石川乗願
去る11月28日より12月4日まで一週間、法城寺内にて聖者百周忌報恩別時念仏会、並びに遺墨展を開催いたしました。一昨年は、為先会の若い僧侶を中心に二十数名が寺内に泊まり込み、聖者百回忌報恩念仏会を一週間お勤め致しましたが、今回はコロナ禍の状況下でもあり、多くの方には声をかけず、地元の方を中心に少人数で報恩別時会を勤めました。総勢八組十名が入れ替わり立ち替わり参加して下さいました。宿泊も食事も用意せず、自由参加という事にして頂きまして、お念仏は午前九時からの二時間、十二時からの二時間、十五時からの二時間の三座、休憩はそれぞれの合間の一時間ずつを二回、休憩室でお茶・食事等を各々ご自由にとって頂くという、通いでの別時念仏会となりましたが、それでも必ず誰かが参画して居て下さり、大木魚一人きりの念仏会となる事は一座もありませんでした。簡素な念仏会でご迷惑を掛けてしまいましたが、それでも皆様に支えられ、昨年の百回忌念仏会以来ずっと、御導師にお迎えした聖者の聖霊にそのまま鎮座頂いておりますので、其の御指導の下、尊い念仏会が勤まりました事を深く感謝しております。
遺墨展は、書院と裏堂三部屋と本堂内に、所蔵品の聖者の御軸七十点余り、額十一点、複製画等も入れれば百点ほどの作品の展示となりました。念仏会の始まる前の一時間と、合間の一時間ずつ二回、計三時間を拝観時間に充て、またその間に一室を使い、聖者開山の松戸市善光寺様の作られたDⅤD『聖者の道』を三度上映いたしました。遺墨展は総勢三十余名の方々が拝観していただいたようであります。
但し、念仏中は本堂に入るのを御遠慮頂きましたので、拝観時間以外にいらっしゃった方には、中途半端な遺墨展になってしまったかもしれません。やはり、本堂を遺墨展と別時念仏の両方に使うのには無理があったようです。ただ恐らくそうなるであろう事は予想しておりましたので、今回は図録を制作し、図録による結縁念仏会を企画致しました。
図録『弁栄聖者遺墨集 ―如来に心奪われて―』
法城寺は、聖者の教えを頂く為、篤信家石川市郎氏が愛知県碧南の自宅敷地内に庵を建立し、明治三十二年に聖者を開山上人として招聘したお寺ですが、聖者入滅後は法灯が消えてしまい、『日本の光』にも、聖者開山のお寺である事の記述はありません。関係者以外殆どの人が御存知ないのです。そこで初めて、図録で市郎氏の嘆願書と聖者の開山書を公開致しました。それだけでも此の図録には意義があるかと思います。是非皆様にも、ご興味のある方にご覧頂きたいと念じております。今ホームページが制作途中ですが、こちらからアクセスできますので、「お問い合わせ」欄からメール注文頂ければ幸いです。
また、最終日12月4日正当日に、かねてから金田昭教上人より、「弁栄聖者の遺骨の一部を譲り受け所有しているので、お分け致しましょうか」とお話を頂いていたのですが、前日に突然ご恵贈頂き、驚きと悦びの中、四年前矢張り金田上人より譲り受けた聖者の遺髭を納めた遺髭(ゆいし)塔に、此の度一欠けらの遺骨を納めさせて頂きました。とうの昔に諦めていたのに、十年前の墓碑建立の願いが皆様の不思議な御蔭を頂き実現に及び、聖者の聖霊が活きて働いておられる事を強く感じさせられた、本当に奇跡の様な一週間でありました。