中四国支部 弁栄上人九十回忌 追恩別時念仏会 平成21年10月29日~30日
山口県宇部市「極楽寺」において 参加者56名
2日間とも良いお天気に恵まれ寒からず暑からずのお別時日よりな日々を過ごさせていただきました。僧俗56人余りの参加者を得て厳修されました。
極楽寺お檀家の30人余りの参加がある為、十念は、「なむあみだぶつ なむあみだぶつ」と称える大日比流念仏で通しました。他地区からの参加者は初め大日比流に不慣れなため少々戸惑っていましたが、行事が進む中慣れてきたように感じられました。
29日講義 熊野忠道上人 講題:「法然上人 親鸞上人 弁栄上人」
機関誌「ひかり」に掲載中の話題について日本において浄土宗を開かれたのは法然上人だけであること、今の浄土真宗は蓮如宗であることを親鸞聖人の「高僧和讃」等の資料より又、東西の学者の話を交えながらの1時間半でした。
◇法然上人の残されたお念仏の偉大さを伝えた人は数多くいるが、時機相応の考えを実践したのは弁栄上人だけである。
◇私の遺言という言い方で、「お念仏をする人は、人を嫌ってはいけない。文句を言われても受け止めるのである。」
最後に御年91歳の熊野上人「私の一生は家族に恵まれ人や縁に恵まれた大変幸せな91年であった。このような幸せは、自分がお念仏の縁に恵まれたからだ。」と結び、お念仏の功徳をとかれました。
30日9時 弁栄上人九十回忌追悼法要
極楽寺御住職佐野隆和上人御導師のもとに厳修されました。僧俗ともに『礼拝儀』を読誦し、最後に『弁栄上人追悼曲』を合唱し追悼法要を修了しました。
30日講義 仏教大学 藤本浄彦先生 講題「『みおやのひかり』を中心として」
お念仏は、心を豊かに温かくする方法の一つである。『礼拝儀』は、弁栄上人からのメッセージであり、浄土宗の勤行式を心を豊かに安心して暖かく味わい、深く生きていく為の灯否のように照らし続ける内容と工夫が込められている。
◇お念仏信仰の進み方について「凧上げの凧」に例えての話。
お念仏は、凧上げの凧のようにすぐには上がらない。段々繰り返しているうちに何時しか浮かんでいく南無阿弥陀仏の風に乗せられていく。
凧も上がらない時は楽しくないが一度上がり始めたら喜びが南無阿弥陀仏の世界に入っていく=三昧の世界。
念仏を続けるのは牛のヨダレの如く永く永く切れないように称えようと。
◇往生の為の念仏であるが、光明歎徳章の「それ衆生ありてこの光に遇う者は三垢消滅し身意柔軟に歓喜誦躍して善心生ぜん」の文にある通り、十二光仏の功徳を受けることが出来る。阿弥陀様の慈悲は、私達を信心成熟させ、円満なる人格形成となる、又命終わるとき浄土に往き生まれる事が出来る。
大島西蓮寺の檀家の藤岡善政宇治は、百四歳、弁栄上人の本は良く読まれている。住職不在時の念仏例会ではお話をされ、趣味はと聞かれると「念仏である」と答える。「一人暮らしだが寂しくない、如来様といつも一緒だから」といわれる妙好人。いつも念仏を称え如来様を思い暮らせる人を見習いたいものである。
藤本先生講義後質疑応答
特に、『礼拝儀」の中の用語がキリスト教的なことについて「時代の文化的背景により分かり易く説くために使われた」ということ、このことを聞き私として前々からの疑問を解消することが出来ました。
渋柿が太陽光によって甘くなるように、私達の渋柿のような心を、仏様の光を浴び甘く美味しくしたい、念仏相続することにより、味わい深い人生を送りたいものである。信仰が絵に描いた餅では勿体ない、念仏の実践と相続の大事さを、熊野上人、藤本先生のお話より教えていただきました。
記録及び報告文 岩沼光裕