平成26年弁栄聖者ご祥当会
佐野 成昭
11月29日(土)午前10時より午後3時まで京都山科念仏道場にて11名の参加者を得て弁栄聖者ご祥当会を開催しました。今年は聖者の95回忌に当たり、聖者のご回向をさせて頂きました。参加者の多くは長い経験者が多かったのですが、初参加者が1名おられました。島根県向西寺住職の山上光俊上人を導師としてお迎えし「智慧光・不断光」と題して二席のご法話を頂きました。
時間割は午前10時より大木が橋本週平氏、維那が佐野成昭で礼拝儀、朝の礼拝とお念仏。11時法話、12時昼食、13時15分法話、15時ご回向および聖歌「のりの糸」、15時過ぎ解散、希望参加者による座談会は16時半迄です。
午前の席
今回のご法話は、一年前のDVD、『弁栄聖者その生涯と宗教』中巻の続きの下巻をプロジェクターでまず始めに見せて頂きました。内容は、大正九年の長野正願寺等の布教から柏崎の御遷化迄です。殊に聖者が風邪をひかれている所へ寒風が襲い長野駅の一夜を旅館へ泊らず過ごしました。夜中の宿主に迷惑をかけたくないためと自分のために信者の御金を使用したくないとのことでしょう、誠に無私の人でした。
ご法話は次のように理解しました。
まず、名号、光明と御親様を説かれ、最近亡くなられた高倉健さんについて語られました。彼は、他人に想(思)いをよく寄せた人でした。彼と接した色々な人が彼の想いに影響を受けています。その想いは仏様への念に通じます。聖者は「仏おもい」を自分の頭に押し跡が残る程強く指を押し当てて語られました。彼は不断に辛抱強かった。これは、不断光の力の一つだ。これらは、彼の厳しい母の教育があったお陰だ。
上人のお気に入りの山下達郎作曲の「希望の光」という歌をCDで流しました。その歌詞が良いとその歌詞を紹介されました。
「あなたを照らす光を
希望という名のひかりを・・・」
上人は、誰もがいつも仏様の光のシャワーを浴びている。だから希望が有るのですと説明されました。
午後の席
今の世は、希望が無い、不幸だと考える人が多い。たとえお金が有っても不幸と感じる人も多い。人生は思い通りにならない。ナチスに収容所に捕らえられたフランクルの手記には「最悪のケースの中にも希望は存在する」旨を記しているように最悪の境遇でも希望はある。ましてや、その最悪でない現代ではもっと希望がある。今の苦には意味がある。近くに幸せがある。あなたを待っている人がいる。あなたを念っている誰かがいる。それは、阿弥陀様〈その念いが本願〉です。無常でない永遠なものがある。仏様からの光明です。その阿弥陀様の光明のお徳とお働きの仕組みを弁栄聖者が描かれた礼拝儀巻頭の阿弥陀図、両脇十二光の数珠が描かれた図と聖者の「念珠の説きあかし」を説明された。数珠上の三顆は如来の三身、両隣りの小顆は法身の一切智と一切能で、続いて十二の光明、その下に慈悲と智慧が続き、下の三つが衆生の南無の三心の信愛欲となり、如来と衆生の心とが合一して救われる意義が現されている。この概要を話され資料に基付き十二光体系を説き始めました。この説明は、膨大でかなり時間延長しましたが終わりませんでしたので次回の機会となりました。
会終了後は、ほとんどが残り座談で色々話がはずみました。お上人は健康の話題を話すと聴衆は真剣に聴きメモをとるようになると言って御本人の行っている健康野菜ジュース等のお話をされ、他の人も別の健康法を話し、話がもりあがりました。
合 掌