光明の生活を伝えつなごう

関東支部だより

関東支部 平成23年9月

一行三昧の会

藤本清孝

◇日時:平成23年7月3日(日)
◇会場:光明園
◇講師:鍵和田 充生
◇参加者:5名

いつものとおり、9時55分からお念仏・如来光明礼拝儀、聖歌そして念仏、15時まで。少人数ながら、静謐の中、充実したお念仏を唱えられた。

また、午後の30分間、鍵和田氏の話は真言宗の中興の祖である興教大師覚鑁の経歴を追いながら、平安時代後期まさに日本古代の大日如来信仰から中世阿弥陀信仰への転換期に覚鑁が、真言宗としていかに対応していったかという興味あるお話でした。覚鑁の生涯と極楽浄土と密厳浄土について、覚鑁は平安時代後期嘉保2年(1095)6月17日に肥前国藤津庄(仁和寺成就院の所領)の総追捕使伊佐平次兼元の三男として誕生した。兼元は『今昔物語』に挿話がある様に、武芸にすぐれ、豪胆で追捕使にふさわしい武功の経歴を持ち、遠国まで名を知られていた。

嘉承2年(1107)覚鑁13歳、東寺の系統に属する真言宗密教寺院である仁和寺成就院大僧正寛助のもとで出家し、そこで真言の教義を一年間学んだ後、奈良興福寺、東大寺に遊学し、法相宗、天台宗、華厳宗や倶舎、唯識などの哲学を学ぶ。天永元年(1110)16歳で出家し、師覚助に従い、得度受戒して正覚房覚鑁の法号を得る。
天永3年(1112)18歳の時、はじめて、十八道の加行が許された。
永久2年(1114)20歳の冬、高野山に登る。『元亨釈書』によれば「覚鑁上人は紀州高野山弘法大師入定の地で真言密教学の泰斗である、定尊阿闍梨が住んでいたので、師について秘奥を研究し教学研究の道場である伝法院を建てるため登山した」とある。青蓮、明寂、永尋の師について真言教学の奥義をきわめる為27歳までにひたすら求道の日々を送った。29歳までに、覚鑁は九度にわたり、求聞事法を修した。この虚空蔵求聞持法という難行は虚空蔵如意宝珠の一印と、虚空蔵の一真言(ノウボウ、アキャシャ、キャラバヤ、オンアリ、キャマリ、ボリ、ソアカ)を基本とし、念誦瞑想を百万遍おこなって三昧の境地を深めるのである。一日一座一万遍を修法して百日間。食事は驚くほど少なく、五勺ほどの湯呑一杯の粥と梅干一個が一日の食事である。行を行う間は、燈明を絶やさず、本尊を入我我入の境地で虚空蔵菩薩の真言を唱えつづけるのである。

求聞持法は記憶力を著しく増進する修法で、現在でも真言宗で行われている。保安3年(1122)覚鑁28歳8回目の修法のまえに記した立願文に次の様に表白している。

覚鑁は西方浄土に思いを致さず念仏往生をこころがけてもいない。心情の上で高野の別所に住む念仏行者たちに共感は抱いても、彼は大日如来の即身成仏の教えを信じている。又、高祖大師の仰せを道しるべといたし、人智の開発は決定疑いなしと思いさだめ求聞持法で霊験を必ず得てみせよう。

覚鑁にとって浄土はこの世に求めるべきものであり、厭離穢土、欣求浄土ではなく、密厳国土、密厳浄土である。覚鑁は自らの憂愁懊悩を解消する為に修法するのではなく、諸仏の悲願を達成するものであるとの抱負を表白している。当時の(東密真言教団の首脳たち)はひたすら朝廷貴族と連携を密にする事に汲々とし空海の意思を継いで教学を発展させる意思を貫こうとする者は少なく、ひたすら貴顕のために、加持祈祷を行い、その効験を他宗派と争うのみで、又一般の僧侶は食べる手段として割り切った信心の薄い下僧達で、その様な僧侶達の行動は民心の離反を招き浄土信仰が次第に台頭してきた。覚鑁は内心真言教団の低迷を嘆きつつ弘法大師が残した教理を浄土信仰の盛んになった時代に生かそうと当時衰微しつつあった高野山での復興を一層志した。平安中期以降、末法思想が人身を強く支配する様になりその頃から、戦乱などが続発した為、末法の思想が特に強まり、この末法の世を救う教えとして、浄土教が急速に広がる事になる。ここで日本の浄土教を見ると、円仁が中国の浄土教を正式にわが国に受容した最初の人と言われ、比叡山を中心に浄土教が次第に普及することになる。

