光明の生活を伝えつなごう

他場所だより

他場所 平成29年10月

聴講 藤本浄彦上人講述「光明摂化論」

光明園 園主 大南龍昇

一般財団法人光明会主催の教学研修会が6月13日から3日間、山口県大島郡周防大島町東屋代の浄土宗西蓮寺で開催された。本会は山崎弁栄上人が説かれた如来光明主義の教化伝導に当る布教師の養成を目的として開かれたものである。従って研修会は別時念仏研修会と銘打たれるように、六座の講義の前後には礼拝行と念仏一会が配せられての行学併修のものとなった。

講師の西蓮寺住職・藤本浄彦上人は現在、浄土宗総合研究所所長で佛教大学名誉教授であられる。先生は早稲田大学、大谷大学大学院で宗教哲学を専門とされ、浄土宗総本山知恩院浄土宗学研究所、佛教大学で浄土教学、宗学を研鑚、学生の指導に当ってこられた。

ご自坊を会所に提供された藤本師ご自身から示された「本研修会の目的」には、「山崎弁栄上人にご縁がある念仏ご同行の浄土宗僧侶は、宗祖法然上人の教えを基本として謙虚に教・行を理解し体得する自行によって、自らの土台を形成することができる。自行を基としなければ化他行(教化・伝道)が正しく発揮されえない。」と謳う。弁栄上人の教えを伝えるに当っては法然上人の教えを基本とした自行化他行の習得が布教師の要件であるとされるのである。

【講題とその内容】

講題は「光明摂化論1 その生成論と摂取論-善導・法然・聖光から近代浄土仏教者へ-」である。

光明摂化思想とは阿弥陀仏の光明がもつはたらきを説く思想である。藤本師は法然の光明観に光明のはたらき、すなわち力用を生成と摂取の二動態に捉える所説を見い出す。そして善導に遡り、弟子聖光にその進化を確認し、さらに近代の浄土仏教者に展開、特に弁栄の光明主義に法然の光明観の深化・発展の様相を明らかにしようとする。加えて浄土宗教学・教化の近代的運動を担った弁栄と弁匡(椎尾弁匡上人)と浄土宗について論ずる。

最初に序と本論と結の部分の章題を掲げ本論の構成を示すことにしよう。

はじめに-着眼点と方法論
1.表現言語の世界
2.資料への態度
第一章 日本浄土仏教の礎石-基幹としての法然の教行-
第二章 法然の光明観-『逆修説法』を中心に-
1.「一心専念弥陀名号……」の実践者としての法然
2.光明生成論~十二光仏の体験的受領~
3.光明摂取論~常光と神通光~
4.「三学(戒・定・慧)非器」の凡夫が往生すること~生成と摂取の実現~
第三章 善導・法然・聖光にみられる「光明摂化」論
1.善導の場合~『観経疏』~
2.法然の場合~『三部経』講説と『逆修説法』~
3.聖光の場合~『徹選択集』~
第四章 近代浄土仏教者の関通・徳本・弁栄・弁匡にみる「光明摂化」論・点描
①関通(1696-1770)・徳本(1758-1818)の「念仏衆生摂取不捨」理解
②弁栄(1859-1920)・弁匡(1876-1971)の「光明摂化(念仏衆生摂取不捨)」理解
〈1〉弁栄:光明摂化主義 A.弁栄理解 B.弁栄の機軸
〈2〉弁匡:共生仏教
第五章 弁栄と弁匡と浄土宗 管見
〈1〉弁栄と弁匡と浄土宗の状況点描
〈2〉仮設的私見の試み
第六章 浄土宗における弁栄・弁匡以後の後継者たちの姿勢・私的管見
おわりに-近代浄土仏教者の「光明摂化論・如来光明の力用」理解に向けて
1.浄土仏教歴史の観点から
2.弁栄の教行について全貌的観点から
3.次なる課題へ

以下に示す内容紹介は多く講述に用意された資料より引用したものであるが、筆者の恣意に基づくところが多く誤解も目立つことであろう。予めお詫びしておきたい。なお資料には脚注が施されているがここでは省略した。

序の着眼点と方法論では、まず我々の宗教文献の読み方や扱い方が示される。すなわち経典や宗典や宗祖や宗教者の言葉は、客観的な事実を伝える〈記述言語〉と異なり、心の中の出来事を表現する〈表現言語〉であること。その教えや思想には、その背後に宗教に不可欠な儀礼や教団の諸要素が伴うことを予め知っていなければならない。

