山本 サチ子
その日は突然やってきました。庭の花々の水遣りを終えソファーで一休みをしているとスマホが鳴り響きます。画面には「総合病院」と表示されています。
「どうしたのかな? 今朝から血液透析で夫が透析中のはずなのに」と思い電話に出ました。看護師さんから「今、ご主人に替わります。」夫が替わり「僕だけど、透析中に気分が悪くなり今入院したんだ…」
驚いた私に「今飲んでる薬と携帯電話の充電器を持って来て…」と言います。看護師さんが替わり「直ぐに病院に来てください」と言って電話は切れました。
病院に着くと看護師さんから「今から入院の手続きに関する書類を書いて下さい」と言われ書類を沢山書かされました。病室に入ると夫は酸素マスクをしています。こんなにひどい状態なら書類よりももっと早く会わせて欲しかったのに…、と複雑な気持ちです。
書類は結構多く何枚もあり印鑑やら身分証明書のコピー等、説明も加わり、かなり時間を要しました。
病室に入ると夫が言います。「透析を始めていたら急に息が苦しくなった」というのです。苦しそうに必死に話します。
私は慌てて二人の子供(息子と娘)に連絡し、至急に病院に来るよう伝えました。今朝は熱もなかったし、今も熱は微熱程度です。主治医の先生の説明では肺炎に侵されていて両肺が真っ白です。もっと早い段階で治療をしてたらここまでの症状にはならなかったとの説明でした。けれども熱もなく普通に食事をとっていたのです。と私が主治医の先生に話すと…
「それが老人の肺炎の怖さなのです。症状が出にくいため気付くのが遅れるのです。とにかくこの点滴の薬が何処まで効くかです」と難しい口調で話すのでした。
夕方、水が飲みたいとしきりに言うので看護師さんに頼み、水を口元に持っていくと、むせながら二口程飲みました。
夜になったので、私が今夜はお父さんに付き添うからと言い、息子と娘を自宅に帰宅させました。主治医も、看護師さんも何も言わなかったけれども何か胸騒ぎがして、今夜は私は帰宅してはいけないと思い看護師さんに「今夜付き添います」と告げると付き添い用のベッドを準備してくれたのです。
病院のスタッフの方々の看護も虚しく夫は翌日の午後一時に息を引き取りました。10月24日に入院をして10月25日に一晩であっけない最期となりました。
長男が、「お父さん元気だねぇ。今日は携帯電話をauで新しく変えてきたといってるから前より元気になったみたい。」と話してたばかりなのに…
夫は腎臓が悪く片方の目が見えなくなっていました。病院に行く時は、私か長男がついていきました。水分摂取とカリウムの制限があり食事を制限されていました。側で見ていることが本当に可哀想でした。それでも必死に頑張り八十一歳まで生き、生きることへの努力は素晴らしいと病院の主治医の先生も称賛していたのです。
楽しみにしていたコンサート
夫はクラシック音楽愛好家で若い時からオーディオが大好きでした。自分の部屋をオーディオルームにしてプレーヤー、スピーカー等、高級品を買い聴いては楽しんでいました。
生前、夫は四枚のコンサートのチケットが取れたと大喜びでした。
孫が中学生の時、吹奏楽部の中学生の部で全国大会で金賞を取り、高校でも銀賞の成績を残していました。朝日新聞に掲載されたコンサートの写真を夫は大切に切り抜き保管していました。いつも忙しい孫とやっと、この十二月二十日に「NHK交響楽団 ベートーベン『第9』演奏会」のチケットが取れたと喜び、演奏会後の食事をどこにしようかなと楽しみにしていたのです。
チケットを見ると胸が痛みます。「あかりちゃんと行ける」とあんなに楽しみにしてたのに死はあまりにも残酷です。
結び
私は小さい時分から、浪曲や童謡そして演歌が好きでした。台所で「春日八郎、三橋美智也、三波春夫、北島三郎」さんたちのそれぞれの歌を歌って食事作りをしてたのです。夫はそんな私に、「その歌もいいけどコンサートを聴きに行こう…」と誘うのでした。
私は何度も断り続けてました。あまりにも熱心に誘うので、「じゃあ一度だけね」との約束で「サントリーホール」でベートーベンを聴き、それからは気が付けば「東京芸術劇場、NHKホール」等々へと足を運ぶようになっていたのです。何度も聴くうちに少しは良さが解るようになり、今年も孫を含めての参加予定でした。
この度の出来事はあまりにも突然で受け入れることが出来ません。
人間はいつかはこの世から命が消えていくものです。わかってはいるのですが、あまりにも突然のために、こころの準備ができません。
肉体が消えても「霊性」は残ります。…このことが素直に受け入れられません。事実であっても、もう対面して話ができないのであれば残された者には割り切れなさが残ります。虚しさで心はいっぱいです。やはり私は「永遠の生命」の教えは虚し過ぎます。いつかこのことが素直に受け止められる時がくるのでしょうか? 凡人の私にはあまりにもキツすぎます。
それでも私はもう一方で「この時空間には何か見えないものが介在している」そう思えて否定も出来ないのです。唐沢山のお念仏に参加したそのときも不思議なできごとばかりに遭遇しました。そのことで少しだけ「本当の南無阿弥陀仏を垣間見ることができた」と思えたからです。
これからは「智の法灯を携え今の複雑な自己の気持ちを背負い日々念仏を持って歩んで行こう」私にできることはそれしかないのだから…
夫の最後のことばは「もう少し ひかり ひかり」でした。何度もそう言いながら静かに永遠の眠りにつきました。
南無阿弥陀仏







