光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成23年6月

身原先生十三回忌記念念仏会と大震災

佐野成昭

4月11日京都でお茶とお念仏を広めた恩師、裏千家茶道の身原朱美先生十三回忌を記念して法要とお念仏会を、光明修養会の京都山科念仏道場で執り行いました。総勢16名が参加されました。生徒が11名で一般参加者が5名でした。身原先生は私の恩師だけでなく、かつてその生徒140名以上の恩師であります。今回導師として出席の山上光俊上人だけでなく、多くの僧侶や女性にお茶を教え、かつ種々の有益なおしゃべりをし、お念仏を勧め、関西の別時に多くの生徒を連れて行かれた先生でした。当初、恒村夏山先生の念仏会に参加され、田中木叉先生にかつて御相談され、弁栄聖者のお歌より引用された「しら露」会という会名をつけて頂いています。

時間割りは次のようになります。
・10時 お念仏、法要
・11時 法話、聖歌
・12時 昼食と座談
・14時 お抹茶
・15時 解散後、任意で毘沙門堂参拝

ちょうど桜の満開の時期でしたので、10名が残り、疎水の桜や毘沙門堂の大しだれ桜を17時頃まで見に参りました。

今回初めてこの道場に来られた方が数人いました。法要の最後のご回向では、身原先生だけでなく、東日本大震災で亡くなられた方々にもご回向しました。

その後、山上光俊上人が資料を配られ、「心の風光-茶の心と仏の心」と題したご法話がありました。茶道、また華道と仏道は歴史的にも精神的にも深い関係があるとのお話でした。仏様にお茶やお花をお供えするのが元々本義です。そのお茶を仏様から頂き味わうことが茶道、お花を仏に供養して献花するのが華道。私が思うには、遙か昔寺院で茶道華道の基本とその精神が生まれて依頼、仏道の中から茶道と華道が生まれ、身原先生は仏道の中でも別時念仏を経験されているので深い茶道を教えて頂けたのだと思っています。本日のご法話テーマ「茶の心と仏の心」が、例えば、お床の掛け軸に使用する仏教用語「無」や「空」という言葉で密接になっているのだと思われます。

大徳寺に六重の箱に入った国宝の井戸茶碗、韓国の普通の御飯茶碗でしたが、私心や無駄が無く落ち着いた色形の茶碗です。茶席に入りそれでお茶を頂く時、自ずと和敬静寂の精神がかもし出されるものです。飾ろうとしない美、人知れず山奥で無心に咲く花、ものの奥にある何かに「わびさび」があります。そして、亭主と客との敬いの心と清らかさで寂静な交流があります。
また、柳宗悦の茶道観を表した「茶偈」(茶に関する短文の句)の紹介が次を例にいくつかありました。

「一フクイカガ 茶モ忘レテ」
「如何ナルカ 是レ茶 陀羅尼」

また、次に法偈(真理の句)として、

春 花ニエミ  夏 日ヲアホギ
秋 月ニスミ  冬 雪トヤスム

その他「清浄」に関してのお話がありました。

正午前、身原朱美先生にお茶を習った道場近くの吉祥山阿弥陀寺の寺西さんがお忙しい中、来られ、そのソプラノの美しい声で「アメージング・グレース」と、アンコールに応えて季節に合った童謡を歌って下さり、拍手喝采でした。その後、聖歌「のりのいと」を皆と共に斉唱しました。

正午よりお弁当を頂き、学生時代二年程お茶を習った山上光俊上人の司会で座談会を行いました。お茶を習う時間よりも当時夜遅くまで先生とおしゃべりした時間の方が長かったとのこと。体で覚えるより、理屈屋だったので「畳の目幾つ」と言われないと「そこに置く」だけでは分からなかった。今の若い人は、余り、自分の困ったことを打ち明けたり、相談する機会が無いので、こういう様な機会を持つことは大切です。出席者の中でも同意見が語られました。

また、今回初心者のご婦人が光明修養会のご婦人と偶然数十年前の華頂中学時代の友人同士であったことに驚いたとの話題が出て昔の話に花が咲きました。

座談会は2時頃まで続き、次にお茶の席が設けられ、「おうす」を頂きました。身原先生の弟子吉川宗明先生が、お茶とおいしい御菓子を用意し、お手前をして下さいました。身原朱美先生のお徳を偲び一期一会の楽しい時間を得ることが出来ました。

15時解散し、11名がちょうど近くで満開の疎水桜を見に参りました。菜の花も咲いている安朱橋付近はピンク・黄・緑で大変美しい景色でした。

田中木叉上人作詞『光明歌集』の中に、「青い稲葉はその中に 白いお米のみのるため 死ぬるからだはその中に 死なぬ命のそだつため」というお歌があります。桜を見て、そのお歌を替え歌にさせて頂き、「桃のはなびらその中に 赤い果実のみのるため 散り行くはなはその中に 散らぬうのちのそだつため」と。花びらは物質の体を示し、散らぬ実が霊性を示します。途中で京都らしい良い景色を多く見て毘沙門堂に参拝しました。本堂で少しお念仏を称えてから、参加者の島田さんが京都の社寺や伝統に詳しく、天台宗の門跡寺院であることなどを詳しく説明して下さいました。、また、この寺は、真矢みきや和泉もとや等の芸能人が参拝し、提灯を寄贈しているのが見られました。立派で大きな枝垂れ桜が満開でした。NHKでも紹介された「動く襖絵」があり、その前を平行に横切ると襖に逆遠近法で描かれている机の向きや巾が変わりました。また、円山応挙によって描かれた「鯉」も形が変わりました。良い庭園もあり、新緑やもみじの時は素晴らしい景色に変わります。今回初めて参加されたアタは良い機会と天候に恵まれ、記念に残る楽しい時間を過ごされたとの感想でした。

このように京都山科は、良い環境に恵まれていますので、いつでも、観光がてら参拝や念仏にお越し下さいますように。その自然とお念仏にこころがリフレッシュされ、新しいパワーが得られるのではないと思います。

尚、今回は東日本大震災と原発事故が3月11日の起きて以来、諸行事、花見等を控える傾向が起こっています。今回の花見実施に少し心がひっかかりました。しかし、一方で経済復興のため普段どおりの生活が奨励もされています。これには両極端を離れ中道を考える必要があると思われます。

今回の大震災のように人間の死とは何でしょうか?また生とは何か、正しい生き方とは、生きる目的とは何か、普通の生活の有り難さ、家庭の絆、社会の絆そして福祉社会を見つめ直す良い機会だと思います。家族の福祉は他人でなく家族の絆との声が起こっています。また、エコや環境問題とは?今回の大地震のように厳父でありまた、慈母でもある大自然と人間との正しい共生のあり方をも。

「雨にも負けず」の宮澤賢治は固く宗教を信じ、慈悲者でありました。光明会の先輩によると関東で光明会別時に参加していたとのこと。日本の歴史を良く調べて見ると日本の精神のバックボーンは仏教です。今仏教を見直す時期です。何が大事かえお考え直す大切な機会と思います。今回歌われたアメージング・グレースは、大嵐の中、もう少しで海のもずくとなり死ぬ所だった船長、ジョン・ニュートン作詞の曲でした。彼はその時以来、盲目(作詞の用語)の生活から目覚め、心の目を開けました。私達もこの大震災で心の目を茶道や仏道を通して開いて行きたいと思います。

合掌

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