光明の生活を伝えつなごう

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令和五年「第四十七回 法のつどい」

日 程 令和5年5月20日(土)~21日(日)
会 場 光明学園相模原高等学校6F 修養室
参加者 28名 オンライン参加多数

 「第四十七回 法のつどい」は、12時30分から開会式が始まり鶴山上人の司会、亀山上人の維那により全体が進行されました。はじめに光明学園相模原高等学校の天野校長先生よりご挨拶をいただき、弁栄聖者創立の学校での開催に深いご縁と意義を述べられ、また、学園の先生方の参加について感謝の言葉で結ばれました。その後、矢野代表理事より挨拶(後述①)があり、お念仏そして昏暮の礼拝が行われ、夕食後には、別府信道上人のご法話(後述②)、お念仏、最後に鶴山上人から念仏参加の説示があり、一日目を終了しました。
 翌日は5時起床。無量光寺に参拝し、矢野上人のお導師でお念仏を称え、その後弁栄聖者と戒浄上人のお墓にお参りしました。晴れわたり、清々しい朝でした。
 学園に戻り、朝食・清掃。8時30分から朝の礼拝、引き続き稗貫光遠上人のご法話(後述③)があり、休憩後に聖歌「如来讃」〈聖歌伴奏:岩下玲子さん〉を合間に合唱しながら、ご回向が行われました。
 昼食後は、念仏一会、続いて吉水岳彦上人のご法話(後述④)をいただきました。閉会式では、矢野代表理事、天野校長先生のご挨拶があり、聖歌「のりのいと」を合唱。すべての行事を同称十念の唱和により無事終了しました。会場・宿泊・食事の準備等々ご協力いただきました光明学園相模原高等学校の先生方等にお礼を申し上げます。(記:佐藤蓮洋)

①矢野司空代表理事のご挨拶
矢野理事は近年重篤なご病気を患っておられるにもかかわらず、それを微塵も感じさせない語り口で若い参加者へのお念仏の心構えを熱く説いてくださった。
●お念仏の心構え
 お釈迦様が二五〇〇年前に御悟りを開かれて仏教が始まってくるのですけれども、観無量寿経というお経の中で初めて南無阿弥陀仏 という言葉が出てきます。その後、念仏を唱えることでみんなが救われていくことを、発見されたのが法然上人ですね。
 そういう教えを明治になって、新しい時代の流れと共に展開されたのが弁栄聖者による光明主義なんですね。
皆さんが日々の生活の中でお念仏と共に生活していくと、その念仏の光の生活が周囲を照らしていくんですよ。そういう自覚を皆さんが持っていただくことが大切だと思います。
私は癌になりましたけど、たとえ病気になったとしても苦にしないんですよ。苦にせずに逆にありがたいと感謝の気持ちを受け止めていくんですね。すべてのことが感謝の気持ちで受け止められるようになるということがお念仏だと私は思います。
(記:田代泰彦)
②別府信道上人のご講話
 声のトーン、容貌そしてユーモアたっぷりの語り口は、まさに師の父上であられる別府信空上人を彷彿とさせるものだった。今また時を経て信空上人のお話を聞くことができたという思いで感慨深いものだった。
●彼岸について
 彼岸というのは仏教語では悟りの世界です。彼岸は死んでいくところじゃないんですよ。生きとる間に、そこを生きるんですよ。私の父の師匠である山本空外上人は、彼岸というのはね、阿弥陀様の知恵のお慈悲に照らされたところ、これを彼岸というんです。そこを生きなければ人生に意味がないでしょう。といっておられます。そして空外上人は、浄土を清らかな暮らしと訳したんです。阿弥陀様を遠くに遠くにやってしまうのでなく、阿弥陀様をどんどん近くへ近くへ恋しく思って、念仏がある生活をしっかりしていきましょうね。こういう風に空外上人は言っておられるんです。
●光化
 弁栄上人の思想にですね、河波先生が、よく好んで使っておられた、光化があります。煩悩即菩提という言葉があります。意味的には煩悩と菩提は切っても切り離せない関係なんだということなんです。弁栄上人は煩悩がお念仏することによって光化、つまり転じる、悟りのほうへ転じていくんだとおっしゃったんです。
●レモンの接ぎ木
