光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成28年1月

西蓮寺例会

内藤規利子

西蓮寺はピンクの椿が咲き、アレ! もうこんなに色づいているの? と思うほどきれいな赤とオレンジの千両がありました。この実を見るとあぁもうじきお正月なんだなぁと思います。今年は小さな葉牡丹が沢山植木鉢に植えられていました。11月22日都合で少し早いけれど弁栄聖者御祥当の法要と例会が大田敬光上人御指導で開かれました。御法話の一部です。

お念仏を申す心ですね。口先だけで南無阿弥陀仏と言うよりも心でしっかりという気持ちが大事なんですよ。どうかすると口先だけで南無阿弥陀仏なむあみだぶつと言っている人があるんですよ。心の中で、阿弥陀様のお陰で今生かされてもらっている、ありがたいなぁという気持ちになった時に、言葉として南無阿弥陀仏と口から出てくるのではないか。法然上人のお言葉に自分の力で生活を支え得ずして申されずは(お念仏を)他人(ひと)に助けられて申すがよいとありますが、「一人ではやっていけないから」と人様のお世話になっている。あぁこんなことじゃいかんなと思いながら暮らしている人が随分とありますね。それでもね、それがまぁその人にとって一番よければその中で南無阿弥陀仏という気持ちをもってね、まことにありがたいことだなぁ、今一番なことは何だと思った時に阿弥陀様にちゃんと守られている自分だという気持ちを一番中心にして今日一日の命をずうっと長らえなさいよ。

奥様のオルガンで「いかなる日にも」と「灯(涅槃会に)」を皆でうたいました。

お釈迦様が悟りを開かれたのが12月8日、お釈迦様が亡くなられた日が涅槃会で2月15日。

「いかなる日にも」
一、かがやく智慧とやさしさと
しずかな勇気の 導きに
いかなる日にも いかなる夜にも
われらの支えとなりたもう
あぁゴータマブッダ したわしき
二、正しいことば あきらかに
天地のことわり さし示し
いかなる日にも いかなる夜にも
われらの力となりたもう
あぁゴータマブッダ したわしき
三、けわしさまさる 人の世に
つきせぬひかりを ささげつつ
いかなる日にも いかなる夜にも
われらの命となりたもう
あぁゴータマブッダしたわしき

「灯」(涅槃会に)
いかなる日にも自らを
自らをこそ ともしびとし
いかなる時にも ダルマを
法こそ あかりとともし
命あふれて生きていこう

お釈迦様が最期に残されたこういう気持ちで生きていきなさいよということを歌に残されていますね。

ここからは内藤のことです。

弁栄聖者御祥当の法要の日が決まりました。私はもし入院していたらお寺へおまいりできなくなるからと娘に代わりを頼みました。(娘はいつも例会に行っているのでその点は合点承知!)もし娘に事が起こった時はいつも例会に行っている妹に頼みました。さてこれでよし…。いつ入院になるのかなぁ? と思っていると11月16日になり、え~入院してから法要の日まで6日目。「外出させて下さい」なんて先生に頼んだらおこられるわなぁ…あきらめるより仕方がないかと思っていたら副作用がほとんど無いこともあってか「外出許可」をしていただきました。まさか…きっとダメだと思っていたのに…。という訳で又々お寺まいりができました。私は座っていただけで娘がみんな代わりをしてくれて楽でした。無事にすんで本当によかったです。

入院中は相も変わらず廊下を回り万歩計を進めていました。何度も回っていると他にも回っている方々が…。その中の3人と仲良しになり私の前の病気と同じ病気の方々なので参考になるからといろいろ聞いて下さいました。皆さんと住所の交換をすることになりました。

退院の日、もしかしたら皆さんと会わずにお別れすることになってしまうかなぁと思っていたら部屋まで会いに来て下さいました。私は「頑張って治療してね」と言い、皆さんは退院されたら知らせて下さることになりました。一人の方は「これから頑張って生きる…」と言っていて嬉しく思いました。まだ連絡はきませんがお付き合いが始まったらいつかお念仏をお勧めすることができたらいいなぁと思っています。

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