光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成26年1月

ご祥当りんご念仏会(第10回)

佐野 成昭

11月16日(土)から17日(日)長野市法学寺にて1泊2日で弁栄聖者ご祥当念仏会を有志主催光明会近畿支部後援で開催しました。全国各地から1日目は20数名2日目は14名の参加者がありました。尚、この集いはリンゴ狩りや長野の善光寺参り・戒壇めぐり等が出来き、初心者に向いていますのでどなたも参加出来ます。

午後1時長野駅に関東、中部および関西から全員が集合しました。相互の挨拶を交わして、2台の車に分乗して十分程で十念寺に参りました。

紫雲山十念寺は源頼朝公開基のお寺です。その名の示すように源頼朝公が善光寺に参詣するため途中まで来ると、紫雲がたなびき如来様からお十念を授けられたとのこと。その場所に建立されたお寺です。

初めに高さ5m程という大きな阿弥陀如来像を参拝させて頂き、徳本上人の名号石碑を見て前を通り、玄関を上らさせて頂きました。そこで奇数月に行われている「只一向に念仏する会」と金田昭教師等参加の「為先会」と合流参加させて頂きました。袖山副住職上人導師、古田幸隆維那によるお念仏と立ち礼拝(三唱礼三十礼)を主に唱えました。3時半終了し、海抜三百七十メーターの十念寺から七百十メーターの法学寺へと向かいました。

法学寺のりんご畑を目指して車は、高地にある山道を登りました。途中、カラマツ林や紅葉初めの秋の情緒を感じ、赤いリンゴ畑を通過ました。古田住職の説明で、おいしいりんごの見分け方は、りんごのお尻が赤くその肉がよく垂れ下がっていて芯のへそが奥まっているものだそうです。各自が出来るだけ赤いリンゴを探し、童心に返ったようにりんご狩りに熱中しました。中には、りんごを落としてコロコロと転がした人もいました。おいしそうなりんごをビニール袋に一杯取らせて頂きました。

法学寺様に上がらせて頂き、四時半多くのお花と額が飾ってある本堂でしばらくお念仏をさせて頂き、古田住職ご揮毫の米粒名号入りのお守りを頂きました。暖房の効いたお部屋でおいしいりんごと茶菓子を頂きしばらく座談しました。日はすっかり落ちて、あたりは真っ暗になっていました。次に今日最後の移動先である海抜千メートルの宿に車で山道を登りました。

アゼイリア飯綱いこいの村という宿に六時過ぎに着くと、広い部屋で六時半より夕食を頂きました。昨年までは和室で一品づつ何度も多目の料理が出て来ましたが、今回御飯とりんごのデザート以外は洋室の机に並べてあり、量もそこそこ減って好ましいものでした。お食事を頂きながら歓談しました。その後八時半、三階の会議室に移りました。

写仏の時間を8時から9時まで私が実施させて頂きました。筆ペンにより元絵が弁栄聖者作の次の写し絵写仏です。A4とB5サイズの観音様および名号の賛を加えたB5サイズ阿弥陀仏様の写仏のどれかを選んで描いて頂きました。全部の線が薄灰色の線で描かれた写仏用紙の上から直接なぞり描く簡単な写仏方式です。聖者は直接仏菩薩様が見えていたから紙になぞるだけと聞いています。それに近い書き方です。写真のように上手に描けました。早く描けた希望者から古田師にその写仏と祈願文を示し、米粒に名号や写仏の祈願文等を書いて頂き、成就祈願しました。

そして、9時地元の湯「えんめいの湯」に入浴し床に就きました。翌朝5時半に起床し、6時早朝のお念仏のために宿から車で移動しました。外は2度のため古田師用意のカイロを使用させて頂きました。

智香寺に1分程で到着、そこは、屋根から落ちた残雪が積もっていました。何百人も収容出来る近代建築の大伽藍で前田家ゆかりの立派な阿弥陀如来様の前で三礼しました。このお寺の本寺が東京都大塚町の智香(智光)寺です。かつて家康の母、伝通院於大の方を荼毘にされた地に建立されたお寺です。電気床暖房はありますが、室温約5度としんしん冷え寒い中、殆んどの人がコートを着たまま懸命に声を出してお念仏をしました。7時半頃宿へ戻りおいしいバイキング朝食を頂きました。9時宿を出て法学寺へ向かいました。そして法学寺でりんごの包装発送手続の作業を行いました。その後、おいしい地元のお茶菓子とお漬物で奥様が歓待して下さいました。そして10時より、弁栄聖者ご祥当念仏会のセレモニーが始まりました。古田幸隆導師の美声のご指導に随って、全員が聖歌「衆会」と「いまささぐ」をヴァイオリン伴奏で斉唱する中を、3人の代表が献灯、献香、献花を行いました。その後お念仏に打ち込みました。皆良く声を出して称名念仏に集中しました。巧みな大木と音量豊かな古田導師のリードのお陰でしょう。そして古田導師は、ご祥当会表白として聖者のご略伝を読み上げられました。それを読みつつ聖者が厳寒中でのご伝道に尽くされたご苦労に思いをはせました。最後に聖歌「法の糸」斉唱、11時半大変お世話になった法学寺様と別れを惜しんで車に乗り込みました。

