光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成19年9月

古知山別時念仏会

佐野 成昭

7月20日(金)夕方4時より23日(月)朝9時まで 京都市北部の霊場、弾誓上人開基の如法道場・古知谷阿弥陀寺で光明修養会近畿支部主催にて別時念仏会が開催されました。昨年より13名多い総勢36名の参加者が集い、多い年齢は50代で22歳から81歳までおられました。20代の僧関係者が4名おられ、大きな声を出して頂けて良かったと思いました。騒がしい娑婆を離れて、静寂な素晴らしい場所で、老若男女お念仏に集中出来ました。初日から古田幸隆師の大木に皆がよく揃い、調子よくお念仏が出来たように思われました。

長梅雨のため中二日間が雨で、散策などにはお寺の傘を使用させて頂きましたが、最終日は晴れました。本堂前のお庭は年々きれいに改修され、背景の杉林は墨絵のように見え、休憩中はそれを眺めながら静寂な時間を過ごせる所です。朝夕決まってヒグラシの声が美しく聞こえていました。雨のためかえって墨絵のような古知山らしい雰囲気が味わえ、気温も低く、明け方は膝掛けをする人はいる程でした。念仏中、少し開けた障子の向こうで霧雨が降り、細かい雨がスローモーションのようにゆっくりと上から下へ流れ、あたかも天上の阿弥陀仏国から垂れ下がる露の天幕のようでした。それが天上から下界へ永遠に降り注いでいるように思えました。川本剛空導師は、今回のお話の中で夕暮れの雨を賛美され、雨の水に「ものの命」を感じたとのことでした。

川本剛空導師のご法話は、山崎弁栄上人著の「弥陀教義」を題目として朝夕2日間、4席ありました。内容は難しいのですが、お話はわかり易く面白い所も諸々ありました

ご法話の概略は次のようになります。

「弥陀教義」の底本は「浄土教義」であるが未完本である。上人は「完結しれば300頁程になるだろう」と述べられたが、遷化され絶筆となった。その原稿は解読のため桓村先生の朱筆が入っているが、山本空外先生の解読のものと比べると違いが多くある。山本上人は戦前、慈雲尊者、法然上人全集、及び五十回忌のために弁栄聖者著作集の原稿を書かれ印刷に出されたけれども戦災で焼かれてしまい、一部空外記念館にその原稿が残っている。「弥陀教義」はおよそ90頁程で、読むだけならすぐに読めるが形而上学の本であり難しい。本の読み方には、形式的に読むのと、信仰で読むのと、実感で読む読み方がある。(後者ほど深いと思われる)

この本の内容は、無量光が含まれ、次のようになる。

一句目「帰命無量光寿尊」=哲学解釈の阿弥陀様と宗教的阿弥陀様では異なる。阿弥陀様を愛せますか?信じても生活で阿弥陀様と暮らすことが必要。それが鎮西上人の「不離仏」。新義真言宗では「弥陀秘釈」と言い、大日如来イコール阿弥陀如来である。

二句目「一仏乃至十仏身」=どの仏も阿弥陀様である。これは「一仏種々の身」、プロチノスの「一者は完全」(故に多を含む)およびヘーゲルの「神と子と聖霊の三位一体説」と関連づけられる。

三句目「独尊統摂帰趣」=「宗の三義」 ①神教(キリスト教等) ②汎神教(禅宗等) ③(二つをまとめた)超在一神的汎神教の三つの宗教があり、三つ目が光明主義である。哲学だと長くて難しい表現になる所を弁栄上人はうまい表現をされた。独尊仏に因縁因果天則とで持って統摂する働きと、報身仏によって衆生を仏に帰らせようとする帰趣の働きがある。

一般に物と仏と心は別々と考えられている。しかし、ハルトマンは自然界と人間界とにつながりがあると言った。まず、①自分でないものを排除する、②自己関係を排除、③それらを飛び超える。それでおかげが分かる。人は①自分のために自己を愛す、②自分のためのあなた(夫等)を愛す。③あなた(弥陀)のためにあなた(弥陀)を愛す。つまり弁栄上人の弥陀への愛のようにである、④あなた(弥陀)のために私を愛す。弁栄上人のような大きな愛でしょうか。このような順に変わって行きたいものです。

四句目「偏依の依たる円実性、物心無碍超時空、万物内存心霊態、生産門には法身の・・・」=ハルトマンは自然界と人間界とにつながりがあると言ったが、弁栄上人は、万物には心霊態が内存する。物と心は同一だ(物心同一性)を述べている。如来性は展じて世界性(この世界)に、世界性が展開(進化)して、衆生性(生きとし生くるもの)になる。更に転じて衆生性は如来性になる。更に云えば、生産門(生まれ出ずる)方面があり、摂取門(おさめとられる)方面がある。地獄等から人間界、天上界、菩薩界、仏界の心を有する我等凡夫は、人格完成するために生まれて来た。人間は単に浄土学二世説の捨此往彼の極楽に生まれるために生きているのではない。経に「偏計所執性」とあり、ハンデッカーも計量的思考と表象的思考が第三次世界大戦より恐ろしいと語っている。しかし私達は、現世で人格向上と完成を目的として生まれて来ている。それには、寝ても覚めても万徳名号のお念仏をお称えすることが最勝の道である。

最終日、退堂後の食事から私語禁止を解かれ、皆の感想が概略次のように聞けました。

《良かった点》
山谷あいの緑の多い自然なベストの環境である。古知谷別時が個人的に一番好き。念仏がし易い。静かな時間が過ごせた。ヒグラシの声が聞けた。お寺の家族で作られる心づくしの食事がおいしかった。ご法話が自分のためにぴったり図星。初めて全日参加し、まとまったご法話を全部聞けた。木魚が初日から揃った。いいお念仏が出来た。懺悔と感謝の涙が出て幸せを感じた。
《悪かった点》
足が痛く、眠かった。お話が難しく大学の講義のよう。煩悩多く感じた。

最後に、参加の皆様と急な人数増に対処して下さいました古知谷阿弥陀寺様に深く感謝します。

合掌

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