光明の生活を伝えつなごう

他場所だより

財団本部レポート 令和四年「第四十六回 法のつどい」

山本サチ子

日程 令和4年5月14日(土)~15日(日)
会場 光明学園相模原高等学校6F 修養室
参加者:約40名(内11名は光明学園の新人教員)

 「第四十六回 法のつどい」は「山崎弁栄上人の百回忌音楽法要並びにシンポジウム」開催から3年目にしての催しとなりました。
 プログラムは12時から受付、13時からの鶴山恒教上人の開会宣言で開始されました。はじめに光明学園相模原高等学校の天野校長先生より挨拶をいただき、光明学園の開祖である「山崎弁栄上人」が創立されたこの学園で「法のつどい」が開催されること、そして、学園の新人の先生方が講師の方々のお話やお念仏を体験されることの悦びについてのお話がありました。
 紙面の都合上、全体を載せられないことが惜しい限りですが、挨拶・講話を中心にご報告いたします。

第一日目

矢野司空上人(代表理事)より挨拶
「法のつどい」がコロナのウイルス感染がやや減少傾向にある中で開催できたことを悦んでおります。私自身、体調を崩し療養中ですが、毎日の生活の中でお念仏を申すことにより救われ、命の不思議とお念仏が生きるために如何に大切であるかを感じています。広島大学で「山本空外先生」と出会い、長野県の鉢伏山での青年別時に参加し、それ以来念仏の生活を50年程続けています。念仏することにより心が乗り越えられる。南無阿弥陀仏の南無はすべて阿弥陀様にお任せすることで「帰命」と訳します。現在のインドでも挨拶する時は「ナマステ」と言って頭を下げます。「阿」は計算できない「無量」です。命のオヤ様である「阿弥陀様」に頭を下げることは、自分自身の命を大切にすることに繋がっていくのです。南無阿弥陀仏を称えていると阿弥陀様と一つになっていきます。若いうちに心を耕し種をまく。忘れてはいけないことは「易行」つまり「行」です。同じ念仏は一つもないのです。どうか念仏の生活に励んで頂きたいと思います。

休憩をはさみ16時から「暮れの礼拝」と夕食、18時から講話が開始されました。

今井英之講師
私は現在、大分県の寺の住職であるが生まれ育ちは東京の深川です。寺の次男坊として生まれました。縁があって大分の寺の娘さんと結婚して現在にいたります。やはり人生は「縁」なのです。
東京の一般の寺とはまるで環境の違う地方の寺に入りました。最初は戸惑うことばかりでしたが妻に励まされ、少しずつ環境に慣れ親しんでいきました。最初は広い境内の草取りの生活が嫌と感じることもありましたが、毎日続けていくうちに段々と道具等を使い仕事に慣れていきました。嫌だった仕事も楽しくなり今では乗り越えることが出来たのです。草取りをして日光を浴び過ぎるとシミなどが出来たりします。しかしこの世の中にはいくら浴びてもよい光、それが「仏光」です。如来さまの光明は肉眼では見えませんが心の中をしっかり照らして下さっています。大分県にきて感じたことは人と人との繋がりでした。
私が今日こうして生活できていることは周囲の方々の助けがあったればこそです。摂化院の開山、三隅上人の護念、そして私をお世話してくださった下司さんや妻そして自分を取り巻くすべての方々のお陰です。やさぐれていた自分の肩を叩き別時念仏に誘ってくださった金田昭教上人、すべての人々に助けられて今の自分があります。今ではいつも如来様の励ましのエールを頂き人生の険しい道のりを乗り越えています。
念仏をしていると「足がいたい」、「眠たい」、「早く帰りたい」…と三匹の「たい」がでてきます。しかし続けていくことにより必ず乗り越えることが出来ます。念仏を続けると毎日心穏やかに生活できるようになり、その通りになっていくのです。私は人生の終局は極楽往生であると思っています。どうか皆様念仏をいたし明るい未来を作って頂きたいのです。「平生の時照らし始めて最後まで捨て給わぬなり」

第二日目

金田昭教講師
(講話は「信仰、はじめの一歩」と題した一枚の資料が配布されそれに基づき進行されました。全体の語りが爽やかで、解りやすい説明でした。)

お念仏の称え方(身口意)
身─背筋を伸ばし合掌し(もしくは木魚をたたき)、呼吸を整えて称えます。口─はっきり発音し、大きな声で(道場)。自分の耳に聞こえる程度の声でもいい(日々の生活)。意─正面に阿弥陀様がいらっしゃることを念じつつ(感じつつ、思い込みつつ) 体を整えて念仏すると南無阿弥陀仏の声に心が運ばれて集中しやすくなる。 

