山本 サチ子
嘗て私の職場の同僚に長野県上諏訪市出身の方がいました。若い彼女は私に「唐沢山はとても不思議なところです。あの場所に立つと何か自分が仙人にでもなった気持ちになりますよ」と淡々と語ってくれた記憶があります。
あれから十年以上も経ちますがこの言葉がずっと私の耳に残っています。当時、私は唐沢山へ行きたいと考えていたのですが仕事や家事の都合で別時に参加することができませんでした。参加できたのは退職して仕事から解放されてからのことです。今年度の別時まで三回ほど参加しました。
参加回数を重ねていくたびに感じ方に明らかな違いが出てきました。年を重ねていけば当然感じ方も変わるのでしょう。しかしこの場所は確かに職場の同僚が言ったとおり、まさに日本的霊性の漂う「不思議な」場所であると感じました。
〈別時に参加して〉
別時に参加する前に私は「私語を慎み、如来さまのみを念う時間を過ごそう」とその心構えを自分に言い聞かせて参加したはずでした。しかし夜になり諏訪湖の花火が「ドーン」となり響きました。それは見事に美しく夜空に舞い上がったのです。次の瞬間私はまるで子供のように「ワー・スゴイ・スゴイ」を連発してはしゃいでしまったのです。花火はこれまで何度も見ていますが花火を下に見下ろして見たことは初めてだったのです。
「しまったあ…まずい」と思いましたが私の絶叫は部屋中に聞こえたのでした。次の瞬間、皆さんの視線を感じた気がしました。私は「ドンマイ・ドンマイ」と自分にそっと囁きました。
このような場所で私はなかなか自分をコントロールすることができないのです。でもこんな私なのにそこをしっかりと導いてくださったお上人様や世話人の方々の懇切丁寧な指導のお蔭で別時滞在期間中に無事終了することが出来て本当によかったと思っています。
◆ 若い頃、私は唐沢山別時には到底参加できないと思っていました。参加できなかった本音は仕事や家事都合の理由だけではなく、噂で聞いていた「唐沢山別時は厳しい」という世間の噂でした。それに加えて仕事と子育て期間中であることは精神的、体力的にも無理があると判断したからです。そのあと、退職を切っ掛けに今なら参加出来ると思い、参加してみようと決めたのです。噂は事実と異なる場合が多い。噂が誠かどうかは自分で判断するものである。そう思ったら、「そうだ、この目で唐沢山に行って自分で確かめてみよう」とその気になりました。唐沢山別時を自分で直接体験したいと思う気持ちが起こりました。
◆ようやく唐沢山別時に参加することができたのです。別時に参加してみるとすぐにこれまでの自分の考えが間違っていたことに気が付いたのです。
お山に行き別時につくということは厳しさが当然のことだと思います。ここでは女性達は食後の洗い物、そして男性はテーブルの片付けや次の行事までの準備等を皆さんで協力して行います。こういった体を動かす作業は、心のリフレッシュにも繋がり爽やかな気分になります。環境はいうまでもなく、小鳥のさえずり、空の深さ、山から見下ろす諏訪湖の美しさ、どれをとってもみな美しく、私は次第にこの環境に吸い込まれていきました。
このことはこの唐沢山阿弥陀寺と周りの環境が私を目覚めさせてくれたのかな? と考えています。『国のまほろば』と言っても決して過言ではないこの土地でお念仏ができたことは大変恵まれたことだと幸せに思います。自分は時々失敗しながらでも一所懸命にお念仏をする。後は如来様にお任せして…とこんな気持ちになれたのでした。
私は毎年3日間しか参加できませんが今は少し新たな気持ちが湧いてきています。
次年度からはもう少し長く参加できたらと思案中です。
念仏中に妄想雑念はめちゃくちゃ入り込み情けなくなった時間もありました。二日目からはようやく集中できて、その日の夜にはかなり気分が落ち着きました。自らの心の疼きが剥がれ、身が軽くなり不思議な歓喜に包まれました。しかしまだまだ未熟な私です。ここでのこの経験を高めていけるように精進していきたいと思います。こんな自分にも周囲の人達は温かく接してくださったことがとてもありがたかったです。下界にいたら到底気が付かなかったであろうことに気が付くことができた。それだけでもここに来た価値があると思える場所がこの唐沢山別時です。唐沢山での皆様との触れ合いを大切にして如来様が導いてくださったこのご縁を大切に育てていきたい。
大慈大悲の みちびきに
声をまかして 称うれば
かよう心の 澄みわたり
ひろびろ晴るゝ 胸の空
(田中木叉上人 光明歌集)
これからも益々、山崎弁栄聖者、田中木叉先生の御教えに近づけますようにと思いを新たにして…。
南無阿弥陀仏