慧眼(えげん)・法眼(ほうげん)のどちらが頂けても、我が子や店員がこちらの言う事を余程よく聞くようになる。子に信心をすすめても聞かんものが、この体験を得て後に言うと、「そんならいっしょに行きましょうか」と言うようになる。婦人のおなかに子供が発育してくるのと同じ事である。愛情を通して、もって行くと、こちらの言う事を聞くようになる。「自分はどうなっても相手が喜ぶとよい」というのが愛情である。普通は、相手を道具にしている。相手に念が通じる。自分と人とは、日本とアメリカが地底でつながっているように、つながっている。それが「同体」です。相手の喜びをこちらが喜ぶのが「大悲」です。
『田中木叉上人御法話聴書 冨川茂 筆記編』