乳房のひととせ 上巻
中井常次郎(弁常居士)著
当麻山無量光寺
1月27日の午前中に、久保山の別時が終った。自分は午後、奥村弁誡〈後の山崎弁誡〉さんと連れ、弁栄上人のお供をして当麻山へ向かい、横浜を立った。
東神奈川駅で2時間ばかり、八王子行きの汽車を待つ間、上人は仏教の教理を、礼拝儀によって話して下さった。礼拝儀は一切経をつづめたものであるといって有難いお話があった。寒い風が吹き、砂煙が上る。睡眠不足と疲れのために、あくびが出る。
それを、かみ殺しながら、お言葉を筆記した。上人も二つ三つあくびをなさった。
やっと汽車に乗った。上人は私に、こんな事を聞かれた。
「汽車にひどくゆれるのと、さほど揺れないのとあるが、どこがちがうのか」
と。その道の者と見れば、何事によらず尋ねて、知識を広めんとする御心懸けに感服した。
橋本駅で下車すれば、横浜の寺井嬢も乗っていた事がわかった。思いがけなく道連れとなり、四台の人力車を連ねて、月夜の野道を当麻山へと急いだ。道は広く、平たく、あたりの景色も良さそうに思った。深くおろされたほろ〈雨風、砂ぼこりを防ぐために車両に装着された覆い〉のために外の景色が見えず、車夫の脚下を照す月影のみが、単調に踊っていた。
一里〈約4キロ〉ばかりも来たかと思う頃、先頭の上人は「徳永さん」と声をかけられた。月はさやかに照り渡り、詩人ならずとも、そぞろ歩き〈気の向くままに散歩〉がしてみたい夜であった。しかし、ここは武蔵野の原、一軒の家も見当らない淋しい野道。よくここまで無事に一人で来たものだと、皆よろこんだ。
徳永さんは二、三町〈約2・300メートル〉ばかり、車のあとを追うて来たが、とても長くは続くまい、さぞ苦しいだろうと思ったから、自分は車を停めさせて、替ろうといった。上人は皆歩もうと仰った。それでは恐入るとて、二嬢が一つ車に乗り、自分は三人分の荷物をかかえて車を走らせる事にした。
寺に着いた。村の青年達は既に集まり、お念仏を申していた。私共も其の仲間入りをした。上人は一座の説教をして下さった。そのあとで、お菓子や茶が出た。学校の先生は、皆に作法を教える。青年達は幼い子供のように、すなおに教えられた通りする。上人は「皆さん、せんべいを三つずつお取りなさい」と仰れば、皆その通りした。お菓子を食べながら、お話を聞き、楽しく夜を更かし、讃歌を歌って別れた。
自分は上人のお側でやすませて頂いた。弁信、弁道の二人の小僧さんが上人のお夜具の風孔を塞ぎ廻る。私にも同じ様に気をつけてくれた。私は挨拶を忘れて床に入ったから、床の中で頭を下げると、上人は夜具の中から、お慈悲あふるる御まなこを輝かせ、この信仰の赤ん坊を見ていて下さる。そして斯くおっしゃった。
「あなたは法蔵寺で霊感に打たれたようで有ったが、今、大分顔はやさしくなりました」と。
(つづく)