阿弥陀聖、市聖と称される空也は円仁の流れをくみ、比叡山を下り、諸国を巡って特に人の集まる市場などで念仏を説き、念仏が民衆の間に流布される事になった。 良源(912~985)、源信の師であり、比叡山の延暦寺中興の偉人。著書に『極楽浄土九品往生義』があり浄土教思想に深い関心を見せた。 源信(942~1017)、平安中期における比叡山の代表的学者。『往生要集』三巻が代表的傑作で、その後の浄土教書に大きな影響を与えた。これが、法然上人の浄土教思想を産み出してくる母体となる。源信によって中国の純正浄土教思想が受容された。 永観(1033~1111)、三論宗、口称念仏主義を強調している所に法然上人の一向専修主義に接近した思想が見られ、観念主義により称念主義に進展しているところに特色がある。 珍海(1092~1152)、三論宗、著作に『決定往生集』『菩提心集』、口に「南無阿弥陀仏」と称える口称念仏、称名念仏こそ最も大切な救いにかかわる教行であると力説、永観より更に一歩前進して、法然上人の思想に接近し、両者の間にほとんど区別を認める事が出来ないまでに進歩した思想の人。 良忍(1072~1132)、融通念仏宗の基を開いた。天台の円融思想に立脚して一人の念仏の功徳が他の一切の人々の功徳になるという円融念仏、融通念仏を強調した。声明にも巧みで天台声明中興の祖とされる。真言系の浄土教としては平安朝中期から浄土教信仰が鼓吹されて来るようになった。 済暹(1025~1115)、覚鑁より70歳年長であったが、弘法大師以後最大の学僧と言われる人で七十一の著書を記述し、浄土教に関しても多くの著述を出している。すなわち、『遊心法界念仏抄』『阿弥陀大咒秘要決』等、密教教理に立脚した浄土教を鼓吹した。 覚鑁の浄土教については、後述する。以上、浄土教に関し、著述した有名な上人を列挙したがいづれも、一宗に属しながら浄土教の著述をしており、法然上人の純正浄土教に至っていない。

高野山に戻る。寛助の後ろ盾もあり覚鑁に対する声望は日一日に高まり、外護者がだんだん増加した。大治元年(1126)32歳、神宮寺を創建。大治4年(1129)35歳、鳥羽上皇の御願寺、伝法堂(一間四面)創建。長承元年(1132)38歳、大伝法院、密厳院を建立。鳥羽上皇の行幸をあおぎ、盛大な落慶供養がとり行われた。この大伝法院、密厳院には常時二百余人の学僧が居住し、学問研鑽にはげんでいる。

長承3年(1134)40歳、大伝法院の座主、金剛峯寺の座主に選任される。覚鑁は教義の研究、伝法会の隆盛をはかるいっぽうで、世俗の垢にまみれざるを得ない駆け引きをくり返さねばならなかった。その一つに、覚鑁の目覚しい活動と大伝法院の、隆盛に対する嫉妬、憎悪による高野山金剛峯寺の妨害運動があった。

覚鑁は現世の五欲に駆り立てられ、みにくい争いを仕掛けてくる人々の相克に疲れはてていた。覚鑁は自らが大伝法院金剛峯寺座主を兼任し、東寺の支配を脱して高野山の独立をはたした今、雑事を離れ修行に専念する事に決め、長承4年(1135)大伝法院金剛峯寺の両座主職を持明院真誉に譲り、密厳院上院で「千日籠居」のように山堂で修行三昧の月日を送るばかりでなく、それよりもはるかに厳格な無言行を始めた。

覚鑁が無言行を修したのは長承4年3月21日から保延5年(1139)4月2日までの1446日である。この間に『密厳院発露懺悔文』を著作している。

ここに述べられている懺悔文は覚鑁が世の中のすべての人々の罪のむくいを、わが身に受けるとの代受苦の決心を披瀝したものである。覚鑁が無言行を続けている間にも、金剛峯寺の衆徒は乱暴な所業を重ね狼藉を働き密厳院を急襲してこれを焼き払った。

保延5年(1139)高野を下山し、根来山へ移った。凶徒によって追われたのではなく、この後、高野山に住めば、金剛峯寺との争いがますます激しくなるばかりであると判断し下山した。

