神戸光明会6月例会
関口 高
◇日時 6月5日(月)
◇場所 東極楽寺
◇講師 江島秀法上人(京都・常楽寺住職、光明修養会近畿支部長、56歳)
◇出席者 12名
一、あさの礼拝、念仏三昧
維那は植西正裕氏。
二、法話
講題は「器=機 時機相応、念仏を継続して光明生活を」
- 器=機 人はその時その時の器を持っている。器とは機である。時機相応して仏縁を得る。(実例として、田中木叉上人、藤本浄本上人、笹本戒浄上人が弁栄聖者に初めてお目に掛かった事跡、山本空外上人が間接的に聖者と結縁されたことを文献によって、詳しく説明されたした。=後述=
- 我執 弁栄上人のお歌に「己ほど己があだなるものなしと、知りがほにして 知らぬ我かな」我執は無くならない。光明主義は生まれかわる、更正である。
- 法然上人は「ただ一向に念仏すべし」と仰せられた。江島秀法上人は、青年時代に広島県瀬戸田の法然寺(住職・別府信空上人)で修業されたが、ただやみくもに念仏三昧を命ぜられた由。五重相伝の日課誓約。
三、聖歌
如来讃、清浄光(光化の心相)、回向のうた(田中木叉上人作詞)伴奏は鈴木美津子様。
四、その他
・ご供養 杉田摩喜子様より父君27回忌祥月命日
・次回例会(秋に東京一行院・八木季生上人をお迎えして極楽寺婦人会と共催予定)
各上人の得られた仏縁
- 田中木叉上人
- (藤堂俊章編「田中木叉上人遺稿文集」から) ……そもそも田中先生が弁栄聖者に御縁が有りましたのは、大正7年の頃かと思います。興学舎時代の同窓で弁栄聖者に御随行しておられた直方市・長安寺の住職・大谷仙界師の必至の御勧めに依り、東京芝の増上寺境内の多聞寮にて聖者に初対面せられ、聖者の深き慈愛と蘊蓄と光明主義の大法に感激し、遂に聖者にぬかずき、教えを受けて、念仏三昧を実行し、大悟徹底されました。(吉松喜久造氏手記)
……大谷上人が勧める人なのだから、弁栄上人という方は偉い人なのだろう。それならば一度逢って見ようと思いまして、大谷上人に連れられて、弁栄上人の芝の多聞寮に逢いに行きました。丁度御法話の時で、後で部屋に呼ばれまして、…「仏道と云うものは、行った事もないお浄土の事を尋ねても解る訳が無いではないか。御本尊様としてこの御画像を上げるから、一週間お念仏をしていらっしゃい。その上で、何も良い事が無かった。つまらなかったらつまらなかった。するとこれからどうすればようのでしょうかと、聞くものです。先づ、念仏して来なさい。」と仰言いました。…鎌倉海岸のある洞窟に入ってお念仏を始めました。しずくが上からポタポタ落ち来るものですから…小さな畑の小屋に、パンだけ用意して入り、お念仏を始めてみますと何事もありません。然しおれも男だ!一度やると云った事を中途で止めたなどと意気地の無い事は出来ないと思い直して、又念仏をするという様に、只だ意志の力でお念仏をして居りました。勿論、如来様を思えない。慕わしくもない。砂をかむ思いで一生懸命やって居りますと、或時は自分で過去に於てやった種々の悪い行いのその時のスガタが絵のように見えて来ます。そうしますと悪かったなあと思って涙がポロポロこぼれて来て止まりません。膝がびしょびしょになる程涙が落ちで来ます。又蝋を噛むように只つまらなかったり、一週間のお念仏を頑張ってやった訳であります。帰京して暫くして、多聞寮でお目に掛る事が出来まして、弁栄上人のお部屋の処まで参りますと、聖者が「サァどうぞこちらにお入りなさい」と云って下さるのに、私は突然、涙が次から次へと湧いて来て、どうしてもお部屋に入れませんでした。この様な訳でありまして、弁栄聖者に帰依する身となりました。 - 藤本浄本上人