弁栄上人『宗祖の皮髄』四十五頁「名体不離」
太陽といわば名について太陽をおもうがごとく、弥陀の名を呼ぶとき、すなわち弥陀を思う。さればとて口に名を称するも、意が弥陀に相応せざれば、体を離れたる名にして実はなきなり。

聖光上人『西宗要』
心が心を勧め、心が行を勧め、行が行を勧め、行が心を勧むるなり。        

「南無阿弥陀仏」とは?
一般的には死や死者に結びつく暗いイメージがあるが実はとっても明るい言葉なのです。南無阿弥陀仏の声に心が運ばれて明るくなってきます。             

「二」『お慈悲のたより』下巻四頁
角岡界倫上人宛「未だ恩恵を感ぜざるにもせよ、せめては其の身、其の精神のその肉の命を与え養いつつあるものに謝し玉え。」

弁栄聖者の主唱した光明主義とは?『弁栄上人書簡集』「九二」三〇六~三〇七
自分の〔光明〕主義は〔今も浄土にて〕活きて〔護念してくださっている〕法然上人の意志を受け継ぎ、大ミオヤ〔である阿弥陀如来〕の光明によって、今現在、暗黒の中に迷っている人々の心を、明るい光明の内に導き、そして、肉欲ばかりを求めて生き、霊に死している人の心を霊的に活復させて、この世から〔死後の世界までも〕大ミオヤ〔である阿弥陀如来〕の光明の中で生活ができるようにしてあげたいというのが目的なのです。 

『弁栄上人書簡集』「二四六」六五一頁 「光明学園設立の目的」
光明学園 右学園ハ一ハ主義伝道者ノ為、一ハ地方青年思想改善ノ目的ヲ以テ設立スル。

亀山政臣講師
私は一般家庭の生まれでありますが住職であった祖父が他界したため祖母が住職となり寺を守っていました。私は一般の大学を卒業したのですが、祖母を観ていて佛教大学で学び、資格を取得して寺の住職となる決意をしたのです。大学では藤本浄彦先生や諸先生の御指導を賜り充実した学生生活を過ごすことができました。この悦びを伝えられるお坊さんになりたいと思う気持ちが強くなっていきました。その後、各会所の別時につき光明主義の深さ素晴らしさを学び実践して今に至っています。その中でも河波定昌上人からの教えが印象的です。その一つに法然上人の詠まれた「月影の歌」の捉え方が心に深く刻まれています。学校に校歌があるように浄土宗にも宗歌があります。このお歌は浄土宗の宗歌になっています。

月影の至らぬ里はなけれども
眺むるひとのこころにぞすむ 

月影は光明のことです。如来の光明はいつでも私達を照らしていて、ながめる人の心(拝む人の心)に宿っています。拝む人の心にすむのです。「すむ」は掛詞になっています。「すむ」は私たちのこころに働きます、「住む、済む、澄む、棲む」などと捉えてもよいでしょう。腹がたつときでも念仏をしていると心が穏やかになる。「ここを去ること遠からず」如来様はいつも一緒にいて下さいます。同じ事実をどうとらえるか。例えば、コップに半分水がある。「これしかない」と思うか、「これだけある」と思うか、「こんなにある」と思うか、その受け止め方で人生は変わります。『礼拝儀』百頁に掲載されている「食後のことば」にも月影のお歌に通じるものがあります。「大御親よ。アナタに与えられし、霊の糧をば我が信念によりて消化し、聖き命の力となして…」。これらの「ことば」も月影のことばに通じるものがあるのです。私に興る事すべて「恩恵」と受け取ると「心が変わる」「出会いが変わる」「ご縁が変わる」、そうすると人生が変わっていきます。そうしたら光明の生活になっていきます。物事を不平不満ではなく恩寵として捉え、仏を通して自分との対話をして頂きたいと思います。

 14時30分 閉会式が行われ、光明学園相模原高等学校の天野校長先生から光明会のスタッフの方々へのお礼のことばが伝えられ、閉会されました。

〈所感〉
2日目の朝5時30分、学園から徒歩で無量光寺参拝。清々しい冷気につつまれ幸福感漂うものでした。雨上がりの丹沢の山並みの中腹にたなびく雲はまるで如来の恩寵を感じる美しさでした。環境に恵まれた中で、今回の法のつどいは参加者の心に響くものがあったのではないかと思います。三人の若いお上人さまを中心にした「講話」は一般の初心者の方や若い方々にも分かりやすくとその願を込めてスケジュールされたと受け止めています。新鮮な「法のつどい」であったと感じました。 合掌
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