光明の生活を伝えつなごう

他場所だより

山崎弁栄上人百回忌 法の集い

佐野 成昭

◇日 時:5月11(土)~13日(月)
◇会 場:光明学園相模原高等学校
◇参加者:73名

 弁栄上人百回忌記に当たり、法の集いが新しい方法によって実行されました。今まで会場が京都であったものが、食事も含めて受け入れ人数が大人数でも良く、弁栄上人創建の学校であることから神奈川県相模原市の光明学園相模原高等学校に変更にしたこと。眞生会と共催で法の集いを行ったこと。東京の回向院で展示会を開催したこと。音楽法要を取り入れたこと。著名批評家・随筆家の若松英輔先生ほか素晴らしい講演者を集めてシンポジュームを取り入れたこと。弁栄上人が晩年に住職をされた無量光寺を参拝したことでした。
 しかし、残念なことは、予想した参加人数が集まらなかった事で、二百名の想定が73名でした。これは、今後の大きな課題です。若松先生も「参加者が少ない。20年後は、同じ人が来ないでしょう〈後期高齢者が多くなるため集いが成り立たない〉」と指摘されたことは、今後の緊急の課題で、新会員増加政策を打ち直す必要があります。
 今回の百回忌に当たる法の集いの内容と方法が適正だったかについても検討して、来年からの法の集いに生かすべきと思われます。故田中木叉上人は、会員の減少を上人の子供に予言しています。そして、「小さく続けなさい」と告げています。これからは、それが大切で、いつか興隆するための苗を育てる時期でしょう。
 期間中はどの日も雨に降られることなくよい天候のもと開催出来ました。12時半頃より受付が開始され、全国より総参加者数は、73名、内訳は、関東以北で37名、中部9名、近畿17名、そして九州10名でした。90回忌では、総勢150名余り、関東が少なく、九州・近畿が多く、南北逆転現象でした。
 12時半頃受付では、掛け仏(ミニ掛け軸)、法話DVD、阿弥陀経の塗り絵式写経本や山崎弁栄上人絵物語本等を記念品として頂きました。6階の修養室会場で古田幸隆師維那の念仏が始まっており、13時半、司会の鶴山恒教師より開会宣言後、光明学園副校長様(学校長ご病気の為欠席)のご挨拶があり、「AI時代に向けて、智慧と慈悲で百年先・二百年先を考えて進んでいきたい」とのことで、続いて金田隆栄理事長(讃仰会代表)より挨拶「難しい事〈理論〉よりも大切なのは、まず心本尊の阿弥陀様を信じ、南無阿弥陀仏の名号を称え、お光明を得ることです」とありました。次に聖歌「如来讃」を斉唱、礼拝儀を使用してお念仏。
 続いて時間割順に概要を報告させて頂きます。講話内容は最後に記させて頂きます。14時より眞生同盟主幹、土屋正道上人よりご講話を1時間頂きお念仏1時間を挟んで藤本浄彦上人から1時間半の講話を頂きました。
 次に半時間お念仏をして、1階の食堂へ行道で階段を6階から1階まで降りました。
 6時からの夕食は、千人以上入ることが出来るようなセルフ食堂で、学生さんとスタッフが好意で食事を運んで頂きましたので感謝したいと思います。夜7時からの礼拝と念仏回向が8時半迄あり、会場受け入れをされた関東支部長の挨拶と宿泊者用連絡事項とを聞き、2階の合宿用風呂(十一時まで)に入って2階と6階に分かれ、布団を運び寝ました。関東に住む会員のお手伝い裏方は夜遅くまで仕事をして下さり、本当に大変感謝申し上げます。尚、風呂では、合宿中の演劇部の学生さんも入るのでその場で協議をしてタイミングを合わせ風呂に入りました。

無量光寺参拝

 2日目5時起床・念仏後、無量光寺へ90分程訪問しました。無量光寺は、時宗一遍上人が庵をむすび、弟子、真教により1303年に建てられた古く由緒ある大寺院でした。学園から徒歩で15分程離れた所で、当時如何に広大な土地を所有していたかと思わされました。到着した入り口の門から本堂迄大変離れていました。くつを脱ぎ本堂でお念仏を称え弁栄上人の御回向をしてから、弁栄上人が当時学校に使用された建物を見学しました。その2階は広い広い空き部屋でした。ご住職の説明によるとお蚕を育てる屋敷の建物を庫裏にし、学校に利用したとのことでした。大黒柱が太く、約60cm角の寸法でした。弁栄上人の部屋跡もありました。墓地も広く、その中の弁栄上人と笹本戒浄上人のお墓を全員が参拝させて頂きました。弁栄上人が最後に住職をされたお寺に参拝出来て大変貴重な体験になりました。徳川家康の先祖がここで僧侶になり、家康から特別に保護され寺領数万坪で繁栄されたとの石碑がありました。参拝終了毎にめいめい学校に戻りました。
 8時一階で朝食を頂き、9時より6階の修養室で朝の礼拝・念仏を行い、10時から長谷川匡俊上人の講話を60分拝聴し、11時から念仏。12時一階食堂に降りて昼食をとりました。
 以上法の集いの2日目の昼食迄の前半の報告で、午後の音楽法要から3日目遺跡参拝ツアー迄は、来月号で報告させて頂き、前半の講話について、次のように受け止め記載させて頂きます。

