西蓮寺例会
内藤規利子
西蓮寺は木々の緑が深くなっていました。アメリカディゴが咲き始め、ツツジ、いろんな紫陽花が咲き、この前きれいに咲いていた菩提樹がかわいい実を付け、桃も梅も実がなっていました。キボウシがスーッと一本長く伸びて咲き目立っていました。書院には紫陽花が豪華に活けてありました。5月29日大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。
「のりのいと」弁栄上人のお言葉に曲が付けられて弁栄上人のお言葉がいつまでも忘れられないように後の世の人のために残されておる。誠に有難いことだと思います。
のりのいと
あみだほとけの法のいと
心の玉につらぬきて
みなもろともにのちの世は
同じはちすの身とならば
御教えの長く続く糸がずぅ~っと後の人までも続いていってそれで同じのりの糸が自分の中にも来ているということが分かることが大事。分からなかったらそんなもの来たって言ったら「あぁそう」と言って他の事をやってしまう。自分の中にちゃんとそれが伝わっているなという心が、あぁそんなことだったなぁということが少しでも思えたらそこで思わず南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏というお念仏の形になりますね。
念仏の念は思うこと、思うということは仏を思うことですよ。仏様がちゃんとここへ来ていて下さるということを思う手立ての一番身近なところで一番簡単でしかも一番深いのは南無阿弥陀仏のお念仏ですよ。これを弁栄上人が一生かけて皆に分かるようにしておかなければいけないということでこのお歌を作って下さったんですよ。
この露の身はここかしこ
しばしがほどは別るとも
心はずずの緒を通ほし
同じさとりの身とならん
我々の命は本当に露だね。露はお陽様が昇ってだんだん暑くなってくるといつの間にか無くなってしまう。そんなものあったかなぁというくらいに別れるということが誰にでもあるんだけれど、しかも心はずずの緒を通し心を通して自分の体全体に阿弥陀様のお陰様でこうやって生かさせてもらっていることが分かってくると、もう明日はどういうことが起ころうともそれは又明日のこととしておく。今のこの時間を生きがいのある私を今日も生きる一番大事なことをさせてもらわないかんな、それが南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏ということになって結晶するんですよ。そういうものをずっと続けてのりの糸が続いていくようにできているんですよ。
孫娘が初めてピアノを弾いて「心田田植歌」「水の流」「のりのいと」(2番まで)を皆でうたいました。
ここから内藤のことです
昨年の今頃肺癌発病! ステージ4。何で又~。まだ人生勉強することがあったんだ…。と納得。今までに抗がん剤で半分以上小さくなった肺癌が抗がん剤が効かなくなり悪化したことも経験し、今は次の薬を飲み始めて半年、副作用も随分治まって先生の「この薬が効かなくなることもあります。」の言葉に不安はありますが今は元気なんです。先日床に入ってから自分のすぐそこにあるかもしれない命の終わりのこと、他にも大きな考え事があって頭の中がこんがらがってきて「ダメだダメだ!お任せお任せ!」と思ってお念仏を称えていましたがこんがらがりはほどけない。えい! 起きてしまおう。三昧仏様の前でしばらくお念仏を称えていましたがそのうちひかり誌のある記事のことが気になって2年間分を出して広げて見ていたらあれ? どうしたんだろう? 先刻まで物凄く気になっていたことが状態は全く変わりがないのに全然気にならなくなってしまいました。主人が起きて「何かゴソゴソしているけれど眠れないの?」と。「今まで少しも眠れていないんだわ」と答えたもののいつもならブツブツと言っていろいろ聞いてもらっているけれど何~にも言うことが無くなっていました。ひかり誌の表紙の弁栄聖者の描かれた20枚以上もの御絵像が自然に目に入っていて絵にも癒されたのでしょうか。私の心は先刻までの心配ごとが無かったように晴れやかになっていました。お上人様方がよくおっしゃっていました。「お念仏を称えていても苦が無くなるのではありません、そのままで苦が苦でなくなるのです」と。本当にそうなんだと思いました。私のことだから又いつ暗雲が心の中に立ちこめるか分かりませんがどんな時でもお念仏をお称えしていかなければ…と思いを深くしました。
5日程前東山動植物園へ主人と娘と行きました。三人の珍道中いい思い出になりました。帰宅した時、万歩計は2万歩を越えていました。よく歩きました。お陰様です。
南無阿弥陀仏