光明の生活を伝えつなごう

聖者の偉業

聖者の俤 No.66 乳房のひととせ 下巻 7 随行記 1

乳房のひととせ 下巻

中井常次郎(弁常居士)著

◇7 随行記 大正9年7月27日~8月24日

(一)汽車の中

 七月二十七日。今日からこの夏休み中、お上人様のお供をして、お側で修行させて頂く事になったのだ。妻は四時頃から起きて、門出の仕度をしてくれた。六時五十七分、京都駅発の汽車に乗る約束であった。
 駅へ急げば、上人を見送る信者達は既に大凡来ていた。母に連れられて籔入りにでも行くような楽しい旅に、吾等京都から随行を許された三人は喜々として車中の人となった。
 汽車は動き出した、お見送りの人々は羨ましそうに見えた。
 十一時頃、岐阜駅に着いた、和尚さんや信者の方々がお出迎え下さった。導かれるままに電車に乗り、脚を運べば大きな寺に着いた。そこが本誓寺であった。見覚えある青年僧(この寺の人らしい)どこかで見たような気がする。そうだ、去る一月、横浜の別時で自分の前にいた宗大の学生だ(説教中しきりに舟を漕いで居た)と思い出した。生き仏様の説法中、居眠るとは勿体ない、しかも僧侶として、けしからんと自分は木魚のバイで軽く背を打って注意した。それが後に、誰いうとなく「某は横浜の別時で居眠りをして、中井先生になぐられた」と大袈裟な評判になった。安眠を破られたその人には、軽打も霹靂の如く感じたかも知れぬ。自分は決して「この不都合な小僧めが」など思っていなかった。それから二十余年を過ぎた今日、その方は、定めし立派な和尚様になっておられるであろう。血気一徹の深切からであったが、相済まぬ事であったと、今更懺悔の汗が出る思いがする。私共は互いに顔を見合わせたが、犯罪者だとも被害者だとも名乗りを上げず、知らぬ顔していた。すぐお別時が始まった。私共は元気でお念仏を申し、楽しくお説教を聞いた。そしてその夜、九時頃、東京行きの汽車に乗った。
 車中、自分の側に滋賀県の某鉄道会社の社員だという人がいた。その社会では時々真宗の僧侶を招いて社員に法話を聞かせるという事であった。自分は夜中、殆んど眠らずにその人と信仰談を交した。そして持っていた「光明」誌第五号を進上した。又、徳永さんが持っていた「自覚の曙光」という上人御著の小冊子をも独断で進上した。けれどもその本は徳永さんに取り大切な物であった。上人様から頂いたかけ替えの無い品であった。あとで徳永嬢は泣き声に笑顔を見せ「惜しいけれども、善い事をして下さった」と責めるが如く、賞めるが如くにその時の思いを告白された。今に思い出の種である。彼の社員は光明主義に感服したのか、熱狂せる私に義理を立ててくれたのか、京都光明会の会員になると誓って別れた。
 上人と向かい合って、みすぼらしい老人が乗っていた。八十歳だといい、眼はそこひ〈眼球内の疾病の総称〉で有って、良く見えぬらしい。衣は垢つき、触れるのもいやな思いがする。けれどもその大きな体や顔に豊かさがある。手首に厚紙が結ばれ、それに行き先が書かれてあった。
上人「爺さんはどこだね」とお尋ねになった。
老人「京都の○○」
 ○○は諸国からの集まりで、厄介な所だそうである。
 老人は東京巣鴨で女髪結いをしている娘をたずねて行くのだといっていた。後に上人は私共に「あれは京都から巣鴨へ棄てられたのだ」と仰せられた。私共は大きな紙切れに彼の行先を写し「この老人を宜しく頼みます」と書き添え、迷児札のような物を造り、爺さんの背へ結びつけた。乗客の中にはこの珍景を見て興ずる者あり、五銭十銭の同情金を恵む人も有った。かくて老人は吾々一行と心安くなった。
 老人は上人に向かい「あなたは真宗か」と聞けば、上人は「ふんふん」と答えられた。
老人「有難いなぁ。眼が見えんでも、生仏様とさし向かいじゃ」といって、信仰の了解談を初めた。
老人「なぁ、われを救うて下さる仏はどこにあるか。ここ(この世)には無い。阿弥陀様より外に無い。ただ南無阿弥陀仏と頼む一念に救われている。有難いなぁ」
上人は「ふんふん」と答えておられる。それから彼は自作の歌数首を得意気に詠んで聞かせ「わかるか」という。上人は「わかる。わかる」と答えておられた。
 夜は更けた。老人は労れたらしく、横になりたいように見えた。徳永さんは自分の信玄袋を老人に貸してやり、その上に椅りかからせようとした。上人は手ばやく御自分の手拭を袋の上に敷き、その上に老人の頭が当るようにしてやられた。
 老人は、きたない懐からアンパンを取り出し、上人と徳永さんとへ一個宛くれた。
それは京都を立つ時、見送りの人から弁当代りに買って貰った最後の餞別であったにちがいない。
 彼の自白によれば、若い時、道楽をして梅毒を貰い、そこひになったという事である。乗客の一人は徳永さんに「あれは梅毒の第三期ですから気をつけなさい」と注意したそうだ。それを聞いた徳永さんは、こわくなり、早速便所へ行き、窓から心こめたる供養のパンを投げ棄てたそうであるが、上人は、じっと時を待たれた。
 老人は信玄袋に椅り懸って安らかに眠った。パンは上人の御手から、そっと老人の懐へ移された。かくて老人の厚意は受けられ、パンは再び懐に帰り、立派に生きた。この様を見ていた自分は、上人はうまい事をなさる、時を待てとの教えかと感服した。
 夜が明けて朝が来た。老人はパンを食い初めた。私には生涯忘れられぬ思い出のパン。この文により後の世までも輝くであろう教訓のパン。老人の聖霊は今いずこ。
 汽車は国府津に着いた。上人は手拭を老人に与え、私共を引連れて下車された。
 あの時、老人の梅毒が手拭を通して上人に伝染せば大変だと心配した自分は上人の無鉄砲をあきれていたが、重ねて上人の抜け目なき御計らいに恐れ入った。

〈つづく〉

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