光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.34 あれから三十年 命の不思議(1)

袮次金 文子

私は子供の頃、「先天性心臓病で手術はできません。」と言われてきました。家族や周りの人たちからも「病弱な子」と言うレッテルを貼られましたが、本人は至って元気で日常の生活に支障は無く暮らすことができました。それが五十年近くなってから、手術を受けることになるなんて夢にも思っていませんでした。

運命の出会い

昭和56年に会社が多様化経営を始め、静岡の自社ビルに高級ブティックを開店することになったのです。当時、私は名古屋にいましたが、その新しい仕事のため静岡に転勤して来ました。オープンして間もなく、一人のお客様がお見えになり高額の商品をお買い上げ頂き、大変印象に残りました。その後何度もご来店下さり、いつしか私とも親しくお話しする間柄になったのです。聞くところによりますと、ご主人(東大の医学部)の仕事の関係で東京から転勤して来たが静岡は初めてで、知り合いもなく淋しい思いをしていますので時々寄らせて下さいとのことでした。

その頃、私は慣れない仕事で体調を崩してお店を休むことが多くなっていました。そのお客様Aさんは、私の体を大変心配して下さり、「一度病院で精密検査をして下さい。」としきりに勧めて下さいました。しかし、私は大の病院嫌いでしたから、良い返事が出来ないでいました。

何ヶ月か過ぎた頃、Aさんが「主人の知り合いの方が○○病院に居ますので、私はあなたの検査日を11月25日に決めてしまいました。私も同行しますので、是非一緒に行って下さい。」と言われました。ここ迄、心配をかけて断ることも出来ず、首に縄をつけて引きずられる思いで病院に行ったのです。その後、検査の結果もAさんが一緒に付き添って下さいました。

担当医は「あなたの心臓はポックリと死にませんよ。だんだん弱くなっていきます。心臓に十円玉位の大きな穴があいていて、よくここ迄生きてこられた。その事の方が不思議です。十代で死んでいてもおかしくありません。手術を勧めます。」と言われました。

Aさんは先生にいろいろと質問したりしていましたが、私は実感が湧かず、まるで他人事のような思いで聞いていました。家族にも相談しましたが、母だけ一人賛成であと全員が反対しました。

私は会社にも迷惑をかけるし、色々な思いがあり、悩み続けました。しかし、ポックリ死ねない心臓ならやるしかないのかと、やっとの思いで決心しました。手術は翌年の1月20日と決まったのです。

佐々木隆将上人からの手紙

入院中、佐々木隆将上人より長崎市内の布教先から手紙を頂きました。

その一部として(原文のまま)・・・

当今の医学はとても進歩しておりますが、哲学がないので意味不足しています。それは患者の診察と投薬乃至、形而下的の手当しか考えない、真に病根を絶つ原理とも言うべき患者の生命力を引き出す方法と作業に欠けている。

自然良能とは「みづから生を発展して、やまい生命力、その目的を妨げる一切の障害に対して自己を守り、又一度受けた障害を速やかに癒やして、その生命力を快復せんとする能力を言う。」

医は自然の補助者であって、命令者ではない。医者や薬は絶対的なものではなく、ただ指導者、協力者である。科学なき医学は力不足、哲学なき医学は意味不足。

『仏説菩薩本華経』

「疾病の人を見れば当に願うべし、衆生空にして非身なるを知りて苦痛なけん。強健の人を見れば当に願うべし。衆生金剛の形を得て衰耗有ることなけん。」

金剛の形とは、念仏三昧によって如来と一体となった境地、空とは今の私は本当の私ではないと悟ること。

療病即修養。病床即道場。大胆にして細心。大胆とは法身如来より与えられている。自然良能を信じ、細心とは現代医学の治療を受ける。

法然上人法語。

「我病患を得て甚だこれを喜ぶ。」

今度病気になったのは如何に業が深いかを信知する機会を如来が与えて下さったと益々念仏精進されたい。

昭和57年1月24日付

お忙しい中を本当に有難いお便りでした。

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