 レモンというのはですね、必ずある木に接ぎ木をして作るんです。それはカラタチなんです。カラタチってとげとげでしょう。煩悩まみれ、とげまみれのカラタチにレモンがなる木を接ぐとですね、そこから先はレモンがなるんですよ。
 煩悩まみれと思うとる人は。見事なカラタチの様な台木でしょう。これ、お念仏を接ぎ木すればいいんです。接いだら接ぎっぱなしではなくて、手入れが必要なんです。それが毎日のお念仏なんです。
弁栄上人はですね、渋柿が甘柿になるというお説法をよくなさっていたようですが、これは光に触れて変わっていくんです。阿弥陀様の方(お念仏の方)から自分に接いでいくんです。お念仏さえしとけば、まあなんとかなっていくんじゃなかろうか。ということを私なんかはつくずく思うんです。
●阿弥陀様は親
親子というものはですね、親のようになるでしょ、子供は。望むと望まざるにかかわらず、なりとうないと思ってもね、似てきますよ。親のようになるんです。同一性です。我々はなりたい方の親になっていくものなんです。弁栄上人様は阿弥陀様のことをオオミオヤよと呼んでくださった宗教的天才です。徳本上人に尊いお歌がありましてですね、コイシクテアミダブツブツトナウレバミダノコノミニスベツモツレツという強烈な歌があります。スベツモツレツとは言葉を変えれば「くんづほぐれつ」です。阿弥陀様のことが恋しゅうならんと近づきになれませんよ。徳本上人にはもっと尊いお言葉がありましてですね。徳本が阿弥陀様になることはできんが、阿弥陀様が徳本になってくれるとおっしゃったそうです。同一性です。お念仏を続けているとそういう人になっていくんですね。我々にこれを当てはめると、全部阿弥陀様がしてくださる。念仏しとったら。
●法然上人のお歌
ひとつ弁栄上人も取り上げておられる法然上人の歌で「阿弥陀仏と心は西にうつせみのもぬけ果てたる声ぞ涼しき」というお歌があります。私の解釈はこうです。セミは幼虫の時は土の中におりますが、成虫になる時は羽出して空飛ぶんですよ。つまり、今までの自分と全く違う自分を生きられるという歌。お念仏をすることによって、接ぎ木をすることによって、光化することによってちょっとずつ変わっていけるという、そういう世界をですね、ぜひとも生きていっていただけたらと思います。
(記:田代泰彦)
③稗貫光遠上人のご講話
●師父のこと
 冒頭に東京銀座で托鉢する僧侶の写真が示された。その僧侶は稗貫上人の師父である願誉公夫上人であった。師父上人は貧困から抜け出し事業で財を成した。富を享受しても満たされない思いの中で、一念発起され仏門に入られた。
 その研鑽の中、知恩寺の林霊法台下のご法話に感服され、思わず面会する機会に恵まれることができた。台下には、仏様に活かされている事を感謝し、他を活かす事でその恩に報いる念仏信仰の導きを受けた。また、台下の熱情あふれるお励ましが後押しになり、師父上人は4年間毎週、銀座の托鉢に立たれた。稗貫上人はその父親の影響により仏門に入られた。
●仏様からの宿題
 稗貫上人から配られたご文章『仏様からの宿題』は次のように問いかけている。
 〈一度の人生をどう生きるか。人生に定年はありません。老後も余生もないのです。死を迎えるまでは人生の現役なのですから。「この人生どう生きますか」これが仏様からのあなたへの宿題です〉
また、同時に配られた『アンパンマンのマーチ』は次のように語りかけている。
〈何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなの嫌だ…何が君の幸せ 何をして喜ぶ わからないまま終わる そんなのは嫌だ〉
 人生が終わる時、仏様から宿題をどう取り組んだかを問われる。「忙」という字のように心が亡くなる人生であってはならない。この世で如来様の御光のお育てを受け、仏様の世界に必ず生まれる事ができる。念仏を相続していくうちに念仏の世界が広がっていく。
●稗貫上人が歩まれた仏道
 稗貫上人は23~30歳の時に開教師としてハワイに着任された。開教師の先輩である松濤弘道上人からは現地で開く教えはいつまでも日本の仏教であってはならない、新しいハワイの仏教でなくてはならないと励まされた。
