光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 時代

山本 サチ子

 冬の寒さが春一番の風と共に遠のいて行った。寒さは、身も心も引き締めて人を鍛え上げる良さを備えている。ここ数日は南風が吹き温かく、過ごしやすい気候が続いている。二月にしては暖かすぎるが、ようやく春の訪れを感じることが出来た。春の天候は目まぐるしい。油断は禁物の気持ちで過ごしたい。 

〈人が時代を作る〉

 人が時代を作るとは大げさなようであるが、どのような時代に生まれ、育ち、成長していったかが人造りに大きな影響を及ぼす。明治維新以降、特に世の中が大きく変わった。その当時に生まれた人はどんなにか苦労が大きかったであろうと思うと心が痛む。もし自分が鎌倉時代や明治初期に生まれていたならば大変な人生を送ったであろうと思う。当時に生きた人々には申し訳ないがそんな勝手な想像をしてしまう。農耕作業が機械化されず、鉄道が開かれていなかった事を考えても、当時の苦労は現代と比べて山ほどの違いがある。昔はすべてが手作業であり体を使った重労働であった。現代の様に機械化が進み今では世界中が数秒でインターネットで繋がり世界の情報が見える。そんな時代を人は科学技術の進化を通して作りあげてきた。

 人類の努力は凄まじい。その結果、宇宙開発も進み、数え切れない程あらゆる分野で科学、産業、医療、交通機関、文化等が発達した。何と便利な世の中になったのであろうか。私の子供時代は東京の親戚の家に行くためには電車で福島から東京までの到着に丸一日を要した。今は新幹線で用事を済ませて日帰りが出来る時代である。車中で弁当を食べている時間もないまま、すぐに到着してしまう。東北新幹線が出来た時、人々は万歳三唱をして喜んだ。
 田舎の生活は車社会や電化製品の発達により都市に住む人達に負けないと思われるほどの快適な生活が手に入った。広い生活空間は「心身共に快適さ」を後押ししてくれた。そうした環境の中に置かれ「どう生き心の平安を求めるか」で幸福度も決まるのかも知れない。大自然を身近に感じながら生活するか、都会の華やかさが素晴らしいとして居場所を選ぶか、選択は人それぞれであるからこのことは甲乙つけがたい。生活スタイルは色々だが現代社会で暮らす人間が他人とどう向き合うかというところでは昔とかなり事情が異なってきている。

〈周囲へのこころ配り〉

 都会、田舎に住むは関係なく最近ではかなり自己の「こころのおきどころ」が難しくなってきている。そう考えたとき、例えば光明会であれば「別時念仏」で心を整える方法などがある。「別時念仏」は研修と修養の織りなす環境が大切であり、その中で「心をどのように作るか実践と修養」が必要になって来る。
 このように敢えて環境作りをして修養していくことが大切に思われる。ただ社会全体にこの方法を適用することは困難である。世界中のニュースでも明白であるが自己を取り巻く周囲との人間関係は国を問わず全体的に希薄になってきている。要因はいくつもあるが子供の遊び一つをとってもゲームでの一人遊びが多く、昔ながらの戸外での遊びは激減している。子供の多かった時代、そして社会全体が周囲に声をかけて生活してきたような風習は、もうとうの昔の話になってしまった。自分の子供時代を思い起こすなら学校帰りから家に着くまで何人もの、おじちゃん、おばちゃんが「あら、おかえりなさい! 今日は少し早いんじゃね!」とか、ランドセルを背負い畑の土手で四つ葉のクローバーを探していると、「道草してねで家に帰ってからまた来せ!」 などと言われた。沢山のことばをかけてもらい自宅に着くまで数人の人と「ことば」が交わされていた。そんな時代だった。当時は気が付かなかったけれど今、当時を振り返ると地域の大人に「守られていたのだなぁ」と懐かしく思い出される。 

〈自己をどう作り上げるか〉

 目まぐるしい社会の中で「自己をどのように作り上げるか」は個人によりみな違ってくる。生きて行くうえで試練は人生につきものであり、それは人生の問いでもある。であるからこそ周囲と向き合って生きる力を養っていかねばと思う。苦悩を「バネ」にして前進していく力を蓄える絶好のチャンスと捉えて生きる。でなければ社会の荒波を乗り越えていくことは難しい。もがいて生きる人の力になるにはどんな方法があるのか?
 各会所で特に若い人向けの呼び込みが重要となると思う。
 けれど「美辞麗句」をならべても単なる説教にしか思わないのだとしたら、若者がどんな「言葉」に惹かれるのかを考え、標語を作成することも良い。
 今、世界の戦時下の中で若者が戦争をどう考えているのか? 命をどう考えているのか、老いも若きも標語が共通するもの、まずは原点に戻り考えていく。そこが大切なネックになる気がする。現代はインターネットの時代である。インターネットを使い呼び掛けることも良い。極端な意見かも知れないが、つれづれなるままに私はこんなとりとめのないことを毎日思いめぐらしている。

〈結び〉

 人それぞれが生まれる家や時代を選び世の中に生まれ出てきたわけではない。いつの時代にも、どんな家に生まれてもそこで「自分がどう生きるか」を考え自分を作り上げていかなければならない。貧富の差があり、あるいは酷い環境の中に置かれたとしても、そこから立ち上がる力が必要となる。
 同時にこのことは社会全体で考慮していく大きな課題でもある。
 ただ、社会全体に「おまかせではなく私達一人一人がどうすれば良いのか?どうしたいのか?」を模索して支え合う社会にしたい。
 世界のあちらこちらで戦争が起きている。今起きている戦争は宗教戦争だと語る人がいる。しかし、私はそうは思わない。単に領土の奪い合いにしか見えない。宗教は人を守り、世の中全体の幸福を作ることが使命であると思うからだ。
 人間を自然の分子の一つと考えるならば、すべての分子は時間軸を越えて永遠に互いにつながっている。他者との関係を大切にしていかねばならないのではないか?
 これは自分一人が思いを語っても解決しない問題である。そのために何をどうしていくのかを考え実行できたならば素晴らしい事だと思う。山崎弁栄上人の御教えが、真実であることを皆さまと共に実感し、伝えていきたいと思います。
 合掌

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