◇講話一席目 土屋正道上人

 「同盟 法然・弁栄・・上人の信仰」と題して、眞生同盟主幹で東京都観智院・多聞院住職の土屋上人より60分のご講話を頂きました。内容は、自己紹介、眞生同盟とその活動などです。
 弁栄上人の直弟子で私の祖父の土屋観道上人が弁栄上人遷化1年後の大正十年に眞生同盟を設立・独立しました。その内容は、「如来中心主義であり、私達が真に生きるは、仏子の自覚にたって真実の道に生きるの謂いであります。…眞生運動は、法然上人を現代に徹底させんがための運動であります」と語っています。観道上人は、増上寺の学寮、多聞院に弁栄上人の住居を与え、共に念仏会を開いた。満州・朝鮮への布教にも二人が訪れている。
 眞生同盟の教典は、光明会と同じ礼拝儀ですが、読み方が一部に違いがあります。眞生同盟の独自の歌もいくつかありますと言って、正道上人は歌われました。戦前戦中の節ですが明るいメロディーでした。歌は、「向上」という言葉を重視しており、光明会も見習う点になると思われました。また、「信条の綱領」〈モットー〉にも何度も記されています。
 眞生同盟には中野善英上人も加わりその宗教思想である「一味哲学」を加えました。また、称名方法も独自に研究し、光明会式とは別に新たに打ち立て、弾誓上人を源とする称名方法である大変長息の大念仏、及び1分間に60遍とする善英式正調念仏を定めています。
 最近は、正道上人の工夫で、台湾の会所のメンバーの念仏等をネット通信で大型スクリーンに映して、共に念仏する方法を用いています。10月11日より20日迄「念仏フェスティバル2019」と銘打って正道上人の実行委員が中心となり山崎弁栄上人鑚仰会と共催で開催します。弁栄上人百回忌も含め上人600回忌及び400回忌の法要や様々な講演、音楽会、落語等を駆使して行われる予定です。

◇講話二席目 藤本浄彦上人

 「私の中の(弁栄)上人」と題して佛教大学名誉教授、藤本上人90分のご講話でした。上人の祖父が弁栄上人直弟子の藤本浄本上人の山口県西蓮寺の住職で、その寺に生れた機縁を生かされたことから話をされました。
 冒頭、このような立派な光明学園で代々の指導者・先生が体験と言葉を通して法の種をまいて下さったことは大変重要で有難いことです。私は、浄本上人の寺に生れ、礼拝儀を揺りかごのように聞いて育ち、大学時代には、田中木叉先生、河波先生や私の友からの影響を受け宗教を色々考えました。結婚後も京都郊外の小寺で光明会の不思議な仏縁に遭遇し、浄本上人の軌跡に触れ、それを追い(その本を出版)ました。
 浄本上人は、「弁栄上人の御出世なかりせば」の心境…弁栄上人様は一切の教法を人格に体現された御方」と評して弁栄上人を尊崇された。昭和5年、浄本上人、椎尾辨匡上人他十二の浄土宗代表者による浄土門布教要義研究会を開催し、「教化の規準を一枚起請文に仰ぐこと」等を申し合わせてばらばらの浄土宗教化方法を統一化するよう決定されました。何日間に渡り、あたかも昭和の大原談義のようとのことでした。
 某氏により「光明会は、二祖三代の精神とは別な新主張でないか?」との疑問に浄本上人は、「その根本精神は、凡入報土であり、唯々弥陀の願力に乗ずる他に道はないことで一致している。ただ現代人に理解し易いように、光明会は、救い下さる御仏を明らかにし、其処に中心を置いて衆生救済の因縁を明らかにするのである。これが時代相応の方法であるように思われる」と答えました。
 結論としては、「宗教体験の実地に立つ内実の言葉化」が重要であり、具体的には、法然上人の次などの道詠が大切である。
  われはただ いつかほとけに あふひくさ
  こころのつまに かけぬ日ぞなき
これを弁栄上人が『宗祖の皮髄』で説いています。今後、光明会と共生会が学び合い車の両輪で進むことが重要と考えます。

◇講話三席目 長谷川匡俊上人

 「近代の念仏・山崎弁栄上人ー念仏聖の系譜の視点から」と題して60分のご講話を頂きました。長谷川上人は檀林大巌寺のご住職であり、大乗淑徳学園理事長をされています。
 本年8月松戸の善光寺様より百回忌記念に発行する予定の私の原稿『山崎弁栄上人論集』の内容ですがとしてお話されました。
 結論としては、「16世紀以後の念仏聖等と弁栄上人とに相通じる信仰態度なり行動様式には、実は既成の仏教、とりわけ念仏信仰の枯渇した教団(寺院・僧侶・ 檀信徒)に対する異議申し立ての側面があることに注意しておきたい」。また、法然上人の「念仏を中心とした生活を取り戻そうとする信仰運動であるということでした。
 そして、過去の念仏聖とほぼ共通する点で次の特徴があった。

  1. 弁栄上人の筑波山や医王寺での隠遁・苦行性が見られた。
  2. 上記の場所での長期別時による念仏三昧性が見られた。
  3. 乞食や遊女に対しての慈悲・利他性が見られた。
  4. 国内および朝鮮や中国への(布教)と浄土宗本校(大正大学)建設のための性(寄付集め)。
  5. 光明主義教団という組織が出来、弁栄上人葬儀直後後継者が生れ、集団性・結社性が整った。
    報告は次号に続く

  • 更新履歴

  •