 ハワイで移民三世四世を相手に英語で伝道し、ご苦労をなされている上人に対し、神奈川の二宮の知足寺の御住職の娘さんとの縁談話が持ち上がった。娘さんの御祖父様である相馬千里上人はハワイで新寺建立、移民への保育事業の立ち上げ、北米での布教を志す等バイタリティあふれる活動をなされた開教師の先達であった。
 相馬千里上人と同じ「ちさと」という名前を持つお孫さんは稗貫上人の奥様になられたが、その奥様とのお見合いの際、奥様が生後六か月の時に亡くなられた生母の墓前に案内された。上人は墓前で念仏を称えているうちに奥様の亡きご生母の気配を感じ、奥様を守っておられる事を感じる事ができた。その時、上人は如来様が亡き人と共にいらっしゃるという事を実感することができた。
 以上、ご縁があつた出会いや如来様のお導きの下に仏道を歩まれた稗貫上人は「仏様からの宿題」に向き合う念仏信仰を次のようにお説きになられた。
 「念仏により如来様と共に生き、大いなる御光に照らされ、心のお育てをしっかり頂戴する。そして命を全うした時に必ず如来様の世界に行くことができる。これこそが生きた信仰。これこそが光明会の念仏なんだ。」
(記:花輪智之)
④吉水岳彦上人のご講話
●苦しみ多きわれらの前に
 冒頭、吉水上人から善導大師の般舟讃の御言葉を頂いた。「佛の身は円満にして背相なく、十方より来る人、みな面に対す。 倶に願いて 心を傾けて相続して念ぜよ。 即ち有縁の心眼の前に現ず。」
●声なき声を聞く
 吉水上人は日々、住む所、食べ物に困った方々へ施しを行い、困り事を聴く支援活動をなされている。本当に困っている人は声を出せなくなっている。そんな人さえ見つける事は難しいが、上人は弁栄聖者の伝記に触れることにより、声なき声を聞く先達として、聖者を身近に感じられるようになった。
 聖者は周りから見向きもされない人々にそっと施しをなされたり、異国に身売りされた人々にも慈しみをもって接せられた。また、あなたの前にいて念仏の声を聞いて下さるアミダ様の完全な救いをお説きになられた。
●真正面にまします御仏
 冒頭に頂いた善導大師の御言葉にある通り、御仏の面が円満に目の前にあるのは、御仏の中につまっている悟りの智慧(仏となる根本智、円満無礙の智慧)やあらゆる生命を救う無量の寿が照らす御光が円満であることによる。如来様は私たちの前にいて下さること。その憶いで念仏を申すと目の前にいる如来様を実感する事ができる。御仏はあらゆる方向に真正面で対面して慈悲のまなじりを注いで下さる。御姿をあらわして救って下さる。そのため、「倶に相続して念ぜよ。そうすると仏の御姿・お浄土が現前する。」と善導大師はお説きになった。
 弁栄聖者がお説きになった念仏は観想念仏と揶揄される事もあったが、そこには善導大師の御教えがしっかりと息づいている。ほのかに月に目鼻をつけた程度でも如来様の面を憶い、今現に此処にいて下さるという気持ちで憶念すると、仏の御力により心の眼に如来様が御姿をあらわし、私たちを救って下さる事をお説きになった。
●御仏と共に生きる
 「南無」という言葉は帰依という意味ではあるが、英訳の「Going For Refuge(避難所にすがる)」という言葉がふさわしい。仏様は念々に一人ひとりの前に来て下さる。無条件の愛情で包んで下さる。その事実を私たちの方で受け止め、実感する事で、この世を生きていく事ができる。
 吉水上人の御自坊を訪ねて来られたあるご婦人は失踪の末、亡くなられたお母様への喪失感と助ける事が出来なかった自責の念に苛まれていたが、どん底の中から念仏にすがった。やがて、そのご婦人は、亡き人々とともに如来様が一緒にいて下さる事を実感できるようになり、しっかりと日々の生活を歩み始めることが出来るようになられた。それは理屈ではない。念仏を実践していく中で、仏様が一緒にいて下さる事を実感し、ありのままに柔らかく生きて行こうという力を起こってくる。弁栄聖者は御仏が目の前にいて下さる事実を実感できるよう、御教えとともにいくつもの三昧仏様のお絵像を残された。
(記:花輪智之)
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