光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成19年6月

4月別時念仏会

植西 正裕

4月7日(土)午前10時から午後3時まで 京都・龍岸寺にて開催。
導師は矢野司空上人(愛知県・谷性寺住職、光明修養会理事) 参加者は24名。

一、行事の概要

午前の部はあさの礼拝・念仏三昧・法話①、午後の部は法話②・念仏三昧・回向。

二、ご法話(要旨)

矢野上人のご法話はいわゆる尺八説法であり、午前・午後二席の間に合わせて六曲の尺八演奏があった。

空外上人が「重層立体的各々性」という言葉で表現されているという念仏の実証性…お念仏をすればどうなるか…は、一人ひとりが自分なりの体験・経験をするものであるが、矢野上人の場合は尺八を通じての念仏・求道であること。無量寿経に自然快楽之音という表現があるが、自分自身の名かにある音を素直に出すことで皆と共に味わえる…ということで最初の曲は本調(ほんしらべ)。これは素直な音楽で呼吸という生命活動の基本的なものを意識でコントロールすることで、さらには感情をもある程度制御可能とすることの意味があるとのこと。

仏法で説く貪瞋痴は根本的な煩悩で普通はコントロールできないが、呼吸と念仏により気持ちを抑えて心・感情を抑制すると言うことで次の曲は数息観(すそくかん)。これは呼吸をコントロールすることで自在を得ることを目的とする。すなわち内なる自然(じねん)と外部の自然が一つになることで仏の世界に導く。

このあと仏教とは何かと言うことで、七仏通戒偈の話から自らの気持ちを浄めて如来の慈悲の働きや生かされていることに気付く必要性、さらには月を眺める…心の目を開く…と言うことで月影すなわち心月調の演奏があり午前の部を終了。

午後は初めに尺八音楽と念仏としての尺八の音に違いがあること、声に出して自分の耳に聞こえる念仏であることなどのイントロのあと、法然上人が説かれた「念仏の機」に関し、平等往生さらには自己と他という概念の中にある対立を超える必要性などについての話があった。そして仏に全てをお任せする念仏により三昧そして一如という念仏の世界に入る…と言うことで産安(さんあん)の演奏があった。

このあと自分と他(人)との対立…まよい…に関し、如来の働きに差別はないこと、一人ひとりの念仏の実践が世の中(人)に伝えられ、お互いに認め合うことの必要性などが説かれた。そして最終的には無量の阿弥陀仏に無条件で頭を下げる…無自性…空…大宇宙の心と一つになれる…と言うことで虚空(こくう)の演奏があった。そして最後に私達の生命に関し内省という努力で自分の中にある如来様の働きを弁栄聖者の教えを頂いて、命を超えて伝えていくこと…回向…として手向の演奏があった。

三、所感

会場の龍岸寺はJR京都駅の西側にあり梅小路機関区の近くで、時折蒸気機関車の懐かしい汽笛が聞こえる中での法話は尺八の音と共に特別な雰囲気を醸し出していた。矢野上人の体験に基づく飾り気のない分かりやすいご法話には、ただただ素直に受け取り吸収できたことを感謝したい。せっかくのご法話の内容を十分に書き切れなかったこと、まして尺八音楽を文章で表現できないのを非常に歯がゆく思っている次第である。

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