光明の生活を伝えつなごう

中部支部だより

中部支部 平成29年12月

西蓮寺例会

内藤規利子

 西蓮寺には先月と同じ薄がもう一ヶ月もたつというのにまだ若さを保っており羨ましい!なんて…。いつもは地味なホトトギスがきれいな色で咲いていてアレ!ホトトギスってこんなに綺麗だったっけ? そうかぁ、雨に濡れたせいなんだ!って思いました。書院には複雑に紅葉したハナミズキ、シュウメイギク、ホトトギスなどが活けられていてきれいでした。10月22日大田敬光上人様御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。
 

開経偈(お経を開く短い言葉)
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真実義

 2500年前にインドにお釈迦様が出られて35才までは迷っておられたが、35才で悟りを得られて仏陀になられ、それから45年間暑い所不便な所悟りの内容を話して歩かれた。お話の内容を一回聞いただけでおいとくのは勿体ない。頭に置いておいて次の人に教えていくと途中でだんだん分からなくなってしまい間違ったことが伝わってしまう。お釈迦様が亡くなってから、これは一字一句間違わないように記憶しておくことは難しいからと文字で綴ったのがお経なんです。
 私からお願いして藤堂俊章上人様が編集された弁栄聖者のお慈悲の便りをお読み下さいました。
  忍び通す 第二十六
 アア、ミオヤよ、如来よ。アナタの聖なる御こころをもて我にそそぎたまえ。アナタのあたたかなる御慈悲をもて我に安慰を与えたまえ。アナタの聖き光をもて我が罪を清めたまえ。アナタの天地万物にのこらず持ちたまう強きみ力をもて私共の弱き心に力を与えたまえ。我々如き心の弱きものに力を与えんがために、アナタは大願(大きな願い)をおこしたまう。アア、ミオヤよ。いかなることをも忍ぶことをうる力を与えたまえと。尊き御名をとなえていのるとき、アナタの御力はこなたの心を助けたまう。尊き御名をとなえてお慈悲を感じ、いかなることも忍び通して後にこそ、まことにまことに、深き深きミオヤのお慈悲はたしかめられるのであります。
 弁栄聖者が南無阿弥陀仏の教えの大事なところを易しい言葉でまとめて下さっている。アナタと、ミオヤという言葉はお釈迦様の教えの中で阿弥陀様ということをおっしゃっています。
 奥様のオルガン(今日のは弁栄聖者がお弾きになったというオルガンと同じような小型のもので弾いて下さいました)で「ちかいのうた」「不断光」を皆でうたいました。
ここからは内藤のことです。
 私は不足してしまった塩分を大分頑張ってとり平常値の下までようやくこぎ着けました。塩を沢山とるというのも結構大変です。まだ異常に眠いし疲れます。でも大分よくなっています。少し涼しくなってきたある日、息子が入っている小品盆栽会の盆栽展に主人と行きました。以前息子が案内の葉書をくれた時「お母さんは秋の盆栽展には行けないだろう」と思ったそうです。息子のは五鉢出品されていてその中のひとつ「前にお母さんにもらったのが形が出来てきたから出すよ」と言っていて深めの小さな鉢に「斑入りの豆蔦」が植わっていました。題が秋ふたたび~前略おふくろ様~とあり盆栽展には行けないだろうと思った息子がそれでも母に思いを寄せて準備したんだろうと思い涙が出ました。息子は先輩方と一緒に生き生きと楽しそうで良かったなぁと思いました。先輩方の盆栽は素晴らしくて「今日は早く帰る」と言っていたのに見入って長居してしまったほどです。小品盆栽を前にして先輩方のお話を聞くと何と奥が深い。何とも心を砕いて一生懸命に育てている。感心しました。そしてこんなにも熱心にお念仏をお称えすることができたら素晴らしいと思いました。帰宅して見た万歩計は一万八百歩、我ながらよく歩けた!と感心。でもくたびれたぁ!!次の日孫娘が入った「スケート教室」のあるスポーツランドで感謝祭がありエキシビションで鈴木明子さん、本郷理華さん他が来るという。いい機会だからと主人と行きいい席に座れて初めて本物のフィギュアスケートを見ることができました。この人達の努力は凄いものがあるという。それはそうでしょうオリンピックを目指しているのだから…。この人達のように真剣に高嶺を目指してお念仏をお称えすることができたら…。機根の悪い私は思ってしまいました。帰り際くじ引きで私は水筒、主人は大きなレジバッグが当たりルンルンで帰宅、万歩計は九千歩を越えていてよく歩けたなぁ。この間まで家の中を這っていた私とは思えません。涼しくなり過ごしやすくなってきました。お念仏をお称えして穏やかに暮らしていきたいと思います。

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