三上明光
幼い頃より、光明会のお念仏の声に守られ、育てていただき、私も祖父の横に座り、お念仏を称え、『礼拝儀』を大きな声で称えておりました。幼い私の体の中には、いつもお念仏が心地よく響いておりました。今思いますと、人としての土台が出来る、純真無垢な、大切な幼少期より、素晴らしい環境の中で育てていただいた両親、祖父母に深く感謝しております。
祖父が弁栄聖者の御法話を聴き、父へ、私へと法の糸で繋がり、お念仏の日暮らしの中で、大いなる阿弥陀様のお慈悲の光に包まれて、日々お育て、お導きをいただいております事、喜びにたえません。人として生を受け、光明生活を送れます事、誠に幸せ者でございます。
私の生き方に大きな影響を与えてくれました祖父は、私が高校一年の秋、往生いたしました。亡くなる前日、夕食を一緒に済ませ、床についた祖父、翌朝「行ってきます」と寝ております祖父の顔を見た瞬間、仏様だと思いました。祖父の往生はその直後でございました。それから四十九日経った夜の事。私が廊下を歩いておりますと、ザワザワと物音が聴こえましたので、庭の方を振り返って見ますと、真っ暗な庭の池の上に雲が浮かんでおり、仏様になった祖父が手を合わせておりました。その周りに、いくつかの雲が浮かび、菩薩様がおられました。今でもこの光景は、その時の空気と共に、はっきりと浮かびます。いつもお念仏を称え、光明生活を送り、お説教に出かけ、家庭的に恵まれない子ども達のために、児童養護施設を開設し、子ども達の幸せのために精進し、世のため人のために、仕事をしておりました私の尊敬する祖父が、仏様になって、その姿を私に視せてくれました。
私も尊いご縁により、僧侶になり、児童養護施設の母として、多くの子ども達の幸せを願い、世の中の平和を願い、世のため人のために精進させて頂いておりますが、私の力では、何ひとつ出来ません。量りしれないおかげを受けて日々活かさせていただいている事に感謝し、南無阿弥陀仏なむあみだぶつと、いつも阿弥陀様と一緒に暮らし、阿弥陀様にお任せ申し上げ、今を精進させていただいております。
そして、この世で精一杯精進し、極楽に往生しました際には、「精一杯精進し、今こちらにまいりました」と祖父に会う事が、私の最期の目的、この上ない喜びでございます。
物質的には豊かになっておりますが、親が子を殺し子が親を殺すなど、殺伐とした事件が多く、心の痛む事が多くございます。多くの人が心のより所を失い、光を失い、人としての正しい生き方を見失いがちな今日。いつでも、どこでも、誰でも阿弥陀様と一つになれるお念仏が、平和の光となって世の中を照らしてくれます。
人として生を受け、この人生学校で、大いなる阿弥陀様にお守り、お育ていただいている私達。なむあみだぶつの日暮らしの中で、お一人お一人なりに、心豊かに、実り多い人生を送られます事を願っております。