そして例年通り、昼食のため檀家さんの営む蕎麦料理店へ移動しました。運ばれて来る一品一品に舌鼓を打ち、デザートに至るまで蕎麦づくしの美味しい料理でした。小麦粉替わりの蕎麦粉製ケーキは珍しく、地産料理は輸入品と異なり地球温暖化防止にもなりとても良いアイデアです。この後解散となり、希望者数名は、午後2時から善光寺参拝に参り、他は古田師に長野駅まで送って頂きました。

善光寺参拝、浄光尼様により善光寺と大本願で日頃見聞出来ないものを見せて頂き、真っ暗な本堂下の戒壇めぐり等の体験をさせて頂きました。

今年は2日共良いお天気となり楽しく充実した行事を終えることが出来ました。古田住職は言うまでもなく、ご家族、お弟子の浄光尼様と皆様のご親切とお力添えのお陰と心から感謝申し上げます。

合掌

弁栄聖者ご祥当会

佐野 成昭

11月30日(土)午前10時より午後3時まで京都山科念仏道場にて合計15名の参加者を得て弁栄聖者ご祥当会を開催しました。今年は聖者の九十四回忌に当たり、聖者のご回向をさせて頂きました。参加者の多くは長い経験者が多かったのですが、初参加者が1名おられました。島根県向西寺住職の山上光俊上人をお導師としてお迎えし二席ご法話を頂きました。

時間割は午前10時礼拝儀により大木が、橋本週平氏、維那が、佐野成昭で朝の礼拝とお念仏。11時法話、12時昼食、13時15分聖歌「清浄光」、法話 14時15分念仏、15時ご回向および聖歌「のりの糸」15時過ぎ解散、希望者座談会16時半終了。

午前の席

今回のご法話は、一年前のDVD、『弁栄聖者その生涯と宗教』上巻の続きの中巻をプロジェクターで見せて頂きました。内容は、阿弥陀経の頒布、明治三十四年前後に十二光で宇宙すべての真理を説き、礼拝儀の作成を始める、九州や国内各地そして韓国、中国へ布教、知恩院で高等講習会の講師となり、『宗祖の皮髄』著述、無量光寺の法主となり、光明学園設立、知恩院や唐沢山別時開催等です。

ご法話は次のように理解しました。

弁栄聖者御垂示「…意に弥陀の身を憶念し、口に弥陀を称え、身に弥陀の行動を実現す。…」を引用し、その身口意の念が大切です。お念仏一言一言毎に光明を受ける。光明とは、ここに掛っている三昧仏お絵像の放射する頭光のように全宇宙に輝き渡り全衆生を照らしている。2つ目は、お念仏する人に対して、この眉間の白毫から光明を強く放ってくれています。そう思うことが大事です。

当初、自我のお念仏をやり続けていると、どうにもならんようになり、うまくいかない→その峠を越えると→無我の念仏になる→そして、如来様からメッセージ(光明)を頂く→歓喜を得る。自意識の念仏はだめ。ここがポイントです。

ご法話の題は、「光化の心相」で、やさしく解かれました。

午後の席 「清浄光」

光明のお働きの一つで感覚上に働く。感覚の浄化が起こり、心の汚れが取れる。特殊ホルモン、セロトニンが分泌される。そのため、姿色が清く潤ってくる。

「歓喜光」感情の上に働き、情が純化される。我々は心より如来様に帰命すると如来様と融合し、心が平和に安立します。そして、霊福の喜びを感じます。聖者は次のように述べておられる。

1、帰命―
「衆生は天然の主我には煩悩深くして底なく、ただ阿弥陀仏に向かって投帰するにあらざるよりは解脱の道なし」というように如来様に帰命する
2、融合―
解脱と融合は機能致一、主我急ちに投合し、乾坤開いて無限の真心露現、絶対と融合の状、歓天喜地、身心融液、不可思議さま何を以ってかその妙味を比せん。
3、安立―
阿弥の中の自己として…歓喜の心に充たされ、平和安穏にして自然に霊福を感す。
微笑みは素晴らしい。
花が微笑む、石が微笑む、友達だ。
微笑みが微笑みを生む。
人同士、母子同士が微笑み合うことは歓喜であり素晴らしい。阿弥陀様と私の関係もそうだ。