紀州根来山に隠退し学問の研究と弟子の指導に専念された。ここで覚鑁の代表的著作『五輪九字明秘密釈』を著された。ここで密教的な浄土教を強調したのである。この著作で覚鑁は真言密教の中に阿弥陀信仰を融合した。

大日如来と阿弥陀如来は同体異名を主張し、当時隆盛に向かいつつあった浄土信仰を巧みに真言宗に取り入れようとした。

極楽浄土と、密厳浄土は名、異にして、一処なりとし、往生は成仏であると主張した。九字は阿弥陀如来に対する真言の九字を指し、それぞれ、オン・ア・ミリ・タ・ティ・ゼイ・カ・ラ・ウンである。康治2年(1143)7月28日、覚鑁は風気のため倒れた。この年の12月12日、根来山円明寺の西廂に端座し、如法の往生を遂げた。「眠ルガ如ク薪尽キ、入寂シテ燈消ユ」覚鑁49歳であった。平安時代はその末期にかけて阿弥陀仏信仰が次第に高まっていった。一般大衆は現実に迫る精神的危機を罪悪深重の凡夫をも救わずにはおかないとする阿弥陀仏の、大慈悲に求める事によって乗り切るほかなかった。真言密教の信仰の中心たる高野山においても、その状況は同様であった。

そしてかかる状況下に生きていた覚鑁にとっては、その宗教意識の根幹を大日如来信仰におきながらも、同時に不可避的に阿弥陀仏信仰への開けが存していたのである。そしてまさに、かかる意味で彼は転換期を主体的に生きたのである。

○参考文献(諸師敬称略)
※1 大乗仏教思想論攻 河波 昌 
※2 大悲の海に 覚鑁上人伝  津本 陽
※3 浄土教理史 恵谷 隆戒
※4 仏教史概説 浄土宗
※5 岩波仏教辞典
※6 覚鑁の研究 櫛田 良洪

念仏と法話の会

 

植西武子

◇日時:平成23年7月24日(日)
◇会場:光明園
◇導師:河波定昌上首
◇講師:佐倉 聡 氏
◇参加者:36数名

今月は、以前「ひかり誌」にて紹介した所沢市にある真如堂の堂主の佐倉聡氏を講師としてお招きしてお話を伺いました。その後で質疑応答があり、最後に河波上人が指導助言下さいました。

講師の紹介

佐倉 聡 氏は東洋大学での河波上人の教え子に当たります。河波上人の教えに深く感銘を受け、以来、ご家族で光明園の例会に参加してこられました。お話の概要を佐倉氏にまとめて頂きました。

ご講話

神にませばまこと美はし那智の滝  高浜虚子
雪明り一切経を蔵したる  高野素十

俳句によって表された聖なる存在。しかも、日本の美しい自然の姿に即した聖なるものの実感。俳句が表す宗教的な情緒は、この国に太古より伝わるものなのであろう。

滝の上に水現れて落ちにけり
後藤夜半

と云う名句がある。滝の落下現象をこれほど見事に表したものは他にあるまい。虚子は、さらに、この水の落下現象そのものに神々しい聖なる力を感じている。「美はし」とは、それをど真ん中に射た大和ことばである。

素十の句は、雪明りの中、寺の経蔵がほのかに照らし出されている姿を表しているに過ぎない。しかし、我々はこの雪明りに宇宙的な無量光仏の立ち現われを感じる。

虚子にとっても、素十にとっても、自然の一つ一つの立ち現われは、物理現象としての「それ」ではなく、聖なる「汝」として眼前に現れ出で来たものなのである。

世阿弥が『西行桜』において、桜の精霊を清らかな翁の姿で出現させ、金春禅竹が『芭蕉』において、法華経の教えに聞き入る草木としての芭蕉を壮年の女の姿で出現させたのも、自然の奥底に聖なる汝として立ち働き、我々の前に現れ来るものを、俳人達と同様に感じていたからである。

しかし、現代の我々にとっての自然は、生活を贅沢化するための単なる物理的な道具なのであり、それを計量化し自らの管理下に置くことに我々は全エネルギーを注いでいる。さらには、生活空間としての自然を道具として物体化することによって我々の世界は「縦」「横」「奥行」の命無き平板な空間になり、この無機質な空間の中で我々は知らず知らずのうちに病んでいく。

