の日入院いろいろ検査の結果9日に治療できることになり抗癌剤治療が始まりました。先生は「副作用がほとんど無いです」とおっしゃいましたが2週間の抗癌剤の薬を飲んでいる一週間ほど夜も昼もだるく夜昼眠っても眠い、歩いていても眠いこれにはまいりました。頭がこわれてしまったのかな? 「うつ」になっているのかな? うつについて看護師さんと話していると先生が後で笑っていて「うつではないですよ。表情もありますし、言いたいことも話せるし、今までうんと心配していたのが治療が始まってほっとしたからじゃないですか」。そうかぁ、夜も眠り昼も眠っている。主人は毎日いる物を持ってきてくれていて目を開くとそこに座っているという状態でした。

もう何ヶ月も前から決まっていた姪の結婚式に出席するのを楽しみにしていたのに結局は入院している時になってしまい息子に替わりに出席してもらうことにして自分はちょっと花嫁姿を見に行けたら行きたいと思っていたら主人に「式がすんだ後時間があるからドレスのままおばちゃんに会いに行く。病院までは行けないけど病院の前の喫茶店なら会えるから…って言っていたよ」と聞いて「親」でもない「姉妹」でもない私のためにそこまでしてくれるということに嬉し涙がボロボロでした。式の前日には婚約者とお見舞いに来てくれてこれもびっくり涙ボロボロでした。当日は外出許可をいただき式場まで行きました。新郎新婦と一緒に写真まで撮ってもらって嬉しかったです。途中から行き早目に帰りましたが、お色直しのドレス姿も見ることができ親戚の皆さんとも会えていい結婚式でした。

入院中眠りほうけていたということもありますが、なかなかお念仏ができませんでした。家に帰ってお茶碗を洗いながら無意識で聖歌をうたっている自分に「あぁこれが私なんだ!」笑うこともできずへたばっていた私。私が元気になるように祈って下さっている方々に感謝してお念仏を称えて頑張って治療していただこうと思っています。

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