また資料としての伝記に接する態度として、その人物の宗教的人格を生んだ主体的な経験の現場が横たわっているということに配慮しなければならないとする。多くの伝記が遺る法然上人や近代の弁栄上人の場合、特に共感するものがある。これらの問題は布教者の自行の大切な要素である学解の前提として心しなければならないであろう。

本論第一章 日本浄土仏教の礎石では、浄土教の礎石を築いた法然が仏教を聖道門と浄土門に峻別し、浄土門の教行を開陳して前代未聞の浄土仏教の特色がもたらされたと論ずる。その形成過程には称名念仏実践の体験の裏付けがあると看取し、五十八歳の東大寺における『三部経講説』、六十二歳頃の『逆修説法』、六十六歳の『選択集』、加えて六十六歳から七十四歳に至る念仏専修の記録『三昧発得記』に追跡できると見る。その信仰の内実は、決定深信心から発露する「一心専念弥陀名号」の継続、相続の体験的深化であると指摘している。

かくして法然以後の浄土仏教者の礎となる法然浄土仏教の特色を藤本師は四点にまとめる。①三学実修に規範を置かず凡夫の現実を自己把握する人間自覚。②「我が身に堪能なる修行、我が心に相応する教法」である選択本願念仏の実践。③本願念仏とは口称念仏を継続し相続すること。④口称念仏の継続と相続が念仏者にもたらす境涯に重なりゆく究極としての浄土往生思想、を礎石とする。それ故に浄土仏教は「時機相応にして万機普益」であるとのべる。ところでこの四大特色は浄土宗学で教義の説明に用いる仏辺と機辺、すなわち阿弥陀仏の側と衆生の側の両者の立ち位置における衆生側、機辺に立った特色といってよい。そして藤本師は加えて「浄土仏教が発揮する特徴は阿弥陀仏が〝如より来たり如へ去く〟、如来如去として衆生にはたらきかける仏を捉える点にある」とする。「言わば、〝如去〟の知恵が〝如来〟の大悲としてはたらき通しにはたらく=如来の光明が中心話題となること、すなわち、如来光明の力用を重視する点にある」と説く。これは仏辺としての阿弥陀仏を捉える視点といえよう。

第二章の法然の光明観は、法然こそこの阿弥陀仏が衆生にはたらきかける如来光明の力用の構造を生成と摂取の両面から明らかにしたと論ずる。

前述のように法然の思想形成を知らしめる著述は、念仏実践の体験に裏付けられているが、藤本師はこの中で62歳に著された『逆修説法』に法然の宗教体験によって言葉化された内容が見られると注目する。

『逆修説法』は法然の門弟、遵西の父である中原師秀が自身の死後の冥福を祈る仏事、すなわち生前に功徳を積む「逆修」で行った法然の説法をいう。六七日にわたる説法の中の三七日の説法には、多くの分量で「阿弥陀仏の光明の徳用」を説く。藤本師によれば、この所説は『無量寿経』説示の如来光明歎徳章の十二光仏に対するものであるが、正しく法然の体験的受領を示し、正しく光明生成論と呼ぶことができるという。

この中、清浄光・歓喜光・智慧光についての受領をのべて、清浄光は念仏によって三毒煩悩の貪を除き持戒清浄の人と同様に成る。歓喜光は念仏によって瞋を除き忍辱の人と同様に成る。智慧光は念仏によって癡を滅して智者と勝劣がないと説く。十二光仏については如来光明歎徳章に「是の光に遇う者は三垢消滅し身意柔軟にして善心生ぜん」とあるように「遇斯光」による煩悩の消滅・身意の柔軟・善心の生起という生成論が積極的に説かれている。法然はその光化によって三毒煩悩の凡夫が持戒清浄・忍辱・智者に同じ、成ってゆくと説いて念仏による光明のはたらきの生成論を明らかにしている。

光明の徳用の第二は、常光と神通光による光明摂取論である。法然の念仏体験から受領される光明の徳用は、阿弥陀仏の光明によって阿弥陀仏の西方極楽浄土へ摂取され捨てられることがないという究極的な意味を発する。

法然は十二光仏の解説を終ってから、光明の功徳の多種ある中、常光と神通光の二種に大別されるとし、光明の力動的側面を開いていく。すなわち常光は「長らく照らし、断じることなく照らす光」であり、神通光は念仏の衆生のみが照らされる光明である。神通光によってのみ念仏の衆生は阿弥陀仏の浄土へ摂取されるという、まさに究極の力用をもつ光明なのである。

