光明の生活を伝えつなごう

他場所だより

他場所 平成24年2月

ご祥当りんご念仏会(第10回)に参加して

安宅川 崇

弁栄聖者ご祥当りんご念仏会が、11月19日(土)~20日(日)の1泊2日の日程で実施されました。この行事に初めて参加する妻と私は、早朝4時に車で和歌山の自宅を出ました。そして、集合時間の丁度半時間前、長野駅に着きました。道中は荒れ模様の天候でしたが、駅に着くと小雨でした。

関西、中部、関東各地区から19名の参加者がありました。そこから、3台の車に分乗して十念寺に向かいました。

十念寺は、源頼朝公ゆかりの寺で、境内には和歌山とも縁の深い徳本行者の石碑がありました。その十念寺では、「只一向に念仏する会」に合流参加させていただきました。袖山ご住職導師、古田幸隆上人維那によるお念仏を立ち礼拝を主に唱えました。

その後、十念寺から法学寺のりんご園を目指して、海抜700mの高地へと車を走らせました。

りんご園に着くと強く雨が降っていました。この日の朝、雨天を予想された古田幸隆上人が、前もって採ってくれていたたくさんのりんごを、そこで参加者それぞれにいただくことになりました。雨の降りしきる中、傘を広げ、りんごをビニール袋に入れながら、みんな嬉しい笑顔となりました。りんごを積み終えて、法学寺に向かいました。

法学寺様では暖房の効いたお部屋で甘いりんごやその土地のおいしいお漬物で歓待してくださいました。しばらく、法学寺様ご家族のあたたかいおもてなしに浴させて戴いた後、夕刻の本堂でお念仏をさせていただきました。お念仏が終わり、参加者全員、古田幸隆上人ご揮毫の米粒名号入りの携帯ストラップ・キーホルダーをいただきました。

その日の宿は、アゼイリア飯綱いこいの村。六時に着いた私達は広い部屋で、一品一品と出されるおいしい夕食をいただきながら、楽しく歓談させていただきました。

夕食後、8時半に、3階の研修室に移りました。そこで縮小された弁栄聖者の如来様お絵像などの写仏にとり組むことになりました。佐野成昭師の写仏方法の説明があって、筆ペンや鉛筆にて写仏三昧の快い集中に浸りました。早く仕上げた人から順に、古田上人はその人の祈願文を米粒に添え書きして授けてくださいました。入浴後すぐ床に就きました。

翌朝は6時前に起床し、6時20分早朝のお念仏のため一旦宿舎を出て濃い霧の立ちこめる中、智香寺に向かいました。近代建築の大伽藍の中で、前田家ゆかりの阿弥陀如来様の前で一心にお念仏させていただきました。

8時前に宿に戻り、朝食をおいしくいただいた後、アゼイリア飯綱いこいの村に別れて法学寺に向かいました。法学寺に着くとすぐりんごの包装発送作業にとりかかりました。

そして9時半、いよいよ本行事の主目的である弁栄聖者ご祥当念仏会のセレモニーが始まりました。古田上人のご指導に随って、佐野成昭師の二胡伴奏に合わせ、全員が聖歌「衆会」と「いまささぐ」を斉唱する中を3人の代表が献灯・献香・献花を行いました。その後すばらしい環境の中で称名念仏に打ち込むことができました。古田上人は、ご祥当会表白として弁栄聖者のご略伝を読み上げられました。弁栄聖者の生涯に亘るご苦心を想い、また古田上人の慈愛こもるお声に感涙が込み上げてきました。

終了後、古田上人の奥様より境内から見晴かす野山の中に枝を広げる有名な神代桜を教えていただきました。そして空を見上げると、ようやく青空が広がりつつありました。

心のこもるおもてなしにあずかった法学寺様ご家族と名残惜しくお別れしました。そして昼食のため、本場の信州蕎麦料理の店に移動しました。本場の味はさすがでした。善光寺参拝を前に、私達は、そこで参加者の方々とお別れしました。ほのかにりんごの香漂う車で、念仏会行事の“感動と感謝”の余韻に浸りながら帰途に就きました。

合掌

弁栄聖者ご祥当会

佐野 成昭

12月3日午前10時より午後3時まで京都市清浄華院にて15名の参加者を得て弁栄聖者ご祥当会を開催しました。今年は聖者の92回忌に当たり、歴代諸上人や諸先徳のご回向をさせて頂きました。参加者の多くは長い経験者が多かったのですが、初参加者が3名おられました。島根県向西寺住職の山上光俊上人を導師としてお迎えし2席ご法話を頂きました。

清浄華院は浄土宗大本山八ヶ寺の一つ、当初清和天皇御勅願で御所の中、西暦860年に創建された天皇ゆかりの大変由緒ある寺院です。12世紀になり何人もの天皇の受戒をされた法然上人にこの寺が与えられた。そのため、阿弥陀堂には、各天皇のお位牌が祀られています。かつてここでは、よく光明会のお別時がなされていますので、ご縁のある参加者の方が大変懐かしんでおられました。山上上人は、この大本山清浄華院の布教師会会長でもありますので、念仏会の終了後別棟の建物や宝物を見せて下さいました。

時間割は午前10時礼拝儀により亀山政臣師維那で朝の礼拝とお念仏。11時法話、12時昼食、13時15分聖歌「哀悼歌」・法話、15時念仏・ご回向および聖歌「のりの糸」、15時半終了。

今回のご法話の主題は、やさしく説く「光明主義」で、「光明会趣意書 口語訳」「阿弥陀ほとけのみ光をほめたたへ奉つるふみ」「十二光と七覚支の歌」の三枚の資料に基づきお話されました。その概要は次の様でした。

