乳房のひととせ 上巻
中井常次郎(弁常居士)著
◇三 黒谷の別時〈つづき〉
〈大正9年6月〉3日の朝、4時半に起きて恒村氏宅を訪ぬれば、門前に三島郡の鈴木憲栄さんが立っていた。朝食まで一同御念仏を申した。食後、私はカメラを準備して、上人様を中心に京都の会員一同を写した。
9時から瑞泉院で念仏を申し、京都光明会の会歌を歌い、お説教を聴聞した。午後、知恩院から法教科長の桑田〈寛随〉上人外多数の僧侶が参詣された。上人は現在の造花的、形ばかり飾った諸宗の信仰を痛論された。法教科長は此の説教で少なからず感動されたようであった。上人は後に「桑田上人は今に光明会の信者になりますよ」と私共におっしゃった。果して其の通りになった。桑田上人は後に百万遍知恩寺の法主となられた時、光明会の為に大いに尽された。
夜は恒村医院にて念仏と説教があった。自分は後で、上人様にお名号を書いて頂いた。かくして六月の別時は終った。
七月の別時
7月24日の夕方、上人は御入京の筈であった。一同は歓喜して其の日を待った。此の日、自分はいつもより早く夕食をすませ、2人の弟を連れて恒村さん方へ行った。10時になってもお見えにならぬ故、弟の1人は11時の汽車で東京へ立った。松井、徳永の両君は七条駅で12時まで空しく待った。谷君は早朝から大阪までお迎えに行ったのであった。
25日の朝9時頃、上人様がお着きになったとの知らせが有った。
午後から瑞泉院で別時が始まり、夜は恒村医院で御宿泊、そこでお念仏と説教が有った。
26日。今日も妻や弟等と早朝より瑞泉院の別時に参列し、有難い説教を承った。
夜の恒村さん方でのお説教も拝聴した。
明27日から、此の夏休中、徳永、松井さん達と、いよいよ待ちに待った随行が始まる。
聞き書き その七 大正9年6月1日夜 恒村医院にての話
(一)宗教は何を教えるか。その効果は何か。
人間の中に絶対に尊き者と、比較的尊き者とが有るように、教えの中にも、宇宙の真理を教える最も貴きもの、即ち宗とする教えがある。それは宗教である。「宗」を貴しと読む。太陽系の中で最も貴きは太陽であるように、精神界で最も尊きものは何か。信仰心が育てば、それが解って来る。倫理や修身では尊き信仰心は研かれない
人間の精神は貴いけれども、垢が有るから研かねばならぬ。牛馬の霊は研くに及ばぬほどつまらぬものである。
偉大な人物は皆信仰の人である。〈菅原〉道実公を祀れる天満宮の前に立てば、人は皆合掌し三拝する。伊藤〈博文〉公の墓に対して、人は脱帽して敬礼するけれども拝む人は少ない。道実公は幼き頃より信仰の人であった。公の父君も信仰心篤く、暇あれば経を写して諸方の寺へ寄進し、人々をしてそれを読ましめた。母君もまた良き信者であった。即ち道実公は信仰の家庭で成長した方である。
太宰府に天拝山という山が有る。道実公は無実の罪により遠国へ流されたけれども、人を怨まず、天を拝み、裕々として一生を終えられた。
信仰が活きると菩薩になる。信仰は幼少の頃より育てねばならぬ。卵も産みたてほどかやり〈かわり〉易い。
〈つづく〉