光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成28年8月

西蓮寺例会

内藤規利子

 西蓮寺には芙蓉、白いサルスベリ、アメリカディゴが咲き、夾竹桃もきれいでした。鉢植えの青紫のテッセンが健気に咲いていました。7月17日大田敬光上人御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。
 浄土宗のお経と礼拝儀を皆でおあげしました。
 「懺悔偈」「至心に懺悔す」
 あぁこれはよくないことをしちゃったなぁ…罪作りなことね、そういうことを今ここで心から仏様の前に洗いざらい自分の間違いをこういうことをしてはいかん、こんなことは今までになにげなしにやったこともあるだろうけれどあぁよくないことだと思いますのでこれからはこういう自分でないようになりたいと思いますのでこういうことを見そなわして下さいという内容になっているんですね。それがサンゲという。罪を悔いるということは非常に大事なことでこういうことができるということがないと心の中にだんだん自分のやったことが積み重なってくるとやりきれない気持ちになってね、ついつい悪いことでも平気でやる自分になるし、又このやったことで自分はこんなになっちゃって救いが無いということで自分自身が何とも情け無い状況になってきて誰かに聞いてもらいたいという気持ちが出てくるとキリスト教の教会なんかでは神父さんがちゃんと心得ていて人々の心の悩みを解決させてあげなきゃいかんということで大きい教会の中はちゃんとザンゲする場所があります。神父さんと一対一で話し合う、こういうことでこんなことをしました。どうしたらいいんでしょうか、本当に人間の悩みというものは皆んな抱え込んでいるから人に相談してね、私の悩みを何とか少しでも軽くしてもらえないかという気持ちがあるからそれに応える教会のあり方がキリスト教にはありますね。仏教はサンゲということでサンゲ文を称えて少しでもそういう間違いのない自分になるように仏様のお力でさせていただきたいという願いを込めて称える言葉が大事なことです。
 奥様のオルガンで聖夜を皆でうたいました。

ここから内藤のことです
七夕祭の日、昨年の今日は治療のため入院した日だなぁと思って病院へ。待合室では弁栄聖者のお慈悲の便りを読んでいました。

 「病気も恩寵」
 「いつでも大ミオヤの大きな広い広い慈悲の懐の中に在るということをおもいたまえ。そして病気のことを思い出したならば、すぐに南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と称えてオヤさま守りたまえと祈りなされよ。むかし永観律師という高僧は天子さまの御戒師となりなされた御方であったけれども、平生御病見であった。それにつきて自ら言いなされた。病いは善知識である。全く自分の信仰の強く発ったのは病気のためであった。ために無量永劫、助かる心の発りしも、病気の故とおもえば、病気も恩寵であるといわれしとぞ覚ゆれ」とありました。
 予約の番号が出て中待合室に入ると先月号で書いた○○さんに会って早速お薬が効いたか聞いてみると「お薬が効いているの」と。「よかったですね!」ととても嬉しくなりました。「お薬が効かなかったらもう終わりなの」とおっしゃっていた○○さん「これでしばらくは生きられる…。」と喜んでいました。私も先生から「レントゲンも血液の結果もいいし悪くなっている兆しもありません」と言っていただきよかった? ○○さんの気持ちがよく分かります。○○さんは「もうこの年まで生かしてもらったんだから感謝しかないよね、くよくよしても仕方がない…天命だからね」といつも明るく「又会いましょう!」とお別れしました。せっかく喜んでいたその日草木も眠る丑三つ時…。目を覚ますと息が苦しい!なんじゃこりゃ!。鼻が大分詰まっていたのです。口呼吸にしても何かおかしい…。こうして息苦しくなっていずれは息ができなくなってしまうんだなぁと思いました。普段は息をしていることすら気付かずにいる。たまに息ができてありがたいと思うことはありますが久し振りに息のできることに感謝の思いを深くしました。
 田中木叉上人様の御歌に

上もなきのぞみをとげる為の今日
息するなかれ念ぜぬ時は

とありますが「息するなかれ念ぜぬ時は」とはすごいことだと思います。私なんかついうかうかと日々を過ごしてしまいます。これではいけない、頑張らなくては…。
南無阿弥陀仏。

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