光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 念仏と共に

山本 サチ子

〈失われた安全〉

 真夏のあの猛暑日からあまり秋の気配を感じることなく12月も目前である。日本は季節がハッキリとわかれ、情緒ある四季折々の風雅な眺めが見られていた。だが今年は例年の気候とは打って変わり、季節の変化があまり感じられず、これまでのような秋の夕暮れの物悲しさはない。
 いつもの秋ならば、もみじの紅葉や地面には落葉のじゅうたんが敷かれ幻想的な景色が見られるのだが…。11月というこの季節は秋景色が無いまま冬に突入するようである。と思っていたその矢先である。一通のメールが入った。
 そこには「お月さまがきれいだよ! おばあちゃんも見た?」と七歳の孫からのメッセージが記されていた。「見たよ! 綺麗なお月さまだね。来週、ピアノのレッスン日に行ったとき、また月の話をしようね」とメールを返信する。…たわいのないことだが、こんなやりとりが心を満たしてくれる。
 そうだ、今夜は十三夜、月が煌々と輝いている。満月には十三夜と十五夜の二つがある。十五夜が中国の風習であるのに対し、十三夜は日本で始まった風習だ。昔の人々の生活と月は密接に繋がっていたのだ。
 十三夜の今夜の月には中秋を感じた。ありがたく思う。科学が発達した時代にお月さまの話かと思われるかもしれないが、私は今の時代だからこそ子供たちとたくさん自然の話がしたいと思っている。
 仕事でピアノ教室の送迎ができない母親に代わり、私がいつも孫に付き添って教室に通う。昔ならば送迎などなくともひとりで行けたろうに今は本当に油断できない時代である。日本は治安が良く安全な国であったはずなのに世の中全体が危険にさらされてきている。子供を守ることは社会全体の大仕事となった。

〈子供に話し聞かせたい事〉

 私は、以前のひかり誌(2023年3月号)に「春」のテーマで自分の幼き頃の自然と生活について書いた。そんな話を孫やその従妹たちにも話して聞かせたいと思い話をする。孫と手を繋いで買い物に行く途中や、外遊びの合間に少しずつ語り聞かせる。案外に興味を持って聞いてくれるのだ。どうやら「おとぎ話」の様に聞こえることもあるらしい。それでもきちんと頷きながら聴いているからまんざらでもないようだ。眼を輝かせて聴いてくれる話は、田舎で動物を沢山飼育していたことや田んぼや畑仕事の話などで、「やってみたい」と言うから興味があるようだ。土と向き合う仕事がどんなに大変かを知らないから憧れるのであろうと思う。
 この間、チューリップの球根を植え付ける作業を一緒にした。思いのほか、大喜びだった。シャベルで一生懸命に土を掘り、そっと優しく植えた。
 「春になったらチューリップさんが芽を出してくるね!チューリップさん、はやく咲くといいなぁ」と言いながら楽しそうだ。特別の出来事ではないがそんな触れ合いを大切にしていきたいと思う。
 日常生活が楽しいと思うたびに戦争をしている国々の人々、そして子供達の悲惨さが頭をかすめる。他人事ですまされる問題ではない。戦争は老人や子供の犠牲者があまりにも多く心も体もボロボロになるからだ。はやく戦争が終わればよい。私は何をどうすればいいのか分からずに頭がいっぱいになった。

〈葛藤〉

 光明主義の御教えを知り、半世紀以上が経った。これまで光明主義が素晴らしいことを知人に紹介してきた。そして今までの自分の生活を静かに考えてみた。すると頭でっかちな自分が見えてくる。恥ずかしいことばかりだ。けれど過ぎてしまった時間は取り戻せない。いくら反省しても反省だけで終わらせてはいけない。と考え「よぉし! もっと頑張り光明の生活をしなければ」…と思うのだがもう一つの心の声が囁く。「定年まで懸命に働いてきたのだ。いい加減に楽な生活をすればよい。」すると、またまたもう一方で声がする。「人は生きている限り仏の教えの生活をするべきだ。」…と。
 こんな心の葛藤が続き分からなくなるときは、如来様のお絵像に向かい如来様に相談してみる。お絵像をしばらく見つめているとまた如来様の声がするようだ。
 「これまで勤務があるからと念仏の実践を大目に見てきたのだ。いま真剣に念仏を申さずしてどうするのか。余計なことを考えずに念仏すべし」との声が聞こえる。そうであった。なんて愚かな私なのであろうか。愚か者は今始まったわけではない。昔からそうであった。成長しない自分が情けない。けれどもマイナスの声ばかり聞いていても、どうにもならないではないか。
 やはり前向きに「ただ一向に念仏すべし」と我が身を励ましながらの生活である。

〈結び〉

 『礼拝儀』には心のことが沢山でてくる。
 「慈悲、正義、剛毅、謙遜」等、私はどれか一つでもこの心を「仏さまに育ててください」と祈りながら南無阿弥陀仏を称え、光明主義を実践しようと思ったあの日から数十年が経つ。
 かつて、河波定昌先生は法話の中で、
 「宗教は多種多様であり宗教によって戦争が起こっている」と語られました。キリスト教も壮絶な戦いをして30年戦争が起こっている。この時ドイツの人口は半分に減少したとも言われている。」
 「法然上人は八宗九宗皆我が宗(浄土宗)と説き、天台宗も真言宗も皆、浄土宗(仏法)であると言われている。そして弁栄聖者においても『法華経』と『無量寿経』が一体化していくところを『礼拝儀』の中で「本迹不二なる霊体の無量寿王に帰命せん」と説かれています。これは光明主義の極めて重要なところであります。禅と念仏など、他の仏教宗派とずっと対立してきましたが弁栄聖者によって統一がなされている。」
 「また弁栄聖者が『霊性』ということばを使うことにより世界宗教が開けて行ったのです。「仏性・如来蔵」を「霊性」ということばに置き換えるとキリスト教と仏教の対立をも超えていくことになります。そのことはヨーロッパでの第二バチカン公会議(1962~1965)で仏教の心理がキリスト教の中にもあるとされました。宗派にとらわれているから阿弥陀様の実体が解らない。仏教の中にもキリスト教があるといった弁栄聖者の教えは普遍的です。「天に在す我らが父よ」と「三身即一に在す最と尊き唯一の如来よ」は皆共通であります。」
…とこのように語られているのを私の「法話ノート」に記しています。
 
 心の迷いが生じた時に私は時々これまでの「法話ノート」を開き読み、気持ちを安定させます。心をもう一度新たにして「南無阿弥陀仏」を称える。
 これが心の一番の安定剤となり癒される。煩悩でガチガチになっている自分ではあるが弁栄聖者が生涯を掛けてお説きになった光明主義を周囲の人々に一人でも多くの人に知らせていきたい。「対立」や「戦争」から、「慈悲」などの徳を育む、それが私の使命であると考えている。
 
  日にあらた日々に新たに改めむ
   断へぬ光に照さるる身は (弁栄上人詠)
  合 掌

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