したがって、この世界と我々の命が交流し、「今」「ここ」に生ある喜びを感じたいならば、自然を物体としての「それ」ではなく、聖なる「汝」の立ち現れとして眼前に出会うことが必要なのである。

歌手小田和正の『言葉にできない』という歌がある。その一節、

あなたにあえて ほんとうによかった
嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない
LaLaLa LaLa-La
LaLa LaLa LaLa-La
LaLaLa LaLa-La 言葉にできない

この歌を本歌取りして、私になりに歌を歌うと……。
わたしは、本当に尊い「あなた」に出会うことができました

わたしは、ただそれだけで人として生まれたよろこびを感じます(歓喜光仏)
そして、「あなた」のあまりに尊いお姿に心打たれ
あなたを表す言葉を失います(難思光仏)
あなたは、カミと言い、ホトケと言う人間の言葉を超えたお方なのですから(否定神学)

我々は、尊い「あなた」に出会うことによって、「あなた」の燦然たる光に各自の命が照らし出される。その光に満ちた出会いの中で、はじめて我々は自らの人生の意味や意義に気付くのである。

ところで、クッキーの生地に型を押し付けて、丸や四角や三角のクッキーを作るように、尊い「あなた」にカミだのホトケだのゴットだのの型を押し付けて、我々は各自の文化や歴史を背景にした宗教的な情緒の中で生きている。しかし、本来の「あなた」はクッキーの生地のように無相なのであって、それぞれの型は「あなた」の本質を受け継ぐ分身なのだ。

我々は、無相の「あなた」に出会うことによって、それぞれの型として現れた「あなた」の本質に触れることができる。しかも、それぞれの型として現れた「あなた」に出会うことによっても、私は無相の「あなた」の本質に触れることができる。

生地(無漏・空)と型(有漏・色)は循環しているのである。

それにしても、いったいどうすれば尊い「あなた」に出会うことができるのか。これは、現代人共通の悩みである。

美しい恋人の名前が、我知らず口からこぼれ落ちる時や、愛しい我が子の頭を撫でつつ、子の名前を呼ぶ時、我々はその人と一心同体の出会いをしているのではないだろうか。

尊い存在の名前を呼ぶ時、我々はその存在と一心同体の出会いをしていないだろうか。まさしく、称名念仏こそは、そのかけがえのない出会いを可能にするものなのだ。
以下、阿弥陀仏、無量光仏、無量寿仏と私が御名を唱える当体を土井晩翠の詩から察していただきたい。

おほいなる手のかげ
月しづみ星かくれ
あらしもだし雲眠るまよなか
見あぐる高き空の上に
おほいなる手の影あり

百萬の人家みなしづまり
煩悩のひゞき絶ゆるまよなか
見あぐる高き空の上に
おほいなる手の影あり

あゝ人界の夢に遠き
神秘の暗のあなたを指して
見あぐる高き空の上に
おほいなる手の影あり

あまたの星が輝く大宇宙より私のために「おほいなる手」を広げ、迎えてくださる尊いお方。そのお方こそが、阿弥陀様だ。そして、この阿弥陀様の御名を称えることは、大宇宙の命の御名を称えることに他ならない。私は大宇宙の本体に帰依するのだ。

大宇宙の本体は、宇宙のありとあらゆる無限の存在を生み出した御親だ。だから、御親の御名を称えれば、大宇宙の無限の存在の個々の命の神々しい輝きに出会うことができる。神々しい個々の命の輝きに出会えば、御親の無限の光にも出会うことができる。

大宇宙は、尊い「あなた」に満ち溢れているのだ。

無量寿仏、八万四千の相あり。一々の相、おのおの八万四千の随形好あり。

一々の好、また八万四千の光明あり。一々の光明あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず。

その光明と相好と、および化仏とは、つぶさに説くべからず。ただ、まさに憶相して、心眼して見せしむべし。この事を見る者、すなわち、十方一切の諸仏を見る。諸仏を見るをもってのゆえに、念仏三昧と名づく。

『浄土三部経(下) 観無量寿経』岩波文庫

宗教文化史の通俗的な理解に従えば、浄土教は阿弥陀仏という一者を信仰する一神教的な宗教であるという。しかし、観経を素直に読めば、「一者」を「単一なる者」と解釈するには無理がある。経の教えは、「一者」は即「多様性」である、と説いてあるのであり、その「多様性」の一つ一つの神々しい輝きを見ることが、とりもなおさず「念仏三昧」なのだ、と教え示している。

