光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成28年3月

西蓮寺例会

内藤規利子

40年来の寒波が来るという日でしたがお陰様でお陽様がよく当たっていました。門をくぐると金柑の実が……。赤白染分けの椿が咲き、白い梅の盆栽が満開で、赤の梅は蕾を付けていました。1月24日、大田敬光上人ご指導で例会が開かれました。御法話の一部です

いろんな病気で悩んでおられる方は大勢いらっしゃる。私の命はいつまであるだろうか? こういう中で病気とはどういうものなのかできれば病気などしたくはないがお釈迦様の頃も病気はあります。病気というものをどう考えたらいいか……。おまいりしているからだんだん病気というものはこの力で治らぬものかと考えるのは当然なのだけれども、また考え直してみるとこの病気があるがために人間何のために生きているんだと深く考える一人一人にさせてもらっているということがある。自分の体にはなぜ病気があるのかということを考えた時もっと深い考え方で病気と取り組むという姿勢をね、お念仏の中からでもこれをしっかりと分かるように自覚して受け取らせてもらわなかったらもったいないことです。いわば病気があるためにこれが自分に教えてくれるこれが大事な先生にもなれる。この病気がなってくれているんだよという気持ちになるくらいの受け取り方でいくと病気のお陰でおまいりが大事だということにさせてもらったんだということが出てくることがあるだろうと思います。

法然上人は念仏の行者は素直に病を病として受け止め、病を浄土への道案内と感謝し念仏申して往かねばなりません。正しく受くべきは受け、念仏の中に養生していくならば転重軽受のご利益を受けることができますよ。いわんや仏の御力は念仏を信ずる者をば転重軽受といいて宿業限りありて重く受くべき病も軽く受けさせ給う。されば念仏を信ずる人はたとえいかなる病を受くれどもこれ皆宿業なり、これより重く受くべきところを仏の御力にてこれほども軽く受けるなりとおさとし頂いております。

念仏の積み重ね、それがやがてすべてのことを喜んで受け取らして頂き、健康も良し、病気もまた良しとありのままを受け取って毎日を送っていきたいものです。

奥様のオルガンで「いかなる日にも」と「無常偈」を皆でうたいました。

ここから内藤のことです。

昨年7月に入院した時、ものすごい咳をしていた私は同室の方にご迷惑がかかるといたたまれない気持ちでいました。お隣の方は手術をされ大変そうでした。でもじきに元気になられ私と少しお話も出来て退院される時その方にとても癒やされた私はこのままお別れしてしまいたくないと思い、さしつかえなかったら……と住所を教えていただきました。それなのに文も字も書きたくなくなっていた私はお便りもせず、ついに年賀状になってしまいました。

〝温泉に入りのんびり母子猿〟

新聞にいい言葉を発見! 心と体が元気になる人生講話。『小さな希望を持ち続ける─これが上手な生き方なんです』。そうだ! ばあちゃんになったって希望はある。希望と共に歩んで行こう! ランラン。「生きがいのある生活」とは自分には役割があると思うこと。自分はまだ有用であるという意識を持つことです。持つより与える人生が豊かな人生。なるほど……。落ち込んだ私が中学の孫娘に「おばあちゃん。ポジティブに生きなきゃ。笑って生きなきゃいけないよ」と励まされた。そうなんだ。ポジティブ・ポジティブ……。頑張ろう♪ まずは健康に気をつけて良きお年でありますように……。とやっと送ったご返事は便箋に3枚と折鶴が1羽入っておりました。退院後半年もの間こんな私のことをずっとずっと気にかけて下さっていたとのことで胸のつかえがおりたようです……と。本当に短い間の御縁でしたのに……嬉しかったです。○○さんは発病された時はショックを受け命と向き合う経験をし命を真剣に考えたと……。これからの人生くよくよ生きるも明るく生活するも同じ人生、くよくよ思い悩むことで気持ちも暗くなり私を取り巻くまわりの人達も……そう思うと明るく自分らしく生活することで元気になれるような気がしますとあり、私も本当にそうだと思いました。

私は私だけではないんですね。まわりのみんなもからめての私なんですね。○○さんのお便りに書かれた素晴らしい考え方、あの優しい笑顔、この世にも観音様はいらっしゃると聞いてはいますが、○○さんのような方が観音様でいらっしゃるような気がします。あの方のように生きることができたらどんなに幸せでしょう。私もこれから辛い病気を心の糧として少しずつでもよりよく生活していきたいと思います。お念仏をお称えして……。「明るく元気に歳を重ねていきたい」とおっしゃる○○さんのご健康とお幸せをお祈りさせていただいております。

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