聖者から女性へのメッセージ
良に惟みれば光陰の過ゆくこといと疾し。もはや今年の半ばの月に入にけらし。其のち云何に在らせられ候哉。よろずの事は兎まれ角まれ、人生の一大事。人は宇宙の一大ミオヤより受たる霊性本具せり。大ミオヤの恩寵を被むりて霊性開け、おやと子との最も親しき心霊的冥合の霊感を得る時は、いつも大ミオヤのいと霊き光は子の心に照りわたりて、光明の生活に入ることを得らるなり。
大ミオヤのいと暖かなる慈愛の御手は、あなたの手を取らんとして伸し玉うて在ますことを慈覚なされませぬか。あなたが只信仰の手を心のどん底よりのばして出せば、必ずしかと大慈悲の御手を握ることは、必ずかたきにあらざるものを、あなたに自分の方より心の奥底より発しなさらぬために、いと霊に暖かなる慈愛の御手に摂められぬのでは有りませぬか。只あなたのために日も疾く大光明のなかに聖旨にかなう日暮しをなさるように御すすめ申します。
却説(※1)愚衲(※2)はあなたに対して深き希望を抱きて居ります。あなたが之を容る哉いかがかは、一は大ミオヤの聖旨とまた世に謂ゆる因縁のしからしむる処と存候。其は他にあらず、あなたに我日本国民の現代精神が単に物質の方面にのみ酔うて、最も貴重なる霊を忘れて居るもの皆然らざるはなきが如し。此時に当りて我らは現代及び将来霊を救うべき道の為に専ら犠牲と為て尽瘁(※3)せんとす。(中略)
愚衲よりあなたに希望する処は、あなたが其方の内助者と為りて理想的の家庭を造り、将来仏教家及び信者の為に模範とも為るべきように為りていただき度とおもい候。
※1 話題を改めるために文頭におく言葉。「さて」「そこで」の意。(『大辞林』より)
※2 僧侶が自分を謙遜して用いる表現。「衲」は僧侶の衣や袈裟を表す。
※3 (「瘁」は病み疲れる意)一所懸命に力を尽くして労苦すること。(『広辞苑』より)