すなわち、念仏者には、この世界は「それ」として現れるのではなく、無限の個々の事象が、神々しい聖なる「汝」として立ち現われるのである。

これを言葉をかえて述べれば、次のようになる。

雪明り(無量寿仏)に出会うものは、滝、桜、芭蕉(諸仏)に出会うのである。
滝、桜、芭蕉(諸仏)に出会うものは、雪明り(無量寿仏)に出会うのである。
諸仏はカミに他ならない。
最後に、私が心よりお慕いする一遍上人のお言葉を以て、文を納めたい。
よろづ生きとしいけるもの、山河草木、ふく風たつ波の音までも、
念仏ならずといふことなし。
『一遍上人全集』春秋社

質疑応答

ご講話を聞いた後、質疑応答は座席をロの字型に変えて、みんなの顔が見える形で行なわれました。そして茶話会を兼ねたこの時間はゆったりとした雰囲気の中で進行して行きました。さる方から毎年、お上人様に送られてくると言う笹餅がさらに場の雰囲気を和らげてくれました。心より感謝しながら頂きました。また、講師のお人柄がにじみ出た温かく、楽しいひとときでもありました。質疑と言うよりはそれぞれが感想を述べると言う雰囲気でした。神とは何か? 八百万の神と諸仏は同じか? 等の質問から神社や寺院の現状にまで話が及びました。最後に河波上人から神仏混合について日本文化としてはもともと一つであった。神道は体系性を放棄した。諸仏と一仏についてはキリスト教では他を否定する立場から、ゲルマンの神が否定されたように、諸仏は殺されていった。仏教では阿弥陀様も諸仏もいかされた世界である。等のお話を頂きました。

第11回中部・関東支部共催親子別時

植西武子

◇日 時:平成23年7月30日(土)~31日(日)
◇会 場:相模原・光明学園高等学校(修養室)
◇導 師:山上 光俊 上人(島根県西向寺住職)
◇維 那:金田 昭教 上人(東京都・源空寺勤務)
◇参加数:○一般参加者・大人30名、子供7名、○学園関係者・生徒21名、教諭8名、PTA6名、○献灯式・園児107名、保護者85名、園長、幼稚園教諭8名

本年は昨年の反省に基づき、日程の設定に配慮した甲斐あって、延べ72名(献灯式を除く)の参加者に恵まれました。一方、天候面では台風接近の影響で曇天、時には小雨と言う生憎のお天気ではありましたが、ビルの6階にある修養室でのお別時にはさほどの不便もありませんでした。むしろ盛夏と言うのに非常に涼しく、凌ぎよい2日間でした。

当日10時少し前に玄関に入りますと、鴨志田先生は既に準備を始めていて下さいました。誠に、感謝と恐縮の極みでした。6階の修養室は伊藤先生が前日から既に準備していて下さいました。重ね重ね、申し訳なく思いました。

天候のすぐれない中、遠方より参加下さる方々に心を馳せながら、再会の喜びと、お別時への期待で胸膨らませ、皆さんのお越しを待っておりました。

参加者

一番遠方からの参加者は島根県からご導師として参加下さいました山上上人です。次に中部支部の名古屋から7名が参加下さいました。内藤忠雄、規利子ご夫妻、その娘さんの小川晴江さんが小学生の二人の子供さんを伴なって、そして内藤さんの妹さんの渡辺享子さんが中学生のお孫さんと参加下さいました。旧姓の高野ファミリーです。更に中部支部の静岡から4名が参加下さいました。祢次金文子さんと弟さんの祢次金光雄氏、法友の山内ふじ子さんと初参加の細谷保子さんです。とても嬉しいことでした。

関東支部からは大人16名、子供4名、総勢20名が参加しました。

また、光明学園からは卒業生が5名参加してくれました。5名共、毎年参加してくれています。何よりもうれしいことでした。在校生が21名は過去最高の参加人数でした。

開会式

例年より少し早く、伊藤力関東副支部長の司会で開会式は始まりました。

最初に田代直秀関東支部長から挨拶がありました。親子別時は昭和53年に信州・鉢伏山で始まり、平成7年まで19回実施されたこと、その後中断して、平成13年に山梨県の淑徳学園山中湖研修センターで再開され、平成17年より光明学園をお借りして実施するようになった。3月11日の東北地方の大震災、それに起因する原発事故、新潟県での豪雨等、世相多難な状況の中でお別時に参加できることに感謝し、実りあるお別時にしたいことそして参加者へのお礼の言葉がありました。

