西蓮寺例会
内藤規利子
西蓮寺は沈丁花が咲き枝垂梅が…。あっ! 見事に咲く梅に「あのこ急に大きくなったんじゃないの?」と思わず言っていました。2月28日大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法話のかわりにラジオの講演を聞きました。飲酒運転撲滅活動アドバイザーの方のお話です。お話の一部です。
平成11年2月、長男が飲酒運転の車にお友達と一緒に命を奪われてしまいました。当日私は読み聞かせのボランティアのため早く家を出るので、寝ていた長男のお尻をパンとたたいて「今日は母ちゃん早く家を出るよ」と言い、顔も見ず声も聞かず「朝御飯はここよ」と言って家を出ました。夜中電話で「息子さん事故に遇いました。即死です」と聞きました。病院では包帯でぐるぐる巻きにされて、何で死んだか分からんくらいにニッコリ笑っていました。
朝になってマスコミの方から飲酒運転の車に轢かれたことを知りました。その時一緒にいたお友達も亡くなったと知りました。記者の方から「お母さん、新聞にいくら書いても飲酒運転が無くならないんですよ。だから頑張ってインタビューに答えていただけませんか」。テレビカメラの前に踏ん張って「何も悪いことをしていない二人があっという間に命を奪われる飲酒運転は無差別殺人と一緒です」とふるえながら答えたのが全国のニュースになったと後で聞きました。
長男はマラソン大会に出ることになっていましたが中止となり、中には「仇討に行くぞ」という生徒も出て先生は必死で止め生徒達は葬儀場へ行きました。飲酒運転の事故と知り、彼らも怒りのぶつけようがなく壁に頭や手をぶつける大きな音が沢山しました。
亡くなってしまった二人が一番伝えたいことがあったとしたら、私に教えたいことがあったとすれば、明日が当たり前に来るということは無いということ、そして今こうやって皆さんと共に生きている瞬間瞬間が、まるで奇跡に近いようなステキな時間だからこそ、私達はその奇跡の時間を一生懸命生きぬいていかなければいけないということを二人に教えてもらったような気がしました。
「俺達友達が沢山いるっちゃ」という彼らの口癖どうりに、お通夜とお葬式には千五百人もの方に来ていただいて私びっくりしたんですよ。だってたった16年しか生きていないのに彼らは凄いと思いました。
長男の事故から心に決めたことがあるんです。それは「ありがとう」「ごめんなさい」はその日のうちに相手に伝えていこう。そして「いってらっしゃい」と「行ってきます」は相手の顔をちゃんと見て無事に帰っての願いを込めてちゃんと言おうと心に決めて、今主人、事務所の皆さん達とも必ず声をかけています。そうやって彼らから教えてもらったことは沢山あるんだなって今でも思っています。千五百人の方の後には10人・20人の皆さんがいて、その皆さんと一緒に飲酒運転撲滅への声をあげていただく。お酒を飲んで運転するということは人の命を奪う大変危険な行為であるということを知っていただく活動をしますというのが私の出棺の挨拶になってしまいました。
その日からいろんなことが目まぐるしくありました。私は朝から晩まで泣いてばかりいました。判決の日、彼らの同級生が「おばちゃん被害者を出さないのは当たり前でも本当に大事なのは加害者を作らないことだ…」と言い私も本当にそうだと思いました。被害者は亡くなってしまった彼らと家族だけではなく彼らの何十何百人という友達がとんでもない苦しみを今でも背負いながら生きています。加害者の回りにいる方もある意味被害者なのかもしれません。「加害者をつくらない」。皆様方のお力をお借りして一人でも飲酒運転をしない皆さんを増やしていく。そんな活動が社会を少しずつかえていく大きな動きになるのではないかと思い皆様にお願いを込めてお話しさせていただいています。
講演の後に皆さんにしていただいていることがあるんですよ。飲酒運転だけではなく子供達高齢者の事故も皆さんの回りの交通事故も全部0(ゼロ)になるように共に声をあげていきたいと思います。
皆さんの目ざすのは「飲酒運転ゼロ」。ありがとうございました。
ここからは内藤のことです
上の妹から絵手紙の年賀状が届きました。ラグビーの五郎丸選手の五郎丸ポーズをしたお猿の絵にさる年、病いが去る悩み事がさる空っぽになったら〝いいこと〟一杯入るようにとあり、又節分の頃かわいい赤鬼の絵にどんな苦しいことも負けるなとあり、その頃私は薬の副作用で手指がひび割れ痛みがありました。ある日心配なことがあって…。「心配するなお任せお任せ」と思ってはいたのですが指が化膿してしまい心配って体のために悪いんだなぁって思いました。その日から包帯をして両手にゴム手袋をしての家事は何とも不便この上ないことでした。他にも副作用が出て妹の絵手紙に励まされました。50日ほどでやっと包帯がとれ水に手がつけられ何とも嬉しく当たり前でなかったんだとまたまた思いを深くしました。私の余命がどのくらいあるか分かりませんがお念仏をお称えして頑張りたいと思います。