- (藤本浄彦編『藤本浄本講話「私の念仏観」附五重相伝、授戒勧誡の跡から)四十二の年頃、弁栄上人にお会いしてね、お会いする当時から、これは変わっておるなと。あなた方に申し上げると何だか変に思われるかもしらんが、初対面のとき、体から光を放っておられるんですね。一間四方ぐらい光がすっと出ている。こういうことを申し上げたら、藤井実応さんも、山下現有上人にお会いしたときがそうであったと言っておられたが、とにかく、初対面の時にそういう感じだった。そうして、いろいろとお話を承って、自分の今までの宗乗の見方について、これは本当の見方をしていなかったということに気がついた。
-質疑応答-
(司会)弁栄上人に初めてお会いになったときは、どんな・・・。さっきおっしゃっていたのは光が出たとか。
(藤本)もう何ですね。ただ何ともありがたさを感じることですね。阿弥陀堂で加行僧の指導の時のことは、弁栄上人に会うた後です。そうあるべきもので、そのありがたさを感じますし、どうも自分で本当に、まこと、ここが永遠の住処、お浄土と、こういう感じですね。念仏の一つを貫くということが、非常に強う出るんです。・・・、法然上人の、つまり、念仏の一つでもって生活する。念仏の生活と言いますかね。念仏の一つで、すべてが解決できるとね。 - 笹本戒浄上人
- (田中木叉著「日本の光(弁栄上人伝)」から大正3年、笹本戒浄師は、三昧発得の法兄、宮本契全老師遷化直前、弁栄上人を仰ぐべきを指しずされて、東京の一家庭に上人を訪ねてきた。丁度、仏画に筆を運びながら、老主人になにかお話中の上人に、師は「私は無相法身を理想としています」と申し上げると、
上人、「いいえ、それはいけません。報身に帰命しなければいけません」師はひと頃、信心をもって念仏することが出来ず、浄土宗の一寺院に住し、また同宗の学校に教授をしながら、求法の志より、ときおり、座禅をしていた。宮本老師について後も、上人に相見するまでは、絵像、木像の本尊様を贍あげて念仏したことはなかったのが、このお言葉を承って寺に帰って早速、善導大師の往生礼讃を拝読して、竜樹菩薩も、善導大師も、元祖大師も、その三昧発得記によって、またいかにも報身如来に帰命せられたことを知り、仏殿に行き、初めて壇上の本尊様のご面貎を贍仰した刹那、真に思い設けず「このデクノボウ」という言葉が口を衝いてでた。さようなもったいなきことを申したこと、かつてなき所、みづから驚きおそれて御膝下にひれ伏して至心懺悔すれども、また贍仰し奉れば同じ言葉が口を衝いてでるには真に困惑恐懼したが、かれこれ二三年をへる間に、ようやく宝前にひれ伏して至心に念仏することができるようになり、その後ますます、ねんごろなお導きをこうむって、一心不乱に念仏を精進し、上人を敬うことを生身の仏のごとく、年々、自坊にも屈請して自他もろともに、上人の慈済を喜んだ。 - 山本空外上人
- (山本幹夫著「弁栄聖者の人格と宗教」から)思い返せば、実は丁度十五年以前、私が未だ高等学校二年生のとき、思想的懐疑に陥って、人生の否定にさへ立ち到った際、私は藤本浄本上人の御教導の下に、専心別時念仏修業に依って漸く心開け、ために、自分の精神的危機は救はれて再び人生の肯定に立ち帰るに及んで、翌年また私は、笹本戒浄上人の指導を受けたのである。かくして私は宗教問題へ通ずべき哲学の途を究明せんとしたのが、私を西洋哲学の専攻へ向けた動機であった。右両上人が弁栄聖者の信奉者であらせられるところからして、間接に、弁栄聖者と私との関係は生じたのである。
第12回常楽寺別時念仏会
関口 高
◇日時 6月23日(金)~25日(日)
◇場所 常楽寺(城陽市)
◇講師 河波定昌上人
◇出席者 70名
一、あさ・くれの礼拝、念仏三昧
維那は亀山政臣師(京都。専称寺内)
二、聖歌
光化の心相(清浄光・歓喜光・智慧光)、のりのいと。(伴奏は植西正裕氏が編集されたカセットテープ)
三、ご法話
四席 講題「弁栄聖者より大谷仙界上人に賜りし御慈悲のたより 他」
- ①平成3年発行の「如来光明礼拝儀」P95記載の「聖者より大谷仙界上人に賜りし御慈悲のたより」
- (前段)「すべてを大ミオヤに御任せ申し上げて、常に大ミオヤを念じ、大ミオヤはいつも離れず、あなたの真正面に在まして慈悲の面をむけて母の子をおもうごとくまします。
