植西 武子
晩秋の小春日和に恵まれた或る日、(平成24年11月30日)愛知県・知多半島の谷性寺(住職・矢野司空様)を訪ねました。「一行三昧の会」に日帰りで参加しようと、かねがね静岡の袮次金さんと約束していましたから・・・。
一冊の本との出会い
その10日ほど前に、光明園での別時念仏会(11月16日~18日)で一冊の本に巡り会いました。それは『今、生かされてありがとう 弁栄上人と井村和清医師』というタイトルの本でした。
これは斉藤乗願様(愛知県・碧南市・法城寺住職)が同県・吉良・德雲寺(弁栄聖者と非常にゆかりの深いお寺)でご法話された時、その内容に感激された方が是非、文字にして残したいということから本になったそうです。
関東支部で情報収集に秀でた佐久間氏がどこかでこの本のことを知って、斉藤様に直接交渉して入手され、それをみんなに配布して下さったものでした。その行動力にいつも感心しています。
私は一気に読みました。そして内容は言うまでもなく、その行間から溢れ出る講話者の熱意と暖かさに感激しました。「是非このご住職にお会いしたい。いつの日かきっと」と心に誓いました。
井村和清医師との再会
私はこの本を見た時すぐさま、数年前に九州の岩崎念唯様が光明園で講話されたことを思い出していました。岩崎様は井村和清医師についてかなり熱心に、ご自身のよる追跡調査も入れながらお話しされました。井村医師がベスト・セラーとなった彼の著書、『明日香よ、そしてまだ見ぬ子へ』の中で弁栄聖者著『無辺光』を娘達に推薦図書とされていたことが印象的でした。井村医師の祖母に当たる方が、高岡光明会(富山県)の熱心な信者であったと聞いて、そのご縁にも感銘したことでした。
その一言がご縁を繋ぐ
この本を頂いた時、佐久間氏が「この住職のお寺には村松さんがお念仏に行っているんですよ」と話しているのを覚えていました。
村松年秋・粽ご夫妻は非常に熱心な念仏者で何十年来、唐沢山別時におそろいで参加されています。大変仏縁の深い方々だといつも敬服しておりました。
矢野住職のお念仏会に一人でも多く参加されたら良いと思い、また村松さんとご一緒にお念仏したいと言う気持ちもあって、前日(29日)、それも夜遅くなって思い切ってお誘いの電話を入れました。多分急なことで駄目だろうと半分諦めてのお電話でした。ところが、運良く連絡がとれて、しかも参加するとのお返事に大喜びしました。
その時に斉藤乗願住職について尋ねると、毎月お念仏に行っているとのことでした。翌日、谷性寺での出会いを約束して電話は終わりました。
予期せぬ幸運に恵まれて
翌朝、静岡で袮次金さんと落ち合って名古屋から知多半島の谷性寺に着いたのは11時前でした。矢野住職はにこやかに迎えて下さいました。2度目の訪問でした。竹林を背景に落ち着いた佇まいのお寺で、みなさん熱心にお念仏されていました。光明園とはまた異なる熱気あふれる雰囲気の中でお念仏させて頂きました。
午後になって、村松さんご夫妻が来られました。そして思わぬお誘いを受けました。帰りに、法城寺に寄らないかと。村松さんは斉藤乗願住職に連絡を入れて下さったようでした。すると関東支部の佐久間氏が翌々日に訪問されるので、聖者のご遺墨を特別に展示する予定を一日早めて展示して下さったとのことでした。(通常、年1回、12月4日のみ)
飛び上がるほど嬉しいお誘いでしたが、矢野住職に申し訳ありませんし、袮次金さんにも予告していないのが気がかりでした。でも心の底では決定でした。
宝の山、法城寺を尋ねて
矢野住職にお詫びして、3時頃に谷性寺にいとまを告げて、村松さんの車で法城寺へと向かいました。法城寺に着くと、本堂前の数本の楓の紅葉が夕日を浴びて一層鮮やかに晩秋の雰囲気を醸し出していました。そして開かれた戸の真っ正面に如来様が迎えて下さいました。
更に、斉藤住職とお母様がにこやかに、温かく迎えて下さいました。本堂の両脇の壁には聖者のすばらしいご遺墨が所狭しと掛けられていました。この中の何点かは平成22年10月~11月に岐阜県、長良川で開催された「山崎弁栄展」に出品されたものでした。中でも三幅にまたがって描かれた二十五菩薩の来迎図は圧巻でした。その前に座り込んだまま、ご住職からお話を伺いました。
また、聖者が当時愛用されていたオルガンも保存されておりました。嘗て、聖者が触れておられた鍵盤を押すと、かすかな音と共に大正時代の空気がふわっと出てきたように感じられ、無性に懐かしく思いました。ご遺墨のみならず、ご住職を含め、由緒あるお寺全体が宝の山でした。
法城寺の歴史
法城寺の歴史についてご住職からお話を伺い、帰宅してから改めて「山崎弁栄展」の冊子を読み、一層深く感慨に耽りました。
明治22年2月22日、弁栄聖者開山法城寺誕生と記されています。それは尼僧育成を目的として創設され、第五世までは尼僧さんが住職をされていました。尼僧さん方は茶道、華道、裁縫の資格をもって婦女子の教育に尽力されたとのことでした。
弁栄上人の婦女子に託された思いの一端を覗い知ることができました。第六世の斉藤上人が始めて男性の住職となられたそうです。
伝えよう法の歴史を、紡いで行こうご縁の糸を
この度、期せずして、多くの方のご好意に支えられての思わぬ出会いに感謝するばかりでした。とりわけ、同行したさった袮次金さんが殊の外、喜んで下さったことが何より嬉しいことでした。弁栄聖者から「婦人部がんばれ」のエールを送って頂いたような高揚した気分で新幹線にて名古屋を後にしました。斉藤乗願住職と村松ご夫妻に深く頭を垂れて。
各支部の女性のみなさん、手を携えてご縁の糸を紡ぎませんか。小さな、身近な活動から始めませんか。平面の糸を紡ぎ、時間の縦軸の糸を紡ぐ中で、やがて立体の世界が開けることを信じて。