以上、『逆修説法』には「十二光仏の体験的受領」と「摂取不捨の実現」を通して戒定慧の三学非器の凡夫が往生できるという法然の極めて主体的な課題が法然自身によって決定的に解決されたことが語られているのである。

第三章 善導・法然・聖光にみられる「光明摂化」論では、はじめに前章から導かれる「摂化」の用語の意味をまとめている。すなわち「阿弥陀仏の光明の力用による生成〈凡夫が持戒・禅定・智慧の者に成ってゆく〉・摂取〈凡夫が浄土往生する〉・化育〈凡夫が光明に育てられる〉」ことと「摂化」の仮設的意味付けを行う。

ところで法然にとって善導は「三昧発得の人」であり「弥陀の応現」といわれ、その主著『観経疏』は「西方の指南、行者の目足」なのである。法然は選択本願念仏の実践者であり、念仏相続による三昧発得体験の時期に聖光は師法然の『選択集』受領を念仏三昧のこととして継承する。藤本師はこの三者に脈絡する伝統とは何か、それは『観無量寿経』第九真身観の「光明?照十方世界念仏衆生摂取不捨」の受領であると捉える。

第一に善導の場合は『観経疏』定善義において光明?照の文の「光明は?く照らすに念仏の者のみを摂するに何の意かあるなり」と自問し、親縁・近縁・増上縁の三縁釈を行ない仏と念仏する衆生との密接な関係性を強調する。

特に親縁は、

衆生、行を起して口に常に仏を称すれば、仏は即ちこれを聞き給う。身に常に仏を礼敬すれば、仏は常にこれを見給う。心に常に仏を念ずれば、仏はこれを知り給う。衆生が仏を憶念すれば、仏もまた衆生を憶念し給う。彼此の三業は相い捨離せず、故に親縁と名づく。

として身・口・意の三業における人格的呼応性の濃厚なあり様を説くなど阿弥陀仏の光明のはたらきが明らかにされている。

第二に法然の場合は東大寺で講説した『観無量寿経釈』で、「光明?照とは此の文に三義あり。一には平等の義、二には本願の義、三には親縁等の義なり」として善導の理解に対して平等と本願の義を加えてこの文の原理的な意味を明らかにしようとする。すなわち念仏行者に平等に対応する光明のゆえんを平等の義として述べ、また善導の『往生礼讃』に沿って「本願最も強と為す」と断じられる本願にもとづく念仏行のゆえんを本願の義とする。その上で善導の三縁義をそのまま引用紹介するのである。法然は親縁における身口意の三業が不相捨離であるといえるのは、単に人間的感覚の次元ではなく、平等大悲の発露としての本願行である念仏に裏付けられていることに着目し、より摂化に普遍性を与えようとする。

第三に聖光の場合では、藤本師は『徹選択本願念仏集』で注目される不離仏・値遇仏の語を取りあげ、親縁理解の視点からその特色を考察している。

聖光は特に念仏三昧ということに注目する。すなわち『徹選択集』下巻のはじめに「問うて曰く、念仏三昧とは何の義ぞや。答えて曰く、念仏三昧とは是れ不離仏の義なり。問うて曰く、不離仏とは何の義ぞや。答えて曰く、不離仏とは値遇仏の義なり。問うて曰く、値遇仏とは何の義ぞや。答えて曰く、値遇仏とは因地下位の菩薩は必ず果地上位の如来に値遇して、刹那片時も仏を遠離すべからざること譬えば嬰児の母を離れざるが如し。」とのべる。すなわち念仏三昧=不離仏の義=値遇仏の義であり、「値遇仏」とは菩薩行において因地下位の菩薩が仏(如来)に値遇することと捉え、そのあり方が嬰児と母との間柄に譬えられている。

不離仏・値遇仏の語は元来、龍樹の『大智度論』に見られるが、聖光は龍樹の説を踏まえてこの語が万行に通じ、凡夫浅位にも通じると理解している。そして不離仏・値遇仏の特色を「なかんずく口称念仏は仏の名号を唱えて仏教に相応し仏願に随順し仏語に違せず。このゆえに見仏三昧忽ちに以て成就し、弥陀の来迎に預って往生の素懐を遂ぐ。」とのべ見仏と来迎をもたらすものと説いている。

