江戸時代のお話です。天台宗のお坊さんで、鳳潭さんという人がいました。彼は子供の頃から、京都の町から比叡山に毎日登り、仏教の教えを聞きにいっていました。
ある日のこと、天台宗の大切な教えを学べるということで、沢山の人が集まり、そのお話を聞いていました。それは何日も何日も時間をかけてお話をする大切な教えです。
ところが、そのお話が、あまりにも難しく、日がたつにつれ、だんだんと話を聞きにくる人が少なくなり、とうとう鳳潭さんひとりになってしまいました。
そうすると、お話をしていたお坊さんが、
「話を聞きにくるものがあなたひとりならば、ここらでやめにしよう。」
すると、鳳潭さんは、
「どうか、お話をやめないでください。聞く人が少ないからやめるというのであれば、明日、沢山人をつれてまいりますから。どうか、お願いします。」
すると、お坊さんは、
「そこまでいうのなら」と納得してくれました。
そのように熱心にお坊さんを説得した鳳潭さんは、すぐ比叡山を下り、京都の町であるものを買い集めました。そして、次の日、それをずらりとイスの上にならべました。
お話をするお坊さんがやってきて、
「なんだ、人形じゃないか!」と腹を立てています。
そのとき鳳潭さんは、ピシっと背筋をのばし、
「たしかに、これは人形です。しかし、最初にここに集まった人たちも、人形と同じではないでしょうか。口をきいたり、物を食べたりはできるでしょうが、仏の教えに耳をかたむけることができないならば、人形と同じです。そんな人が大勢集まればいいというようなので、人形をお持ちしました。」
お話をするお坊さんは返す言葉がありませんでしたが、むしろ鳳潭さんの真剣な思いに感激し、
「おまえひとりだけで充分だ。」
と、長い長いお話の日々を最後までつづけました。