近畿支部長の挨拶。「今回は寒い中、遠くは愛知県や和歌山県からご参加下さり感謝申し上げます。次回は2月に御生誕別時を予定しています。その時は、支部(資料室)が写真蒐集した聖者の広く公開されていないお絵像や歓喜光の御歌等を映像でお見せする予定です」と述べました。

会終了後は、希望者数名が座談で色々話がはずみました。ある参加者は、「本日の聖歌「法の糸」は、聖者直弟子中井弁常先生の弟、中井平三郎師が作曲した。聖者の御歌に楽譜をつけた。聖者にお会いし光明主義者となった方で、聖者にその作曲演奏して承認を得ておりました。彼は芸術家で、ヴァイオリンを弾き、職業は画家、大学で西洋絵画を教えていた」とのことでした。貴重な情報であり、このように御別時の後に座談会を持つことは重要と山上上人が感想を述べられていました。また、おしゃべりしている時に参加者同士が以外な仏縁と人間関係で、お互いに繋がっていたということを発見しました。

参加者の感想は、大変良かったと思われました。法話は、「分かりやすかった」。「暖かい、微笑し合う母子の愛情の御話のように」等、筆者も今回皆さん好印象だったと感じました。また、清浄光から不断光の四光まで記載のご法話資料2枚が配布された。全部話し終えなかったにもかかわらず、時間的内容的にも調度よかった。聖者紹介のDVDを使用したことと、光明、清浄光と歓喜光の御話が、具体的実証に基づいてバランス良く説かれ、歓喜の喜びで終了されたことが良かったと思われました。長年の各地別時経験者から翌朝一番にお電話があり、「ご法話が難しくなく分かりやすく良かったので、また聞きたい。お念仏が最もし易い道場と感じた。お絵像の如来様がとても輝き光って見えた。また、行きたい。」と連絡して来ました。尚、山科道場では、熱放射の少ない昼光色LEDスポットライトをお絵像に使用しています。

別時後の座談会の後、再度外に出てレストラン座談会を行いました。そこでは近畿支部が光明会関係のご遺稿のデジタル写真撮影による保存や、古書収集と活用のため、資料室を立ち上げましたが、更にもっと全国広く呼びかけていく必要があるとの意見が出ました。2年経過して10名以上資料を提供して下さり、活用も出来、感謝していますが、もし、読者で資料がありましたら、近畿支部長佐野成昭までお電話下さい。

合 掌

弁栄上人開基のお寺 愛知県法城寺訪問記

近畿支部 佐野 成昭

法友の情報を得て12月5日、愛知県碧南市法城寺へ参拝及び、虫干し中の弁栄聖者の書画見学に参りました。書画は40点程本堂の壁と裏の小部屋に掛っていました。何といっても圧巻は、60周年記念『辨栄上人御遺墨集』にあった「二十五菩薩来迎図」であり、約90×130センチメートル3幅に分けられ金銀赤等色鮮やかな色彩が残っていました。この絵は門外不出の秘宝であり、石川乗願住職が12月4日聖者ご祥当法会(礼拝儀使用)に公開され、3日程虫干中拝観出来るとのこと。

法城寺は、樹木に囲まれた立派なお寺であり、好印象を受けました。また、ご母堂様共に歓待して頂き感謝に堪えません。尚、訪問時、関東支部役員数名および現地光明会員数名とお会いしました。

聖者伝の『日本の光』には、聖者肺炎静養や逗留等で寺の名前が5度出て来ましたが、明治32年弁栄上人開基のお寺であったことは、今まで私は知りませんでした。聖者は、本堂建築以前は説教所に以後は本堂奥小部屋に居られただろうとのことでした。ここで十二光の光明主義を確立していると思われる重要なご遺跡です。平成16年迄は、ずっと尼寺で、空外上人がかつて訪問され、聖者60回忌頃、何名かが訪問し、前述等のご遺稿を見られ写真撮りしています。

現在のお寺のお念仏活動は、聖者の月命日の毎月4日に数名でお念仏会を開催。但し、1月と8月は空外上人の月命日の7日です。また、毎月25日にお念仏少々と本、空外上人の『念仏と生活』で勉強会をされているとのことでした。法城寺住職のご法話が『今、生かされてありがとう 弁栄上人と井村和清医師』と題されて市販本になっています。

合 掌

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