次に導師の山上光俊上人よりお話がありました。まず、お別時の目的についてお話し下さいました。浄土宗には三つの行儀、①尋常行儀、②別時行儀、③臨終行儀がある。その一つの別時行儀ではひたすらお念仏に励んで欲しい。弁栄聖者は24歳の時に空中に弥陀を想定して、お念仏に励み、実験実証された。ご絵像の仏様を通して、実際にお目にかかりたいと言う気持ちで、それを目的としてお念仏に励んで欲しいとお話し下さいました。

その後、光明学園の伊藤旭栄先生から日程や会場使用についてお話がありました。時節柄、節電への協力要請もありました。心してそれに努めたいと思いました。最後に起立して聖歌「如来讃」を歌いました。遠藤由起さんのオルガン伴奏に導かれ、情感込めて歌いました。美しい調べにみんなの心はお別時モードとなりました。かくて、厳粛な雰囲気の中でお別時はスタートしました。

ご法話

大人向け法話が30日午後に一席と31日午前に一席ありました。子供向け法話は30日午後に一席ありました。(概略のみ)

─30日の法話─
去る3月11日の東北地方を襲った大震災とその二日後に発生した福島の原子力発電所の事故とその課題は我々にいろんな問題を提起した。特に被災された方々の心のあり方と命の大切さについて深く受け止め、考えていかねばならない。
お上人様は今回の震災での二つの印象的なお話をされました。その一つは白砂青松を誇る陸前高田市の風景が一変し、そこに残った一本の松についてお話されました。もう一つは「絆」に関するお話でした。ある老夫妻が震災後、探し求めた二人の娘についてのお話でした。行方不明の娘たちを探す内、二人の遺体に巡り会った。一人は妹と確認されたが、もう一人は損傷がひどく、誰とは確認できない状況だった。しかし、二人はしっかりと手を結んでいた。大波と抗う中で、離れまいと必死に繋いだ手は死んでもしっかりと結ばれていた。それで姉と確認できた。お上人様はこの話から、次のメッセージが受け取られると話されました。それは人は手と手を結び合って生きていくこと、それが本当の生き方である。日本の現状を見るに、物質的には全て恵まれているが各々は孤立している。お上人様はこれを「砂つぶ家族」と表されました。昔は物が不足していたが、一家団欒があり、暖かい家庭があった。今は個々に部屋に籠もってテレビを見ている。ここでお上人様はご自身が作詩された詩「絆─手と手をむすんで」と「祈り」をプリントして配布し、紹介されました。(紙面の関係で省略)
次に、「命の尊さ」についてお話し下さいました。人は皆、当たり前と思って生きている。しかし、ガン患者が自分の命に限りあることを知った時、初めてその大切さに気づくのである。その導入として人体のしくみについて細胞や血管などの数値を示しながら、お話を進められました。その綿密さに気づいた時、人間以外のSomething Great の 働きに気づくのである。水は上から下に流れるように、天地、宇宙には法則がある。これを「法爾の法則」と言う。誰が何処でやっても同じ結果となる。目に見えない力が法則となって働いているのである。この法則の根源に阿弥陀如来の存在がある。命を生かさせて下さっている如来様、お念仏を通してこそ、その存在に気づくのである。「南無阿弥陀仏」……
─31日の法話─
人生を生きるには強い意志力が必要である。そして、いつも Positive Thinkingであらねばならない。そのためには「念仏」が最強の方法である。仏教の教えによれば「迷いを転じて悟りとなす。」の心境が大切である。心が明るくなれば体も良くなる。これは自分だけでは出来ない。「南無阿弥陀仏」の力によって乗り越えていく。念仏の功徳によって究極の自分を体験することができるのである。
5400巻ある経典の内容も詮じ詰めれば「念仏」に尽きる。法然上人は口称念仏を勧められた。何時でも、何処でも、誰でもできる、いわゆる「究極の平等主義」である。しかし、「一水四見」といわれる如く、同じ水でも立場によって受け取り方が異なる。即ち、水は①魚にとっては住みかであり、②人間にとっては飲み物であり、③餓鬼にとっては火であり、④菩薩にとっては金色の宝石となるように、念仏の中味もそれぞれに異なる。「一心十界」と言われる如く、心は自分の想いによって、十通りに変化する。真・善・美に向かって心を育てていくことが大切である。それには、執着心から離れることが大切である。即ち、「断・捨・離」である。欲望から離れ、豊かなものに浸っていく。そして知らなければならないもの、「自分とは何か?」、①何処からきて、②何をしに、③何処へ行くのかを求めて行くことが肝要である。
お上人は更に、意識と無意識にも言及されました。第七識、第八識、第九識についても触れられました。これらを深めていけば仏様の悟りの世界につながっていく。天地、宇宙と共に感じている私、輝いている自分に至るのである。
今は闇の中にいるが真実を求める中で真に自分に目覚めていく。天地宇宙に充ち満ちた私、光の中にいる私に目覚めるのである。目に見えない法則があり、称えれば法則に則った結果となるのである。仏と私が一体となる「究極の断・捨・離」を目指してお念仏に励みましょうと結ばれました。
─子供向けの法話─
昨年のお話の「モーちゃんとピーちゃんの涙」の本の読み聞かせで、子供の反応に感動したと言う人たちの、ボランティアで素敵なDVDが出来上がっていました。ある看護士さんが12枚の絵に表し、自ら言葉を入れて、作り上げられました。絵はとても暖かいタッチで立派な作品に出来上げっていました。これを15分間、大人も一緒に視聴しました。とても良く出来上がっているのに感心しました。
その後でお上人様からお話しがありました。やはりテーマは「命について」でした。生きていることは楽しいことばかりではない。悲しいこともたくさんある。そして「色紙と折り鶴」のお話しもされました。また、「頂きます。」の意味についても話されました。最後に「自分の命とは何か」を問い続けていくようにとも話されました。