第四章では「近代」と江戸時代末期から明治、そして大正デモクラシーに至る時代と規定し、二つの観点から浄土仏教者の活動と浄土仏教観を抽出している。

第一は関通、徳本の「念仏衆生摂取不捨理解」である。その中、関通は本願念仏である日課称名の継続と相続による境涯が捨世的生き方と成り、渡世化益の念仏の強調となったとする。また徳本は「一枚起請文」に依拠する称名念仏を実践し、名号碑を念仏の機縁とする伝道を行った。両上人のそれは念仏実践による「如来光明の生成的力用」の教・行であるとする。

第二の観点は弁栄(1859-1920)・弁匡(1976-1971)の「光明摂化(念仏衆生摂取不捨)理解」である。弁栄については、「A.弁栄理解」と「B.弁栄の機軸」の二節から論じている。

A.ではその生涯を略述して「法然祖師の真精神を現代に復興する」一事にあったとする。そして留意するべきは弁栄が生粋の浄土宗僧侶で檀林指導者の導きを吸収し、念仏専修に身を託す境涯の中で『阿弥陀経』「発願文」「一枚起請文」『無量寿経』を体験的に味わっていること。弁栄が結帰一行三昧を強調する聖光著『末代念仏授手印』による起行の用心を提起するのは、法然の『逆修説法』と『三昧発得記』を自家薬籠中の物とした教行を物語るとする。これらの習熟が光明会趣意へ、念仏信仰の深化へと至り、『如来光明礼拝儀』にまとまり、宗祖への思いの深さが『宗祖の皮髄』へと結実したとのべる。

弁栄が説く十二光仏と三昧発得を骨格とする光明摂化主義は、法然上人の教行の〝皮〟でなく〝髄〟を捉えたものである。それこそが弁栄の生きた日本の政治・経済・文化・宗教のなかでまさに「時機相応にして万機普益」の浄土仏教の在り方、すなわち生成論としての「念仏衆生摂取不捨」といえよう。

B、弁栄の機軸では、まず(1)弁栄「光明摂化思想」の位置づけを論じ、(2)弁匡では同じ浄土宗の近代化に活躍した弁匡との比較を試みつつ弁栄の特異性を浮き彫りしている。(1)光明摂化思想では弁栄が檀林教育の流れの中で僧侶となり、地方布教の誘導に努める命令を宗門から受けた事実など浄土宗の布教者として生涯を教化伝道に生きたことを指摘する。

また布教者弁栄の説教は大別して聴聞者が筆記した記録類と直筆書簡類に残されているとし、特に弁栄の生涯と教行を直筆資料を用いて整理することの必要性を論ずる。さらにこれらの資料によって弁栄のことばを読むことを提案する。そして弁栄の念仏体験とそこから発せられる〝ことば〟の重厚さが注目されるべきだと強調する。

(2)弁匡では東京帝国大学出身で仏教学、梵文原典学を習得し知的エリートとして君臨しつつ、仏教を社会の宗教と捉えて共生思想を提唱実践したこと、そして近現代が進歩の観念のもとで把握される傾向と相まって「共生」の思想は政治・経済・文化・宗教の領域へ格好のキャッチフレーズになることに注目している。

第五章 弁栄と弁匡と浄土宗・管見では、まず三者が関係し合う状況を同時代に捉えるべく弁栄を中心として三者の年次を追いつつ三十五項で点描している。そしてこれを踏まえて弁栄の生涯における検討されるべき十課題を列挙する。そのいずれも興味深いが、特に第十番目の弁栄・弁匡の思想行動がもつ浄土宗の未来像についての藤本師の指摘を次に示そう。

弁栄の光明主義と弁匡の共生主義とは、法然を宗祖とする浄土宗教学・教化の近代的運動の二途である。弁栄の念仏が「個人の念仏三昧」を中心軸にして〝光明の生活〟の実現へと方向付けされ、弁匡の念仏は「〝共同の大生命〟よる共同の生活」として「業務念仏」を中心軸として〝社会的生活〟へと方向を発揮する。年譜を辿ると、弁栄の光明主義が直接関与・話題としなかった〝社会〟という近代のモチーフが弁匡にある。一方、弁匡は個人の念仏体験(三昧発得)に直接的にふれない。これら弁栄「光明主義」と弁匡「共生主義」を両輪(個人と社会)として念仏信仰へと進展充実するときに、現代の課題に必ず応答しうる法然仏教、現代日本仏教の未来があると思われる。弁栄と弁匡を経由して法然仏教を捉える視座を作ることが課題であると。

加えて藤本師は、歴史的には法然仏教の展開としての光明・共生の思想であるかもしれない。しかし両者の根源の思想は法然上人自身の中に存在したもので、それが時機相応の教えとして展開したと考えることができるという。