(後段)「あなたは其のみをおもうて専たにしてまた専らなる時は、だんだんと心が統一できて、あなたの心はみだの御慈悲の面にうつり、御慈悲の面はあなたの心にうつり、而するとそれがだんだん深く入るに随いて、あなたのこころはなくなりて唯のこる処は御慈悲の如来さまばかりと成り候」
前段のお言葉は「安心」を指し、如来の正面性・対面性・不離仏・値遇仏の義を表している。
田中木叉上人のお歌「のり得ては 心もやすう あま小船 津々浦の風にまかせて」も「安心」である。
後段のお言葉は、如来と感応道交、入我我入。空(波羅蜜・悟り)の境地となる。作仏の世界である。 - ②法然上人の月かげのうた
- 「月かげのいたらぬさとはなけれども、ながむるひとの心にぞすむ」「月かげ」の「かげ」は、「月の光」の意味。月かげとは阿弥陀仏の光明そのものを意味している。「すむ」は、宿り住む、澄みわたる、済むの義を持っている。私たちの心に宿る月(阿弥陀仏)が、私たちの心と一つになって完成。
「観無量寿経」に「心に仏を想う時、是の心、仏を作る、是の心、是れ仏なり」と。 - ③三種行儀
- (1)尋常の念仏 (2)別時の念仏 (3)臨終の念仏
尋常の念仏は大切な行儀であるが、多忙な現代の日常生活では念仏は怠りがちになる。そのために別時念仏が必要となる。法然上人も奨めておられる。特に、弁栄聖者は別時念仏の意義を強調された。臨終念仏は、命が終わるに際してまだ息のある間に如来がお出ましになられて、そのままお浄土へ参るのである。この三種の行儀は、心の内面において一つに連なっている。
平生の念仏は、別時念仏を充実させ、別時念仏によって尋常念仏が変革される。臨終(死)の用心によって平生の念仏が真剣となる。法然上人のお法語に「いけらば念仏の功つもり、しならば浄土にまいりなん。とてもかくても此身には、思ひわづらふ事ぞなきと思ひぬれば、死生ともにわづらひなし」と。
念仏の工夫が必要である。
念仏中に雑念・妄念が絶えず湧き起こるのは、元来、人間は煩悩の固まりであるからである。構わずに、その煩悩をカッコ( )でくくって、元へ戻して、声に出して名号を称えることが大切である。一声一声の念仏の声にアミダ様が入って下さる。
冥機冥応。お念仏を続けていると、自分は気がついていないが、大ミオヤはみそなわされて、私に働いて下さり、いつかは現れて下さる。感応道交である。
念仏は、結局、平素の行往坐臥の念仏が最も大切である。朝、目覚めた時ナムアミダブツ。お便所でも、歩いている時も。とくに夜、就寝の際、微睡みながら、ナムアミダブツと称える習慣がつくようになれば、熟睡している間も口称するようになる。念仏が有難くなってくる。念仏がたのしくなってくる。 - ④意識の変革・脱構築・光の現象化
- 念仏は意識の変革であり、脱構築であり、光の現象化である。
「如来光明歎徳章」に「是れ衆生有て、斯光に遇うものは、三垢消滅し身意柔軟に歓喜踊躍して善心生ぜん」と。
「捨此往彼」と共に「此世及後生」(善導大師)が大切である。意識の変革であり、脱構築である。念仏者の使命を考えて欲しい。
と結ばれました。
四、付記
今回の別時念仏会は、関口にとって印象深い会でした。
※参加者(約70名)の大多数が、青年・中年の男女で、ことに若い僧・尼さん・学生が多く、熱心に聴講されたので、講師の河波先生は全四席を時間超過で説き去り説き来って、誠に充実したご法話でした。
※また、裏方の食事担当の若いご婦人方は、朝と夕食は全部手作りで、リズミカルな作業進行でした。
※主催者の江島秀法上人は山本空外上人のお弟子の一人で、青年時代は広島の別府信空上人の法然寺で念仏修行をされました。
※九州光明会は、毎年地区別巡回伝導の年間計画を実行中であります。 このように、全国各地では弁栄聖者の光明主義・教理の実践継承者が育ちつつあります。伏流水のような浸透ではありますが、近い将来の発展を期待しております。