懇談会

本年はやや時間を長くとって大人だけの懇談会を行いました。それは、お上人様を中心に、支部交流は勿論、相互の親睦も大切にしたいと思ったからでした。このお別時が二泊であれば良いと言う積極的なご意見を頂きました。今後の検討課題です。会の持ち方についても参加のみなさんの意見も今後、取り入れていきたいと思いました。やはり時間が足りなかったのが残念でした。

子供の活動

今年は天候に恵まれなかったため、野外の活動はできませんでしたが、30日の晴れ間に光明学園の鴨志田先生、石澤先生、下口先生に引率されて、子供たちは隣接する無量光寺に行き、弁栄聖者のお墓に参拝しました。聖者はとても喜ばれたことだろうと嬉しく思いました。

また、室内活動としてうちわに絵を描く時間もありました。石澤先生が材料等の手配をして下さいました。全員が仏様の絵を描きました。懇談会の終わり頃に合流した時に一人一人が自分の絵を披露してくれました。個性豊かな麗しい阿弥陀様ばかりでした。

更に茶道の手ほどきも受けました。用意されていたみたらし団子に代わって、祢次金さんから差し入れの紅白の梅のもなかがお菓子として大活躍してくれました。万事、如来様のお計らいと感謝致しました。

子供たちの活動をお世話下さった光明学園の先生方に心より感謝し、お礼申し上げます。

献灯式

今年も大盛況の献灯式でした。昨年に引き続き参加された保護者も多いと見えて、要領をわきまえ、後ろの座席から子供たちの様子を見ておられました。子供たちも昨年よりはおとなしく静かに献灯ができました。107名の子供の心に法の種が宿されるようにと、祈りました。この企画が引き続き発展するようにとお上人様からも助言を頂きました。

閉会式・・・おわりに

あっと言う間に時間が流れて閉会の時を迎えました。今年は光明学園の生徒が21名と言う、多数の参加をしてくれたことがことが何よりの喜びでした。とても礼儀正しく、素直で良く手伝いをしてくれました。一人一人とゆっくり話せなかったのが残念でした。来年も参加してくれることをひたすら祈っています。ありがとう。

最後に歌った「法のいと」はみんなの心に余韻を残してくれたことと思っています。静岡から初めて参加下さった細谷さんが、歌っている時、涙がでてきたと言っておられたと聞いて、さらに嬉しく思いました。
なお、今年は忙しく、参加記念品の準備が出来なかったと残念に思っていましたが、さすが金田昭教上人、ご自身で数珠を準備して下さっていました。このように皆さんの善意で支えられていることに、深く深く感謝致しました。山上上人、ご遠方よりのお疲れの中、ご熱心にご指導頂きありがとうございました。また、光明学園の先生方のご助力は、まさに菩薩様と手を合わせています。ご参加下さったみなさん一人一人にご挨拶できないのが残念です。来年も是非お元気な姿をお見せください。

