ブラジル在住 石川 ゆき絵
2008年に浄土宗海外開教師としてブラジルにやってきたわたしたち家族は、ブラジルの寺院を退任した後も、ブラジルの風土とブラジル人の気質が気に入り、仏教に縁あるインド・タイ料理レストランと念仏道場を営むことを目標に、いまもブラジルで日々暮らしております。
レストランの工事もまもなく完了し、そろそろ開店、「開店してしまえばなかなか長期休暇も取れないだろう」と、16才になる娘だけでも日本の祖父母のもとに里帰りさせようか、という話になっていたところ、夫が「ちょうどその時節に日本一の聖地で最高のお導師のもとお別時がある。ぜひ行っておいで」とわたしの背中を押してくれました。
福岡出身の夫は浄土宗僧侶で、当時の九州光明会会長福原耕善上人のお導きにより光明主義のご縁をいただき、福原上人のお勧めにより杉田善孝上人に数年間ご指導を受け、また河波先生が九州に来られた時には豊前善光寺をはじめ、各会所に都合のつく限りお話を拝聴しに行っていたのです。
唐沢山に登る際は、立派なお上人さまや熟練の信者の方たちにまじって、作法もろくに知らぬわたしがどこまで勤まるか不安でしたが、いざ入山してみれば、みなさま気持ちの暖かい方たちばかりで、不安はすっかり払拭され、安心し、一週間勇猛精進するべく腹が据わりました。
毎食添えられる参加者の下司さんの副菜がうれしく(7年ぶりの和食、しかも真心のお手製おいしかった!)、 先輩女性陣が初心者のわたしにいつも思いやりをかけてくださることが大きな励みになりました。
ブラジルに残してきた夫も同期間に単独別時に励んでいることも心強かったです。
とは申しつつ、夕刻からはじまった初日と、その翌日は、はげしい睡魔との戦いでした。時差ぼけもあったのか、三昧仏さまの前にでっかい睡魔がどでんと立ちはだかって、2日目の午後は3時間も退席してロッカールームで眠りこけていました。
こんなことでどうする、と情けなく気持ちがくじけそうになりましたが、3日目からは、ほとんど退席することなく、入浴の時間も惜しんでお念仏に集中できるようになりました。
弾誓上人、 徳本行者、そして弁栄聖者、さらにその高弟であられる田中木叉上人、大谷仙界上人の護念のなか、大ミオヤさまの懐でお慈光を浴びることができたこと、唐沢山からブラジルへ、ブラジルから唐沢山へ、お念仏のバイブレーションを響かせることができたこと、如来さまの御陰様をただただありがたくいただいた一週間でした。
唐沢山の神聖さ霊性は言葉で表現しきれません。響くものばかりでした。
弁栄聖者のお墓のたたずまい、苔生した山の匂い、踏みしめた落葉の音、徳本行者の名碑、水に浮かぶひんやりと濡れたどんぐり、眼下にのぞむ諏訪湖、前からきて後ろに流れる風、湖面に輝く夕日、毎晩打ち上がる諏訪湖の花火は胸の中のお念仏と呼応していました。
まもなく開店予定のわがレストランの屋号は『ゑん』です。敷地内には小さな礼拝堂を造っております。弁栄聖者が笹本上人の為にお書きになった三昧仏さまをご本尊様として掲げ、毎朝夫とお念仏しております。
カトリックの国・ブラジルではありますが、おおらかなブラジル人は仏教に興味をもつ方もたくさんいます。いくつもの信仰をもつ人もいます。
この土地で、お念仏を広めることも今後のわたしたち夫婦の夢です。
河波先生のクザーヌスの話など、キリスト教と仏教の相似についてもたいへん勉強になりました。『神を観ることについて』は手元にありますが、De visione dei を『神が(わたしたちを)みることについて』とも訳せる、とのご見解、そしてみなさまにとっては基本中の基本なのでしょうが、河波先生に教わった「あなたの心はみだの御慈悲の面にうつり御慈悲の面はあなたの心にうつり」の『うつり』に『移り』の字が当たる、と知り、バキンときました。荒巻くめさんの『仏様のふところの中に入っているような気がするかと思えばまた仏様がわたしの中にお入りくださっているような感じもします』の意を解ることができました。
今回は例年より参加者が少ないようでしたが、この素晴らしい聖地でのお別時を是非、大切に守って欲しいと思いました。
ほとんどのイデオロギーが崩壊しているこの現在に本物中の本物の思想と実践の集いである唐沢山別時念仏会、絶やさずに続けてほしいと願います。
更に、わたし個人の感想を述べますと、せっかく遠くから目的をもって参加したのですから、もっとハードコアな修行の場でありたかったと思います。参加人数が少なく世話人さんも不足、という事態で、みなさんそれぞれたくさんの働きをなさっていらして、必要最低限の会話が必要なことは理解できるのですが、工夫すれば私語をもっと無くすことができるのでは(筆談に徹する、など)、とも感じました。
斯く言うわたしの口もぺらぺらと私語を発しておったのですが……。
またこれも人数不足によるのですが、みなさんたくさんの役目があるので、本堂への出入りが頻繁だなぁ、と感じました。わたしは初参加の初心者なので、ささいな周囲の動きで集中が途切れてしまうのでした。 などと、えらそうなことを申しましたが、いちばんみなさまに迷惑をかけたのはわたしであったことは否めません。
木魚の叩き方など迷惑をおかけしました。ごめんなさい。そして寛容なみなさまに感謝しています。ありがとうございました。
最終日の朝食のあとは、座談会となりましたが、飛行機の時間の都合で後片付けもせずにばたばたと下山してしまいました。これはとても悔いています。もっとみなさまのお話を伺いたかった、ご縁を深めたかったなぁ、と。次回に参加させていただくときは、最後まで居よう、と心に決めました。
最後になりましたが、お導きくださったみなさま、お上人さまたち、とくに古田上人には無言にもかかわらずずいぶんとお力添えくださいましたこと、お礼を申し上げます。
南無阿弥陀仏
6月初旬に光明園に唐沢山別時参加について問い合わせのメールが入りました。遙かなる国、ブラジルからと佐藤蓮洋さんから一報が入りました。
すぐに、連絡を取りますと、その方は初参加でもあり、7年ぶりの帰国でいろいろ不安があるとのことでした。その後、メール交換する中で参加を決心されたこと、大変嬉しく思いました。同時に、素早く意志交換のできる文明の利器のありがたさをも実感しました。
お別時の初日、無事唐沢山に来られるかと案じておりましたが、お元気な姿でお出会いできて嬉しい事でした。明るく、活動的なお姿に接し、安心しました。
充分なガイダンスもなしにお別時に突入してしまったにもかかわらず、全く自然に皆さんの中にとけ込んで、熱心に修業されている姿に感心しました。むしろ、我々の方が襟を正さねばと反省する場面が多々ありました。
さすが開教師のご家族として、幾多の困難を乗り越えて、海外で布教され、新たな新天地で今後もその偉業を続行されようとしているそのお姿に感じ入りました。
私事ですが、今から五十余年前、開教師の妻としてハワイに赴く予定であった若き日の思い出が石川夫妻にオーヴァラップして、今後のご活躍を心より念じ、エールを送りたいと思いました。
(植西武子)