光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成27年11月

西蓮寺例会

内藤規利子

西蓮寺には紫の「芙蓉」が咲き「紫紺野牡丹」が咲いていました。まだ九月には咲かないはずの「キンモクセイ」の香りが強く香っていました。廊下には「えがおっていいね」「まぁるい言葉でこころをまぁるく」の標語が……。なるほど……大事な事なことって思いました。9月27日大田敬光上人の御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。

「まことのみ国」
一、さまよえる 人の住む世に
大聖(みほとけ)は さとりえたまふ
同信(はらから)よ みあとしたひて
彼の岸に われらわたらん
二、さとりえば あらそいは消え
われと世間(ひと) ともに栄えん
同信(はらから)よ もだしすゝみて
ひたすらに 道を成ぜん
三、おのがじし つとめはたして
人の身の 生くる甲斐あり
同信(はらから)よ 正法(まこと)のみ国
雙手くみ こゝに護らん

「まことのみ国」というのは南無阿弥陀仏がある人にとっては理想の国のあり方というか生活の場がね、こういうような気持ちがだんだん共通した気持ちになっていく。自分自身が間違いないはっきり自分の生きる道を歩いているんだという自信のある人は生きがいにもなる。皆んなが手をつなぎ合って一生懸命守っていこうではないか。「まことのみ国」ということで仏様のおられる極楽浄土といいますがそういうことで今の現実の私達の生きる社会の国というものがどういう環境にならなければいけないか大きい問題になりますね。「まことのみ国」というのはこの地上にそういうものを作るとしたらどういう生き方になるということが大事なことです。昔の人の考えたような極楽浄土へ「行く!行く!」ということだけでなしに私達のいる所がどういう所に住むのが一番望ましい国であるということこれ一番大事なこと。弁栄聖者も南無阿弥陀仏ということで徹底できるということを確信を持たれたから大きな運動をやってこられました。憎しみの心をもって相手に向かうようなことをしてはならない。自分から恨み憎しみの心を無くしていけば相手もなってくれる。

奥様のオルガンで「まことのみ国」「ほとけはつねに」「月影の歌」「四弘誓願」を皆でうたいました。

ここからは内藤のことです。

54才の若さで亡くなられた子供の頃から頑張り屋だったという川島なお美さんは御自分の癌のことを「戒めくん」といって「体を使い過ぎたのだろうか」「アルコールの取り過ぎだっただろうか」といろいろ思っていたそうです。私もこの度又大病をして今までの自分を省みています。癌にいろいろ教えてもらいました。いろいろと試練に合うのは如来様からの『誠ありやとお慈悲の試験』だそうですが、できの悪い私はすぐに試験に落ちて落第坊主です。その時反省しても〝喉元過ぎれば熱さ忘れる〟で忘れてしまうことの多い私。困った者です。

「人生は修養の学校」という。何とか頑張って卒業させていただかなければ……。急がねば日が暮れてしまいます。荻野円戒上人の御法話に如来様の膝の上で毎日が暮れているのですから。自分が生きているということは相手によって生かされている。今の私の生き方で相手に喜んでもらえるようなことをさせてもらえなかったら自分は幸せにはなれない。皆んな幸せになりたいと思っている。自分が幸せになりたかったなら相手が喜んで下さるようなことをする。奥さんは御主人のこと、御主人は奥さんのことを、親は子供のことを子供は親のこと。それぞれ相手のことを思ってお互い手を取り合って生活させていただきたい。体の楽しみばかり考えていたら当てが外れる。心を中心にして仏性を育てていくといい。

「人は一人では生きていけない」と言われている元気な時の私は人様が先ということを微力ながら心がけてきたつもりですが今の私は主人の助けがなくては生きていくことはできません。それなのに主人の温厚なのをいいことにわがままを言っている。これではいけない反省反省。自分がへたばって動けなくなってしまうと普段聞いている人は一人では生きていけない。ということをなるほど、と身に染みて分かります。が身に付いた癖はなかなかとれませんがたとえ薄紙を一枚一枚はがすようにでも少しずつ向上していきたいと思っています。南無阿弥陀仏をお称えして……。

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