子供たちの感想・・・ひとこと

○はなびがたのしかった。(田代 華 5歳 幼稚園)
○おやこべつじにさんかできてよかったです。さどう(茶道)がたのしかったです。たくさんおねんぶつができてよかったです。けんとうしきがおもいでになりました(ながおか みさ 6歳 小学校1年生)
○木魚をうって「なむあみだぶつ」というのがたのしくなりました。かけぶとんが気持よかったです。うちわ作りのあみだ様をかくのがむずかしかったです。まっ茶がにがかった。たてるのがむずかしかった。みんなと仲よくできてよかったです食事の食べ物がおいしかったです。また行ってみたいと思いました。(小川 奈己 9歳 小学校4年)
○私はおととしに参加してから二年ぶりに参加しました。お念仏や聖歌を歌ったり、うちわを作ったり、花火、茶道をしました。お念仏は結構長い間しました。ちょっとつかれました。聖歌ははじめて歌ったうたもあって難しかったけどいい歌がいっぱいでした。けん灯式はようち園の子も上手にろうそくをもってました。すごくきれいでした。うちわ作りではの能条智美さんのかいたアンパンマンのキャラクターが可愛かったです。あと、あみだ様をかくのは難しかったです。茶道はルールがいっぱいあって難しかったです。他にもいっぱいやったけど全部楽しかったです。来年もまた参加したいです。先生がた、高校生のみなさん、どうもありがとうございました。とっても楽しかったぜー。(小川 友里 12歳 小学校6年生)
○高校生や親子別時に参加していた人達全員が楽しくて優しかったのでとても過ごしやすい環境でした。周りもこんな環境があったらなあと思うばかりです。4年後はここに(光明学園)入るつもりです。とにかく楽しい2日間でした。とくに仲良くなった人、しょうたさん(鳴海 裕大 11歳小学校6年生)
○私はおととしに初めて来て、今回で2回目でした。今回は前々回とちがう「うちわ作り」や「茶道」をやりました。前回は「博物館」に行ったり、「ビデオ(ポニョ)」見たりしました。今回は来る前まではまた同じような事とをやるのかなと思っていたのでちがった事でびっくりしました。次回も行けたら行きたいです。(水口 愛子13歳 中学1年生)
○初めての参加でしたが、すぐにみんなととけあえてすごく楽しかったです。お上人さんもみんなやさしくてお念仏もたりやすかったです。生徒のみなさんがすごく礼儀正しくて、先生との距離も近くてとても良い学校だなと思いました。うちわ作りもとても楽しかったです。お別時をクーラーの効いたところでできるとは思っていなかったので、すごく気持ちが良かったです。場所も悪くなく、参加されたみなさんもすごく親しくして下さったので、来年もなた来たいと思えるようなとてもいい夏休みの思い出にもなりました。(森井 翔太 16歳 高校1年生)
相模原高校の生徒については名前は省略します。
○正座が痛くてシビレて大変だった。足が痛くてツライ。・荷物を運ぶのが大変だった。
○花火は楽しく、迫力があった。しかし最後は盛り上がりに欠けた。
○二日目は前日、全然寝ていなかったのでひびいて頭に入らなかった。
○初めての参加だったが思っていたよりも仕事がしっかり出来て良かった。
○1日目は忙しく、2日目は眠かった。しかし、全体的な感想はとても楽しかったです。
○命とは何かについて考える、良い話だと思った。
○とても良い会だったと思います。30日に見たビデオでとても命の大切さを知りました。皆を幸せにできるように自分が活躍していきたいと思います。修養ができて良かったと思います。
○いつもの修養会とはまた違う、初めてのことが多かった。予想よりも大変だった。
○普段の学校生活では聞けないような話を聞けて良かったです。
○準備などの手伝いで忙しかったけど、また参加したいです。
○「モーちゃんとピーちゃんの涙」を見て命について考えさせられた。
○いつもよりしっかりと念仏をしたと思った。来年も来たいっすね。
○いつもの修養会より長いせいか疲れたが、その分、違う感じもあったので良かった。

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