山本 サチ子
一月ももう半ばを過ぎた。月日は駆け足で過ぎていく。街の風景は街路樹も公園のバラの花も全て剪定され、わびしい風景に様変わりしている。彩りの少なくなった街に華やかさがほしいと思いながら遊歩道を歩く。しばらく歩き続けると沢山のパンジーが行儀よくならび一面に咲いていた。思わず「これだ、これだ」と心が弾む。寒さをもろともせず咲いている花は実にあっぱれだ。手袋・マフラー・帽子・マスクの4点セットをまとい歩いている自分にうら恥ずかしさを覚える。「なんて強い花なのだろう。」花の美しさと強さに心が躍る。澄んだ空気の冬景色の中で私はマスクを外し青空を仰ぎ深呼吸をした。
〈猫と私〉
日々の生活は楽しいことばかりではない。浮き沈みの生活が続くと少し疲れを感じる。何か以前と比べて違和感があるのだ。それは分かっていた。6年程前に21年間生きて命を全うした愛猫が死んだ。獣医師からは人間ならば百歳を超えていますと告げられた。それから生活のリズムが変わり心が空虚になっていった。そんな私の胸の内を感じてか突然息子が猫を連れて帰宅した。まだ子猫で生後6カ月というが身体がとても大きい。初めての家に来た割には人見知りもせず何の違和感すらないように見えた。私が「はじめまして」と言うと手でじゃれる仕草をする。「なんて人懐っこい猫様だ」私の心は小躍りした。その日から猫との生活が始まりこれまで以上に忙しさを増すこととなる。このパンダ模様の身体をした猫はとてもフレンドリーでよくじゃれてよく遊ぶ。だが困ったことは人間に遊んでほしいとジャラシ棒をくわえてきて遊びを要求する。甘えん坊でとても可愛いのだが際限なく遊びを要求するのだ。観葉植物の鉢をひっくり返し床一面土で汚れる。猫は「私の機敏さにはオリンピック選手もかなわないでしょ!」と言ってるような気さえする。空中ジャンプ、でんぐり返しとやりたい放題だ。猫が悪さをするため掃除機を何度もかけなければならない日もある。それでもこの猫のあまりにひょうきんな行動に大笑いすることも度々なのだ。苦労と楽しさの両方を味わっている。この猫はカナダの血統のため寒さに強く夏には弱い。温暖化の夏の気候が気にかかる。
〈わがままな猫〉
私はこれまで猫は随分自分勝手な生き物であると思ってきた。しかし最近少し猫に対する見解が変化してきた。この猫が番犬を思わせる素振りだからである。家人が帰宅すると玄関で三つ指を行儀よく揃えて「ニャアーン」といってお帰りなさいをする。ずっとこの体勢で待っていたのか分からないが「なんてけなげなのだろうか」と驚くことが多い。他にも相手を気遣いじゃれても甘噛みをする。これは他の動物でも同じかも知れない。歩いていても時々振り返りこちらのペースに歩調を合わせるのだから益々愛おしくなる。そんな様子を見ていると動物よりも人間の方が自分勝手が過ぎることがあるなぁ…と思ってしまう。
〈近頃のテレビ報道〉
最近テレビ放映で、世界の牛のゲップで出るメタンガスが地球の空気の汚染をしているとの報道を見た。世界の畜産の牛が地球汚染をしているという。世界の温室効果ガスの4%が牛のゲップによるものと言われているのだ。その事実はあるのかも知れないがそれは牛に限ったことではあるまいと思うのだ。牛が原因のメタンガスなどといって、地球環境汚染を牛を原因としては牛が余りにも可哀想だ。牛のお陰で世界の食糧を賄っていることも視野に入れて考えて欲しい。大気汚染にスポットを当てた報道だから止むを得ないというならば、あまりにも人間の身勝手さを顕著に表した報道の気がする。まず世界の大気汚染の大元は何かを報道して対策を考慮していくことが筋ではないのかと思う。4%のゲップをたたくなら他の大気汚染もしっかり報道し改善すべきではないか。
世界の大気汚染の主な原因は、酸性雨・温室効果ガス・地球温暖化・水質汚染だという。これらの大元が何からなのか、そして対策としてはどうするべきなのかを考慮して一つ一つ改善を重ねていく必要があるのではないかと思う。私の見当違いの意見と言われればそれまでだがどうも違和感がある。問題をすり替えられている気がしてならならないのだ。あらゆることの問題へのかかわり方が変である。最近のテレビ番組で「月の土壌で植物は育つ」という報道があった。その報道では人工衛星を月の裏側に着陸させ将来は月に地下室を作りその中で植物を育てて大きな産業を発展させる。それらを地球に運ぶ構想が世界中で研究されているとの報道だ。宇宙での植物栽培を月の地下室で栽培する実験が日本のある研究所でもされている報道があった。月を拠点として他の星の研究もしていく。それが悪いとは言わないけれども地球を汚染したのは人間である。もう一度この美しかった地球を世界が一緒になりクリーンにする。汚染された地球を取り戻す作業が先ではないのか?。次から次へと宇宙を開拓する前に勝手な人間の心を開拓していくことの方が大切ではないかと思う。そうでなければ人間は人間を癒やしてくれる動物たちにも劣る事になりはしまいか。
〈結び〉
人間の自分勝手、わがままの一番の大元は戦争である。このような戦争が続くようでは何が正しいことなのか今の子供達、そして大人達を全うな道には導いていけないと考える。ならば私達に今できることは人々に宗教心を植え付け育成していくことが不可欠だ。宗教は今、誤った危ない方向のものと捉える人々もいるがそこから正していくべきである。仏教を世の中にこれまで以上に配信していくことが今取るべき行動ではあるまいか? 一人一人が身を乗り出して人々を導いていかなければいつまでたっても目的は叶わない。だれかが来たら対処しますでは駄目であり、上から見下ろしていては人の心は動かせない。会員はもちろん購読者の方々も強い自覚を持ち議論しながら人々に声を掛け合い輪を広げていく。私はそうすることを願いたい。「問題はそこじゃなく少ないメンバーでも真髄を伝えることだ」…との意見もあるが私はメンバーの確保なくしてはどんなに立派な教義も生きて来ないと考えている。地道だけれどもう一度自分の周囲を見渡し、一人でも多くの人に声を掛け仲間を増やすことが肝心要だと考えている。
このことを強く自覚して行動しないと光明主義という山崎弁栄上人のお導きが萎んでしまうのではないかと不安が募るばかりだ。いま一度、周囲の人達に声を掛け輪を広げていく実践こそが、未来への明るい世の中を作り上げていく土台作りになると考えている。
合掌