午前の席

弁栄聖者の紹介でご遷化の部分を『礼拝儀』の「略伝」を見ながら、「寒風にさらされてご病気であっても他人を気遣う聖者の長野巡業」から「ご遷化」までのお話で始まりました。山上上人が学生の頃、京都市龍岸寺で田中木叉上人が「お念仏を本当にお称えしたら、必ず阿弥陀様にお会い出来ます。もし、うそであればこの首をあげます」と言われて驚いたそうです。本当に阿弥陀様がいらっしゃることは、既に実験実証されているということです。

かつて全国の信者の方が悩んだり困ったりした時に、木叉上人からタイミング良くハガキ伝道のアドバイスが良くありました。多くのその信者は「なぜ私の心が分かるのだろう」と不思議がりました。そのお便りが解決の糸口になり喜ばれていました。それは、木叉上人が早朝念仏三昧をされた直後、大円鏡智によって凄い勢いでお便りを書かれたからでした。このことは現代心理学で当り前に認められている事柄です。

弁栄上人も重要と認めておられる聖光上人が法然上人の正しい教えを相伝し著された『末代念仏授手印』を山上上人が三十八歳の時奇しくも各地伝道中に三種相伝本を一年以内に拝読されました。その仏縁で聖光上人からのメッセージとして受け止められた山上上人は、聖光上人と同じ様に四十八日間別時念仏をされました。それで次のことが分かりました。

  1. 一、光明体験するにはどれだけ学問をしても、知識や学問(分別知)ではだめである。最後理屈をもって臨んでもお手上げで、自分が何ひとつ分かってないことを気づかされた。阿弥陀如来様にお任せするほかない。自分が知らない間に念仏を学才的な解釈と理解に偏ってしまって分ったような気分になっていた。
  2. 二、如来様のお慈悲を体験した。自分の前の世はどんな人間だったか、またその前と順に考えると阿弥陀如来様が私を救いたい、良くしたいと思っていて下さったと分かり涙しました。つまり自力的念仏から他力的念仏へ移行した。それからは楽にお念仏出来るようになった。

お釈迦様の悟りの自内証とは一言で言えば、「光明」である。そのみ教えは光明主義である。光明の中味は智慧と慈悲である。光明主義とは光明体験主義でなければならない。弁栄上人は、本を読むことを薦めるより念仏することを奨められました。その理由は念仏体験により光明を獲得することである。聖者は信仰の目的を「趣意書」(口語訳)の中で次のように明確に説いておられます。

「外部に向う文化の足は大層進歩して今日の隆盛を見るようになりました。これからは宗教や道徳などを盛んにせねばならぬ時が来ました。私達は時代にそうた信仰の団体を作って共に教えを研究し、又信念を養って、互いに手を結んで、大御親のみむねにかなう清い同胞としてみ光の中に生活し、現在から永遠の浄土に進行するのを目的と致しましょう」

それ故、皆がこの「光明」の生活から「永遠の浄土」への目的を一つにして、手を携えて精進し合いましょう。皆各人個性があり、みんな違ってみんな良いのですが、まず体験的な「光明」の生活を歩まなければなりません。

午後の席

今の日本は、法然上人の「末法」の時代と似ている。なぜなら、原発問題や震災の問題をかかえて人は無常の前にどのように生きるかを問われているから。2万人の人が一瞬で命を落とし、町ももぎ取られている。しかし、こんな時だからこそ光明の生活で永遠の生命と真実の生活を得て、感謝と幸せの生活を送る必要がある。

光明主義は難解と人が良く言うが、難解ではない。そういう所を注目して欲しい。配布の『阿弥陀ほとけのみ光をほめたたへ奉つるふみ』(ミオヤの光―仏光の巻、道詠集)を拝読すれば分かり易いと仰って「如来光明歎徳章」の内容が記載されているところを読み上げられた。

また、聖者作の十二光のお歌の紹介があり、印象に残ったものは次です。炎王光のところで次のような説明がありました。人は縁によって変る。おいしい料理を見たら欲しくなる。欲には原理(起因―追求―満足―消滅)があり、満たされたら必ずゼロになる。物質で満足することはない。震災の被害者も例に漏れない。質素な衣は着ていても人間の中味が大切。聖者は言うにおよばず、徳本上人、マザー・テレサが質素な衣を身に纏い伝道しておられた姿が良い例である。心を欲望色に染まらず、慈悲色に、光明色に染まろう。法然上人は「念が往生の業となる」と語っている。何をおもうかが大切でおもいが人格にあらわれる。仏をおもうと仏色に染まる。

「念仏七覚支のお歌は、仲々言葉で表現出来ない御悟りの内容を聖者が七つの過程に分けて歌にして説かれたもので、これは今まで誰も表したことのない重要なものです」と語られて、歌を読み上げながら、時間の制限の中で少しずつ説明を加えられていました。

最後に次でご法話を終了しました。

  1. 信仰の目的(所求)は、光明生活
  2. 信仰の本尊(所帰)は、光明王、つまり、阿弥陀如来様
  3. 信仰の方法(去行)は、光明名号、名号をお称えすること。

すべて「光明」がついている。目的と対象と実施することを明確化し確実に実行しなければならない。つまり光明主義は如来光明摂化主義ですから光明体験主義である。

以上の内容で山上光俊上人は、時間を超過する程熱心に多く語って頂きしたが、念仏体験主義が光明主義であるという大切さを経験的に語って頂けたことは貴重なことと思われました。尚、お話しが長くなり今回お念仏の時間が減ってしまったことは、主催者として参加者の皆様に大変申し訳なく陳謝したいと思います。今回昼食時に私が参加者のお名前と大まかなお住まいの地をお上人や皆様に紹介させて頂き、座談で色々話がはずみ良かったと思われました。

合 掌

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