第六章 弁栄・弁匡以後の後継者たちの姿勢・私的管見は、大正三年以後から弁栄の光明摂化主義運動が注目され、弁栄入寂後の大正十一年に弁匡の共生主義運動が注目されるようになった。二つの信仰運動の活発さゆえに昭和五年、伝統的浄土宗信仰との間で布教要義について浄土宗・光明会・共生会の碩学重鎮方の重要な意見交換が開催された。三日間にわたる「昭和の大原談義」とも呼ばれた「布教要義研究会」での申し合わせ事項は次の如きものであった。

一、現代ノ精神指導トシテ宗乗ノ真義ヲ鮮明シ之ヲ迷衆生生活ノ根底トナスコト。
二、宗乗鮮明ノ根本精神トシテハ宗祖ヲ中心トシ教化基準ヲ一枚起請文ニ仰グコト。
三、各種ノ信仰運動ハ互イニ協調ヲ主眼トシテ教化ノ洽及(あいおよび)統一ヲ期スルコト。

尚ほ之れに付随して所帰の本尊は報身仏たるべきこと仏教の根本原意に矛盾するが如き説明を避けたきこと。至心信楽等の文を幾分広義に解釈し得ること。化他五重は入信の基礎として各種信仰運動に於いても大いに之を賛励すること。

会議の取材者(岩野真雄師)によれば「略ぼ意見の一致を見たのであって、宗門の布教要義に就いて統一協調を計る所期の目的は大体に於いて其の功を奏し」たと記録している。

この会議は時の浄土宗執綱・渡辺海旭によって招集された。浄土宗からは桑門秀我・望月信亨・矢吹慶輝・岩井智海・金田戒定、共生会の椎尾弁匡、光明会から藤本浄本・笹本戒浄・熊野宗純・土屋観道らが出席した。

この会議で「信仰告白」として記録されるほどに積極的に所信を表明した藤本浄本師は、講師藤本浄彦師の祖父であられる。藤本浄本師は浄土宗の勧学として光明会を中心として五重相伝や授戒の伝道に当った。その論調には光明主義と浄土宗義との一致点を講説し、また山崎弁栄はどこまでも浄土宗僧侶であると主張された。

なお藤本浄彦師はこの近代の目覚しい信仰活動の担い手たちが交わした会議報告について「記事から読み取ることの真実を持続的に心得る必要がある」と感想をのべている。

論を結ぶに当っての「近代浄土仏教者の「光明摂化論 如来光明の力用」理解に向けて」の「1.浄土仏教歴史の観点から」は全六章の要約が簡潔に示されている。

「2.弁栄の教行について全貌的な観点から」は弁栄の教行が【【【【?】】】】法然上人の「往生の業には念仏を先となす」(『選択集』劈頭)に立って「自行化他ただ念仏を縡とす」(『選択集』最終章)の道筋の中で「一文不知の愚鈍の身になしてただ一向に念仏すべし」(遺訓『一枚起請文』の信心の実践を基軸とすること。加えて【【【【?】】】】法然上人の「浄土の教えは時機を叩きて行運に当り、念仏の行水月を感じて昇降を得たり」(『選択集』最終章)、「生けらば念仏の功積り、死なば浄土に参りなん。とてもかくてもこの身には思い煩うことぞなきと思いぬれば死生ともに煩いなし」(「常に仰せられける言葉」)を「弁栄独自の資質と体験にもとづいて、近現代の世情・価値観・人間観を生きる人心に相応する確信において深化・発展の様相を提示したと考えられる。」と結んでいる。

「3.次なる課題へ」では①近代仏教者たちが「念仏衆生摂取不捨」を生成論と摂取論の中の生成論に力点を置いた理解に立っていることから、資料の信憑性が評価されている『逆修説法』と『三昧発得記』を取り込む法然上人研究の必要性。②布教要義研究会の申し合わせ事項にも触れられた本尊観に関することで、「弁栄の仏身論をめぐる再考」の必要性の二点を提示して論述を終っている。講述は結論の末尾③において喫緊に着手すべき、法然、弁栄の研究課題をあげ展望を示す。本論は山崎弁栄の如来光明主義を浄土宗教学史に位置づけるとともに弁栄思想論として研究史上画期的なものというべきである。

本講述は藤本師の永年の研鑚を基とした極めて学術的性格をもつ。早期の本論の出版を期待したい。

以上

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