光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 地球はきれいだからいっぱい遊んでね

石川 ゆき絵

 音楽が好きで高校生の時からバンドを組んで歌っていた。最初に組んだバンドは「ガガーリン」と名づけた。「地球は青かった」と言った世界初の宇宙飛行士の名前だ。
 二〇二四年春。桜の咲く頃、故郷福岡に急遽一時帰国した。青い地球を半周し会いたい人に会いに行き、青い地球を半周しここブラジルに帰ってきた。友人が航空券を買ってくれたのはブラジルを出発する二日前だった。大慌てで決まった旅。今回はこの一時帰国について綴ろうと思う。
 急な帰国の目的は、病で弱っている友人・美和ちゃんを見舞うこと。一年前に「余命は三ヶ月後の夏」と医師に告げられた彼女は、化学療法を断り、自然農法で自ら育てた野菜を食し、畑の土に触れ活き活きにこにこと福岡で田舎暮らしをしていた。
 科学の進歩により様々なことが予測できるようになった。いい面もあるが、わるい面もあると思う。「○年生存率○パーセント」とか、「余命○ヶ月」とか数値化することによって自己暗示をしてしまい、暗くなったり、その通りになってしまうこともあるかもしれない。余命宣告にはもちろん怯えた。しかし私たちは、恐怖に負けまいと、明るい光をたぐりよせることに情熱を注いだ。偽薬(プラセボ)が効いた、という話の方が信じられたし、私の友人の父は余命半年の肝がんを本人は知らされずにいて二十年間生きたし、美和ちゃんは夏を越し秋を越し冬を越したのだ。
 美和ちゃんと私はラインやズームなどインターネットのビデオ通話で頻繁に会話した。彼女の病状は快方に向かい、一時期は固形物が再び食べることができるまでになっていた。「食は命」を身をもって体感した美和ちゃんは、料理することが大好きで、自身が食べることができない時期にも家族のためにたくさんのごちそうを作っていた。私のために種を収穫し、ブラジルに送ってくれもした。
 ビデオ通話で話すほかに、私は毎日歌を歌った。太陽が沈む西の空に向かって、朝日が昇る日本に向けて、私たちが共通に愛する音楽・レゲエ(ジャマイカの音楽)のリズムにのせてオリジナルの曲を歌った。夫はギターを弾いた。

 会いにいくよ 桃色の雲にのって
 西へ西へ 翌朝の君のとなりに 
 東の空がだいだいに染まるとき
 窓をあけて待ってて♬

 美和ちゃんとはレゲエ好き以外にも共通点があった。ブラジルだ。彼女はブラジルで生まれた。両親は日本からブラジルに移民した日系一世。彼女が生まれてまもなく一家は福岡に帰国したのだが、彼女たち家族はしょっちゅうブラジルと日本を行き来していた。
 彼女は糸島の自分の畑で、ブラジルの芋・マカシェイラを作ることに成功した。その芋を使ったブラジル料理・コシーニャも作った。コシーニャは円錐型のコロッケ。もちもちのマカシェイラ芋で包むことによりえも言われぬ美味になる。子どもの頃ブラジルでコシーニャを食べて育った美和ちゃんが作るそれは、さぞ美味かったことだろう。
 夏が好きで太陽が大好きな美和ちゃんは、よくがんばって暗く冷たい冬を越した。畑に行けない日はしょんぼりとしていたが、こころの中に光を常に抱いていた。明るいイメージ、明るい光をいつも胸に携えていた。ようやく春が近づいた頃、ほっと一安心かと思いきや、病状が悪化した。
 福岡県は糸島半島。訪れるとびしびしと感じるが、ここは聖地だ。この聖地にわたしが会いに行った美和ちゃんは、病がつらそうではあったけれど、澄んだ水面に映るような美しい光が目の中にあった。美和ちゃんの好きな花・桜が満開だった。桜の気配の中の美和ちゃんはやわらかく美しかった。ベランダの鉢ではマカシェイラの種木がすくすくと育っていた。もうすぐ畑の畝に移植するのだ。泣いて笑って抱き合って再会を喜んだ。美和ちゃんが煎れてくれたお茶はとても美味しかった。
 この日の夜、美和ちゃんは緩和ケアに緊急入院した。数日間、連絡が途絶えた。
 ブラジルに帰る前に病院に会いにいった美和ちゃんは、もうろうとした意識の中で「地球はきれいだからいっぱい遊んでね」という言葉をくれた。ガガーリンが見たように、このとき美和ちゃんはもう自由自在に空を飛んで、地球を見ていたのだろう。
 死にかたも死ぬときも選ぶことはできない。美和ちゃんはようくようくがんばった。彼女はつねづね言っていた。「死ぬのはこわくない。苦痛で腐って大切な人を傷つけるのがこわい」と。美和ちゃんは腐らなかった。気絶するほどの痛みに見舞われてお母さんに二回弱音を吐いたが、腐らなかった。
 大谷仙界上人は自身の棺桶の蓋に「南無阿弥陀仏 死して行く用意の棺と思うなよ 生まれし時の産湯盥よ」と書き西方へと往かれた。美和ちゃんはその大谷仙界上人と同じだ。産湯盥に乗って飛びたった。私がブラジルに帰ってきた翌日だった。

 美和ちゃんは今どこにいるかな?
 江角弘道上人は娘さんを亡くした悲嘆にくれて、河波定昌上人に「わたしの娘はどこにいったのでしょうか」とたずねられた。河波先生は「お嬢様は、観音様ですね。」とだけ、お答えになった。そのときの江角上人のお気持ちは「娘は観世音菩薩さまとなってわたしや妻を導いている。だがしかし、そんな尊い菩薩様などになってもらわんでいい。戻ってきてほしい」だった。
 「私たちは通常、自己を中心に考えているけれど、自己を超えて考えるとき新しい視点が見えてくる。親子、兄弟、友人、親類などの関係も個人的なレベルを超えて、人間と石、木、川、風、そして太陽・宇宙などまで広げて考えると、そこが、仏さまと出会えるところになる。その時、本当に自由になり、大きな安らぎが出てくる。」(※「グリーフケアについて」から引用)
 自己を超えたイメージは、風のイメージを想い起こさせる。風は、人や物に触れ、連れ運び、時にはやさしく時には激しく、一ケ所に長く留まることがない。
 「いちばん好きな花は何?」
 「さくら!」
と答えた美和ちゃんは、桜の花びらとともに風にのって飛び立った。

 裸の木から 桜の花が
 いくつ咲くの
 千の手でも数えきれない
 千の手でも掬いきれない
 千の手で泳ごう♬

 そしてわたしはようやく気づく。会いに行ったんじゃなくて迎えに行ったんだ、と。
 観音さまとなった美和ちゃんは、大空を飛んでわたしとともにブラジルに帰ってきた。千の風になって。
 三日月型の目でいたずらっぽくにこにこ笑ってる美和ちゃんが目の前にいる。わたしが一周した地球は本当に美しかった。

 音のしているところに
 死なない君がいる
 笑って歌って手をたたいて
 いつでも会いに行くよ
 いつでも迎えに行くよ♬

※枠内文字 ― 石川ゆき絵オリジナル曲『会いにいくよ』より

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