君は仏教の中に種々の方面に多く現はれておる観世音菩薩のいかなる聖者なるかを知り玉うか。彼の菩薩は種々の方面から見られておるけれども、私どもの、弥陀を中心本尊とする如来光明主義より観世昔菩薩を見る時はかようである。
彼の菩薩は宇宙唯一の尊き弥陀尊の法王子たると共に、また弥陀を尊信する諸の信仰家の代表的聖徒である。されば今君が如来の光明に依りて霊に復活し、常に弥陀の聖意を奉戴して、弥陀に献げたる心を以て、自己の職務を神聖とし、是みおやの使命として、勇み進みて潔よく仕うる心にて世に立つ時は、即ち是観世音の分身なると倶にいける観世音である。
観経にかように説いてある。若し誠に誠に弥陀を信念し弥陀の聖意の水に清められ心の花開きし者は即ち人間中の白蓮花である。蓮花は泥中より出でながら最も清浄皎潔にして麗わしき色と芳ばしき香とを呈しておる如くに、人は煩脳の泥中より聖き信仰心が咲き出づるは恰も泥中より出たる白蓮に比すべく、されば観世音菩薩も勢至菩薩も其が為めに勝友と為りて其人を愛護し玉ふ、いかにとなばれ其人は既に弥陀の子と生れたる者なればなりと。
視玉え、観世昔菩薩の尊像の宝冠に一の化仏を奉戴していますは即ち是れ大みおやなる弥陀尊なので、而して相好円満百福荘厳を以て人格を飾り、胸に金銀瑠璃宝石等を以て瓔珞として厳飾するは即ち智慧仁慈正義安忍剛毅謙遜貞操等の諸の道徳にして是れ全く人格を荘厳するの具である。然して有ゆる道徳の根本は、即ち弥陀の心光を信奉し慈悲を愛楽憶念し聖意の現はれを仰ぐ処のいときよき心である。
君、活ける観世音よ。宇宙の心霊界に輝ける弥陀の光明によりて霊に復活し玉へ。活ける観音として世に立ち玉へ。人生宇宙の主なる無量光の光明を以て自己の心光とし、みおやの使命を果さんが為めに、献身的に最善の努力をする者是れいける観世音なり。また観音の分身なり。