光明の生活を伝えつなごう

近畿支部だより

近畿支部 平成18年1月

ご祥当別時念仏会

関口 高

12月4日(日)、大阪・地蔵寺で、導師は金田隆栄上人(光明修養会九州支部長、九州光明会会長、大願寺住職)出席者は35名。近畿支部主催

一、あさの礼拝、くれの礼拝、念仏三昧(維那・佐野成昭氏)

二、ご法話(要旨)

講題「私どもの心の霊化、念仏は不求自得の功徳あり」

弁栄聖者のご布教について
前期は、「阿弥陀経図絵」25万部を配布して「大慈悲の如来様は私ども衆生を護り給う、照り給う」と力説された。最近の児童殺傷事件や災害事故を見ると、この念仏衆生を護り給うという実感を再認識せざるを得ない。後期は、大正元年頃より「光明主義」を標榜されて「無量寿経」の光明歎徳章を詳説された。【如来光明礼拝儀】に「如来光明歎徳章」の章が設けられたゆえんである。
念仏の不求自得の功徳について
念仏すれば、求めずして如来様から滅罪・護念・見仏の三徳を頂ける。実例を挙げて説明されました。
法然上人の「月影」の御詠歌について
「眺むる人の心にぞすむ」の「すむ」について河波上首上人は、私たちの心に宿り住む(働きかけ)、澄む(清浄化)済む(阿弥陀様が私たちの心と一つになって完成)・・・の三義があると仰せられた。
私どもの厄介な心の霊化について
私たちは「厄介な心」を持っている。念仏によって、この厄介な心が大いな心・尊い心に霊化されて行く過程を、数々の実例を挙げて説明されました。
私たちの心(魂)は、生滅と不生滅の世界に分けられる。生滅の世界は、身(行動)、心(意識)で、生まれる前から過去の行跡を相続した魂(心)であって逃れることの出来ない厄介な心(魂)である。この厄介な心が、念仏によって不生滅の世界に変わり、霊化されるのである。即ち、知・情・意が霊化される。「知」の愚痴が転迷開悟・開示悟入となる。「情」の瞋恚が、抜苦与楽・解脱法善となり。「意」の貪欲が廃悪追善・作仏(自己完成)・度生(社会完成)となる。
お上人は、知情意の霊化の実例の中では九州の福原耕善上人、田中木叉上人、奈良の松岡しな子様、熊野好月女史(いずれも故人)から承ったお話を披露されました。
お上人は
「三身即一の如来様(大ミオヤ)は宇宙に遍満して私たちの真正面にましますことを信じて、南無阿弥陀仏と一心にお念仏をされて厄介な心を霊化されますよう。如来の光明は遍く十方を照らして、念仏の衆生を摂取して捨て給わず」と結んで、熱烈なご法話を終えられました。

三、ご回向

お上人は弁栄聖者を始め、諸霊を懇ろにご回向して下さいました。

四、宇治の平等院の天女の絵配布

お上人が宇治の平等院で模写された奏楽する天女像の見事な絵(白黒のコピー)を、出席者に配られました。
お上人は絵画の才能をお持ちで、「ひかり」誌の「白道の旅」や「弁栄上人様のお話とお弟子達の入信」(弁栄聖者遺稿出版会発行)の作画は力作であります。

五、所感

現在、光明修養会は九州と関東の2支部による活動で保っていると申しても、過言ではないと思っております。
九州では毎月「巡回伝道」を若手・中堅のお上人が熱心に継続、関東では光明園・河波定昌上首上人や、一行院・八木季生上人を中心に月例会やお別時を活発に展開しておられます。
その他、篤信者グループによるお別時が、毎夏、信州・唐沢山(85回)や、和歌山・高野山(51回)等で開かれて、全国から参加の皆様が随喜しておられます。
このような実績を踏まえて、本部主催の「法のつどい」「教学布教研修会」や図書出版等が活発化されることを祈っております。

【付記】別事念仏会終了後の近畿支部役員会には、金田上人もオブザーバーとして出席されました。嬉しいことであります。

合掌

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