光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 時は流れても

山本 サチ子

〈大 雪〉

関東地方を襲った大雪は瞬く間にあたりを銀一色に包み込みました。

交通機関は空、海、鉄道皆大混乱に陥り街は怪我人なのか一日中救急車のサイレンが鳴り響いています。通行人は転び、車はあちらこちらでスリップしてタイヤの空回りする音が響き渡りました。大雪に見舞われるたび思うことですが車のタイヤにチェーンを着け、ゴム長靴を履き、身支度を調えれば事故も防ぐことが可能です。そうすると寒さからも身を守ることが出来ます。ゴム長靴は雨の日だって活躍します。東北の雪国育ちの私にはごく当たり前のことに思える事ですが、私は自分の目の前で転ぶ人を何人も見たのです。

翌日、家の前の通路と庭の雪?きに奮闘しました。庭に植えた大根・白菜・さやえんどうが三十センチの雪に埋もれて見えません。スコップで丁寧に雪を取り除きました。農家の人からみたら笑ってしまうような狭いところに色々な野菜を植えて育てているのですから仕方ありません。それでも毎朝お水をあげ、草をむしり、たまに肥料を与えたりして野菜の成長をみることが悦びなのです。スコップの下から何事もなかったかのように野菜が顔を出した時は思わず「おはよう」と言ってしまいました。

「そうだった」昔、子供の頃に父はスコップとバケツを持ち暫くしたら裏山から掘り起こしてきたと言いながら「水仙と福寿草」を見せてくれたのです。これらの花は春の訪れを告げる希望の花です。あの時は嬉しくて「早く春になるといいなあ、そしたらスカートを穿いて、しーちゃんや久美ちゃん達と、毬つきをしよう」…と心が躍りました。冬は皆ズボンでスカートは禁じられていました。

大雪は大勢の人々にダメージを与えましたが、その一方で子供たちに楽しい時間も与えてくれました。かまくらや滑り台を作り、ソリやスキーをして遊びました。私より六歳年上の兄は中学生で色々の遊びをしてくれました。境内のイチョウの木に長く太いロープを結び隣の杉の木まで移動するターザンごっこです。雪が消えるまでそのロープを使ったら、さすがにロープは切れました。父に怒られる覚悟をしてたのに父はその時は怒りませんでした。 
父:「怪我をしなくてよかったよ!」この一言に私達はホットしました。

〈スキー〉

中学生の兄はスキーが好きで私を自分が履いているスキー板の前に載せて抱き抱えて滑ります。少し滑るとわざと柔らかい雪の上にヒャーと言いながら転びます。それが楽しくて私は「すっごい、すっごい!」と言い「もう一回、もう一回」と何度も大きな声で叫ぶのです。三回位やると「これでおしまい、じゃあな」と、どこかへ行ってしまうのでした。

優しい兄も今から三十年程前に亡くなりました。今は素晴らしい思い出を残してくれた兄に感謝の気持ちで一杯です。仏壇に手を合わせると「さっちゃん、スキーやるか?」と声が聞こえてくる気がするのです。

〈お寺の子〉

小学生の頃、朝起きたら仏様にご飯とお茶をお供えすることが私の仕事です。仏壇は何ケ所もありかなりの数になります。高学年になるとさらに雑巾がけもプラスになりました。学校から帰ると境内のイチョウの葉の掃き掃除です。それが終わらないと友達と遊べない。私は両親に文句を言いました。
「お寺の子になんか生まれなければよかったなあ。友達は仏様のごはんを供えたり雑巾掛けもないし、境内の掃除もしなくていいしね。どうしてお寺の子に生まれちゃったのかな?」

私の主張する声を聞いて住職である父は御先祖様やお釈迦様の話を持ち出して聞かせようとします。私はその場から逃げ出しました。

「ただ友達と遊びたいだけなのに、先祖さまもお釈迦様も関係ないよ」と泣きたい気持ちで一杯になりました。そんな時は押し入れに入り自分の気持ちの静まるまで隠れてそのまま眠ってしまうこともありました。

今回、関東地方に大雪が降ったことで子供時代を思い出しました。何事も嫌なことばかりではなく、その影には必ず楽しいこともあるのだとしみじみとした気持ちになり懐かしさで一杯になりました。
◆私は十八歳で上京してすぐに田中木叉先生、そして河波昌先生にお目にかかることができました。大学の女子寮の先輩の紹介で光明会を知ることができ、現在まで光明会に在籍させて頂いています。

私が大学生の時、河波先生は「法華経」を勉強するように勧めてくださいました。それが宮沢賢治に?がり面白いと思うようになっていきました。河波先生は弁栄聖者が如来光明礼拝儀のなかで説かれている光明主義のきわめて重要である法華経と無量寿経が一体化していくところ『本迹不二なる霊体の 無量寿王に帰命せん』ここが大事なのです。と常にお話しされておられました。

〈結 び〉

◆何年経ても私は自分の念仏に満足できません。しかし時間と共に益々念仏が重要であるという思いが強くなるばかりです。これからも困難に出会うことがあっても念仏を常に前向きに称え、そして弁栄聖者の御教えが少しでも多くの人々に広まるように活動していきたいと思います。自分一人で出来ることは限られています。共生の精神で皆決定して光明会の発展に力を注いでいきたいと考えています。

南無阿弥陀仏

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